第35話
◆
事はあっという間に進行した。
俺は砦にいた帝国騎士団に所属する兵士に拘束され、独房で一晩を過ごした。
翌日には独房を出され、砦のどこにいたのか、帝国騎士団の制服を着た数人の前に引き出された。威厳しかない連中はどの顔も見たことのない顔で、それはあるいは、十人隊の隊長に過ぎない俺とは階級が違いすぎたせいかもしれない。
場所は狭い部屋で、騎士団のものが三名いるほか、俺と、護衛らしい武装した兵士四名だけだった。その合計八人でも窮屈なほど部屋は狭い。
「軍法会議を始める」
騎士団の制服の一人が実に気軽な調子でそう切り出しだ。誰かが記録を取っているわけでもないし、この場でのやり取りが外部に漏れることはなさそうだった。
俺が発言する機会はなく、騎士団の男たちが言葉を交わし、罪状が確認され、形ばかりの弁護があった。軍規が引用され、マーズ帝国の帝国法が示されることもあった。
この軍法会議という名の裁判は、ほんの半時間で済んだ。
「アルタ・ハルハロンは乙種流刑とする」
想像通りの判決だった。この件をさらに争うことは不可能で、判決は確定だと宣告された。
いきなり北部戦域に放り出せないようで、俺は一度、独房へ戻された。
この調子なら明日にも何らかの処置があるはずだ、と思いながら、俺は狭い空間の床に座り込んでいたのだが、不意に扉が軽く、叩かれた。誰だ? と思う間も無く、相手が名乗った。
「エイグリアだ。アルタ、そこにいるんだろう」
俺はそっと扉に近づき、囁いた。
「どうしてここにいる? 戦場はどうしたんだ」
「抜けてきた。負傷者を護送する、という名目でな」
馬鹿なことを、と思わず声が漏れてしまったが、馬鹿はお前だ、とエイグリアがすぐに応じた。「どうして貴族に斬りかからなきゃいけない。それが大罪だなんて、子どもでもわかる。お前はもっと分別のある大人だと思っていたよ」
「買いかぶりだ。俺は浮民で、今回の事態のために用意されたのさ」
反射的に口から発せられた言葉に、俺自身の背筋が寒くなった。
ルードは、俺を正しく導いたということか。
カーバイン侯爵家を破滅させるためだけに生み出され、教育された。
「馬鹿野郎。お前の部下はどうする」
胸が痛み、息が詰まる。エイグリアに扉のこちら側の俺が見えないのは好都合だった。きっと今、俺は見せてはいけない顔をしているはずだから。
声だけは、平静を装うことができた。
「みんなには、俺は罪人になったと正直に教えてやってくれ」
「連中、騎士団ともめ事を起こすかもな」
「そこをエイグリア、お前がなんとかして欲しい」
「まったく、口で言うだけの奴は、気楽だよ。他に言いたいことは?」
扉越しの言葉に、わずかな諦念と、はっきりとした執念が見えた。
もう俺と別れることを覚悟する一方、エイグリアは俺が戻ってくることを信じているようだ。
俺はその彼の優しさに甘えることができた。甘えてもいいと思えるほど、信頼していたのだ。
「ミリーナという娘が、惣菜屋で働いている」
「どこの惣菜屋だ?」
エイグリアが即座に確認してきたので、俺は場所を説明した。
「その娘をどうすればいい?」
「何かあったら、助けてやってくれ。困っていたら。そうでなければ、そっとしておいて欲しい」
「勝手なことを言う。それはお前がやるべきだ」
「俺もそう思うよ。でももう、無理だろうな」
お前は馬鹿だよ、とエイグリアが繰り返した。
「お前の遺言と思って、守ってやる。だから、諦めるなよ」
硬質な響きのエイグリアの言葉に、ただ俺は「ああ」とだけ答えた。
エイグリアが俺がこれから見る地獄を想像できないわけがない。そしてその想像を絶することを想像することも、できないわけがない。
それでも彼は、戻って来い、と言っているのだ。
その励ましがあれば、耐えられるような気もした。
扉の向こうで微かな物音がする。エイグリアがここにいられる理由は少ない。見張りを買収したか、見張りの目を盗んだか、そんなところだ。そして今、見張りが戻ってきたらしい。話せる時間はここまでだ。
「じゃあな、アルタ」
エイグリアの言葉に「世話になった」と答えたが、もうエイグリアからの返事はなかった。
沈黙、そして静寂。
孤独を今ほど切実に、はっきりと感じたことはない。俺は眠ることもできず、薄暗がりの中で膝を抱えて座って朝を待った。
どれくらいが過ぎたか、扉が開かれ、眩しい逆光の中から「出ろ」とだけ声がかかった。
独房を出ると、もう朝が来ていることがはっきりした。
どこかへ引き出されたが、それは入ったことのない部屋で、待っている人物も知らない相手だった。正確には、その装束には見覚えがある。御使の着ていた装束なのだ。しかし体格も違えば、声も違う。今も紗幕で見えないが、顔も違うだろう。
その部屋には俺と同様に後ろ手に手を縛られている男が五人ほどいて、彼らはみな怯えた顔をしていた。
御使は無言のまま、跪いた俺たち六人の前に進み出て、一人一人の額に指先を当てていった。
俺の番が来て、御使の細い指が俺の額を指差し、そっと触れた。
何かが体の中で捻れ、息ができなくなり、捻じ切れたような衝撃の後、不意に体が楽になった。
六人目が終わると、御使はそのまま部屋を出て行った。俺たちは部屋の隅に控えていた兵士たちに引っ張られ、やはり部屋を出る。出たが、控えの間のようなところで顔に袋を被せられた。さらに大きな袋に体を入れられ、誰かに抱え上げられた。
周囲では他の男たちが暴れているようだが、俺は何もしなかった。何もかもが聞いていた通りだったから。
耳を澄ますが、最初は状況がよくわからなかった。しかし案の定、そのうちに屋外に出た気配があり、その直後に、どこかに体が放り出された。袋の中では受身も取れず、硬い板らしいものに打ちつけた肩と腰が激しく痛んだ。他のものも同じようにされたのか、すぐそばで悲鳴と罵声が飛び交う。
地面が動き出した、と思ったが、そうではなく、俺たちは何かに乗せられていて、震動からして荷馬車らしかった。
周囲の音が変化し、どうやら今、俺たちを乗せた荷馬車は基地都市の通りを走っていると察せられた。
何かを囁く声がするが、荷馬車が軋む音、車輪が石畳を噛む音が交錯し、人の声は聞き取れない。
きっと乙種流刑に処される人間を憐れんでいるか、蔑んでいるのだろう。
その見物人の中にミリーナがいると思うと、胸が苦しくなった。
しかしミリーナが俺を軽蔑したとしても、それは正しい観察だ。
いつまでも荷馬車は走り続けた。どこまでもどこまでも、進んでいく。揺れが激しくなり、一時的に停車したのはおそらく俺たちを運んでいるものの休憩時間で、また揺れ始めるとそれがずっと続く。
何もかもが、亡霊が俺に語ったとおりだった。
時間の感覚がおかしくなり、今が昼か夜かもわからなくなった。何日が過ぎたかもわからない。
それでもその時は来た。荷馬車が停車し、俺たちは乱暴に地面に落とされる。地面の感触だけははっきりとわかったし、土の匂いも馴染み深いものだった。
袋の口が開かれるが、すぐには起き上がれない。なんとか這い出した時には、荷馬車はすでに遠くへ駆け去ろうとしていた。
他の五人もそれぞれに袋から出て、周囲を見ている。
俺には馴染みの場所だった。
北部戦域の果て。魔物が跋扈し、人間を拒絶する場所だ。
すぐそばに木箱があり、開けてみると武器が入っていた。
その中に、馴染みのある剣がある。
俺が使っていた剣、亡者と化したルードが使っていた剣だ。手に取ると、しっくりと馴染んだ。他の五人もめいめいに武器を手に取る。
俺たちにとって幸運だったことは、仲間意識が芽生えるよりも先に魔物の群れが襲来したことだった。
六人のうち、俺を含めて三人が戦闘の経験があったようで、即座に武器を構えた。あとの三人は武器を手にしたまま、悲鳴を上げて逃げ出した。止める間もない。これで三人が逸れることは決定事項となった。
魔物の群れはほんの四十体ほどだったが、すぐに一人が押し倒され、踏み潰され、動かなくなった。もう一人も魔物に腕を噛みちぎられ、そのままバラバラに解体された。
俺は一人で戦い続け、最後の魔物を切り倒してから、やっと周囲の状況に気付いた。
地面に倒れている一人は、轢き潰されたような体が時間を戻すように治癒していく。もう一人は、すでに原型のなかった肉体が一人で地で蠢き、這い、転がり、元に戻ろうとしている。
これが乙種流刑。
死ぬまで、いや、死んでも戦い続ける、死ねない刑罰。
嘔吐感がこみ上げ、胃液しか吐けないものがないのに、俺はしばらく蹲っていた。
こんな状況に耐えられるわけがない。
俺は仲間から離れるように歩き出した。南へ向かうべきだ。しかし基地都市は、人間の進出している領域は、はるかに遠い。
それでも俺は歩いた。
歩いたが、魔物の群れがやってきて、戦い、戦い、戦い続けるうちに、自然と足は南から引き離されていく。
俺は戦場を彷徨い歩いた。
食料もない。飲料もない。あるのは魔物の肉と、魔物の血だった。
俺は、魔物の肉を喰らい、血を啜った。
体が受け付けなくても、死ぬことはない。もがき苦しんでも、死なないのだ。
体は長い時間をかけて、苦痛に慣れていった。意識は朦朧としていたが、剣術だけは機能し続けた。魔物を倒すという一事も、本能に刻まれているように続行された。
果てしない時間を戦い続けた。
ある時、不意に意識が戻った。周囲を見て、いつの間に倒したのか、魔物が死屍累々と転がる真ん中で、俺は急に目が覚めた思いがした。
腐肉の臭い、血の匂い。
見覚えのある土地。
ここは、俺がルードを討った場所ではないのか。
亡者と化した男を、消滅させた場所。
見間違えだろうか。
俺は何度も何度も周囲を見た。見れば見るほど、俺の中に感情が戻ってきた。
今まで、自分が人間ではなくなっていたことがはっきりした。
何かが俺を人に戻したのだ。
第二のルードになりかけていた俺は、危うく踏みとどまったらしい。
それはここで消滅したルードの祝福だったのだろうか。
俺は歯を食いしばり、歩き出した。
どこへ向かうにせよ、戦わなくてはいけない。それも、人ではないものではなく、人として。
不老不死を科された罪人だとしても、人であることを捨ててはいけないのだ。
足は重く、体は強張り、視界は霞み、耳鳴りが止むことはない。
それでも俺は歩を進めた。
魔物の群れが向かってくる光景が見える。
手には剣があった。
受け継がれた剣が。
その剣が俺に訴えているようだった。
人であれ、と。
剣を構え、俺は魔物の群れに一人きりで向かっていった。
この戦いは、人でい続けるための戦いだった。
(続く)
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