第33話

       ◆



 防衛軍として、北部基地都市には二〇〇〇名ほどが駐屯している。

 この二〇〇〇名が四〇〇名から五〇〇名程度で集団を作り、入れ替わり立ち替わり、北部戦域に派遣されている。常にどれかの隊が基地都市にいる一方、常に魔物と戦っている隊があるということだ。

 俺がひょんなことから防衛軍に組み込まれて、あっという間に時間は過ぎた。

 俺とエイグリアは常に組まされ、二人の十人隊は連携して戦場で戦った。

 いつからは俺とエイグリアは周囲から頼られるようになり、俺からすればおかしな展開になってきた。俺は形の上で防衛軍にいるだけで、ここで戦い続けることや、やがては帝国騎士団に採用されたいとか、そういう展開を夢見ているわけではない。

 エイグリアはといえば「願ったり叶ったりだ」と嬉しそうだった。

「これでも帝国騎士団の予備団員というのは不本意でね。ここでうまくやれば、せめてひらの団員にはなれるだろう。そうすれば中央へ戻る可能性もある。そんな俺のためにうまくやってくれたまえ、アルタくん」

 これほどに俗っぽい言動が、「百人隊の力を持つ十人隊」などと呼ばれ始めた隊の隊長の実際とは、兵士はともかく、基地都市の人々は想像もしないだろう。

 そんなエイグリアを見習って、俺はできる限り平穏に過ごそうとしたが、兵士たちの方が俺を認め始めてしまい、そんな彼らを放っておくことはできなくなった。

 戦場でならいくらでも兵士たちを守ることができる。魔物が相手なのだから、剣術でも、神権でも、体力の続く限り倒すことができる。剣術は連戦の中でさらに磨かれれていたし、剣によって全力を出せないとはいえ、神権の威力も研ぎ澄まされている。

 しかし、兵士たちの日常は別だった。剣も神権もそこでは意味をなさない。些細な揉め事があったり、痴話喧嘩があったり、とにかく休日も忙しい。兵たちが暮らす長屋へ出向くこともあれば、街の中の酒場で取っ組み合いをしている兵士をどうにかしなくてはいけないこともあった。銭で解決できることは解決し、場合によっては話を聞いてなんとか宥めた。

 こういうことはエイグリアの特技の一つで、俺から見れば奇跡のように、あっという間に場を収めてしまう。場慣れしている態度で、どんなときも冷静沈着である。たまに冗談を挟むかと思えば、厳しく叱りつけることもある。

 そういう緩急に揉まれると、問題を起こした当事者たちも素直になっていく。

「年の功、と言いたいところだが、育ちのせいで慣れているだけさ」

 その日は休日で、俺とエイグリアは久しぶりに二人だけで街の食堂へ食事に出ていた。料理が運ばれてくるのを待ちながら、エイグリアは酒の入ったグラスを傾けている。俺はお茶を啜っていた。

「育ちっていうのは、子爵の妾の子、という環境のこと?」

「そうだよ。難しいものさ。生活環境は平民なのに、平民の子ではない。かといって、貴族の末席の子というわけでもない。というわけで、いろんな奴が俺に暴言を吐くわけさ。そういう奴らを殴り倒して黙らせたこともあるが、大抵の場合はどこかの大人が適当なことを言って丸め込む。私が責められ、謝罪させられることが大半だよ」

「でも、エイグリアの神権を考えれば、殴り合いは歓迎だろう」

 そういうことは黙ってろよ、とエイグリアが片目をつむって見せるのに、俺は笑うしかない。

 エイグリアの神権は、素朴なもので、自身の治癒力を底上げする力だった。実に単純な神権だが、エイグリアはちょっとやそっと負傷はすぐにその場で治癒させてしまう。魔物の血などで腐敗した傷でさえ、治癒する。

 だからエイグリア少年が誰かと殴り合ったとしても、エイグリアは傷を負うのと同時に治癒したことだろう。

 料理が運ばれてきた。エイグリアが酒の入ったグラスを干し、もう一杯を注文する。

 俺も器を置いたが、その時になって、すぐそばにいる人物に気づいた。

 店の奥へ向かっていく、小さな荷箱を抱えた女性。食堂が仕入れたものを運んできたらしい。身軽に卓の間を抜け、彼女は食堂の店主らしい男性と何かを話し、笑いあっている。

 俺はその姿から目を離せなかった。

 レイス。

 レイスがそこにいた。肌は白く、髪は黒いが、レイスの面影がある。

「アルタ?」

 エイグリアの言葉で我に帰り、思考はめまぐるしく回転した。

「ちょっと外す」

 俺はそう応じて、席を立っていた。目当ての女性はすでに店主と話を終え、少し離れたところを店の外へ向かっていく。俺は並ぶ卓と椅子の間を抜けて、彼女を追った。

 彼女が店を出て、日の光の下へ出る。

「あの!」

 声をかけると、彼女は足を止めた。

 振り返る。

 記憶に焼き付いている、レイスの表情。

 それが不意に溶けて、見たこともない表情に変わる。

 レイスだが、レイスではない。

「どうかしましたか?」

 女性がそう問いかけてくる。表情にあるのはかすかな恐怖、不安、だろうか。

「いや」どう言葉にすればいいだろう。「知り合いによく似ていると思ったけれど、別人だった。呼び止めて、申し訳ない」

 女性が首を傾げ、少しだけ表情が柔らかいものに変化した。

「兵士の方ですか? 街を守ってくださって、ありがとうございます」

「それが、仕事ですから」

 もっと何か言えればいいのに、言葉が見つからない。

 彼女の方は可笑しそうに笑い、口元を手で隠している。

「人を守るのが仕事ですか? 立派なお仕事だと思います。みんな、あなたがたに感謝していますよ」

 俺は、この街のために戦っているわけではない。そのことが胸を鋭く刺した。

 成り行きで、使命感もないのだ。

 俺が戦っている理由は、自分の為、十人の部下のため、エイグリアとその仲間たちのため、防衛軍のため、ではあるかもしれない。

 でもはるか後方の、城壁に囲まれた基地都市のことなど、戦場では忘れている。

 自分が見ている世界の尺度が、わからなくなった。

 小さなところを守ることで、大きなところを守ることになるのは、不思議なものだ。

「どうかされましたか?」

 俺が黙り込んだせいだろう、女性がこちらを覗き込むような姿勢をしていた。

 そうか、レイスはここまで背丈は小さくなかった。そんなことを俺は忘れていたのか。よく見れば、体つきも少し違う。レイスは細身ながら引き締まった輪郭だったが、目の前の女性は小柄で、華奢な体つきをしている。

「いいや、なんでもないんです。その、考え事を少し」

「私、何か変なことを言いましたか?」

 問いかけに、俺はただ首を左右に振った。

 変なのは俺の方なのだろう。世界のことも人間のことも何も知らず、何も理解していない。

 もっと多くのことを知るべきなんだろう。

「あの、お名前を伺ってもいいですか?」

 女性の言葉に、俺はいつの間にか俯けていた顔を上げ、目頭が熱いのを無視して言葉を返した。

「アルタと言います」

 もし彼女がレイスなら、今更、俺の名前を確認したりしない。

 女性は、レイスではないのだ。

 悲しみに打ちのめされている俺は、うまく感情を隠せたんだろう、名前を聞いた女性が表情を明るくする。

「アルタ様って、あのアルタ様ですか?」

 俺も笑うことができる反応だった。それが今はありがたい。

「どのアルタかは知らないけど、ただの十人隊を指揮するアルタです」

「まあ、謙遜なさるのね」

 女性はまた口元を手で隠す。その動きが可愛らしく、やはりレイスとの違いを意識させる。ただ、この女性の手もレイスの手と同様、使い込まれている。それは同じだった。

「私、ミリーナと言います。あそこの角の惣菜屋で働いているんです」

 彼女が指差す方には、しかしいろんな店がある。それでも探せばわかるだろう。俺もいつの間にか、基地都市の地理に詳しくなっている。

「よろしければ、いらしてくださいね。結構、評判はいいのですよ」

「そうですか、では、いつか」

 はい、とミリーナは頷くと深く頭を下げ、こちらに背を向けると足早に駆けて行った。仕事の邪魔をしたのだと気づいて、少し恥ずかしくなった。

 食堂の中へ戻り、席に近づくとエイグリアが酒の入った器を片手に、こちらをニヤニヤとして見ているのに気づいた。

「アルタはああいう女性が好みなのか?」

「知り合いに似ていただけだよ。昔の知り合いにね」

「そうかい」

 エイグリアは深入りしてこなかった。彼はいつからか、俺の過去について触れなくなった。浮民としての生活を探るのは不快だろうという配慮らしい。

 そういうところに、俺は決して崩せない壁を感じる。

 それはエイグリアが子爵の妾の子として生まれたことで感じた壁と近いはずだが、彼自身、決して壁は崩せないと悟っている風でもある。

 俺も、この壁は崩せない気がした。

 理解されることはない、経験や感情。

 食事に取り掛かりながら、俺がぼんやりと考えたのは、ルードのことだった。

 あの流刑者の経験や感情も、やはり誰にも理解できなかったのだ。

 その強すぎる怨念と執念、憎悪は。

 理解することは、絶対に必要だろうか。理解せずに、そのままにして相手と柔らかく手を取り合うことができる以上、理解は必要ではないのかもしれない。

 何もかもを共有はできないが、一部を共有できれば、それで人と人はお互いを打ち解けることができる。

 まったく境遇の違う俺とエイグリアが、こうして友人になれたように。



(続く)

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