第32話

       ◆


 やりづらいったらないな。

 エイグリアが何度目かのぼやきを口にした。

 北部戦域の戦場で、小規模の魔物の群れを粉砕し、その群れの後続を陣形を組んで待ち構えているところだった。

「腕が立ちすぎる部下は、持て余すとよくわかった」

 それにエイグリア隊の男たちが笑う。

 俺は教会と防衛軍だかの取引の結果、防衛軍に参加し、どこかのお人好しが口出ししてくれたらしく、そのお人好しの十人隊にくっつく形が取られた。

「隊長も中央ではそんなもんでしょう」

 エイグリア隊の一人が冗談を口にすると、小さく笑いが起こる。エイグリアも笑っていた。

「私もこれからはもっとお淑やかになろうと決意したよ」

 と、そこで鉦が鳴り始めた。前進を指示する合図である。

「行くぞ。あまり新入りに頼るなよ」

 エイグリアが部下にだけ聞こえる声に行った時には、すでに全体が動き出し、エイグリア隊も前へ進んでいる。

 緩やかな丘陵地帯で、はるか遠く、北の彼方の地平線上に本当にかすかに国境長城が見えた。

 その手前を、魔物の群れが押し出してくる。

 人間たちはすでに剣を構え、戦闘準備は万端だ。

 俺はといえば、譲り受けた古びた具足で身を包み、剣だけは自分の剣という形だった。

 具足を外した方が自由に動けそうだが、負傷することは自分ひとりの問題ではない。負傷者は放っておけないので、誰かが助けなくてはいけない。そうなると負傷者を助けるものが危険に晒される。

 合理的に考えれば、負傷者は少ないほうがいい。

 魔物の群れがはっきりと見て取れた。思ったよりも規模が大きそうだ。今、見えているのは丘のこちら側にいる敵だけで、丘の陰にまだ多くがいそうな気配だ。

 激しい鉦の音が響き、突撃が始まる。

 エイグリアが「行くぞ!」と声をかけると、部下が声をあげ、駈け出す。他の前衛の隊も一斉に動き出す。

 最初の一人が魔物と衝突、あとは乱戦だ。

 魔物たちは統率が取れていないので、人間たちはそれを利用して二人ないし三人で一組になり、効率的に魔物を潰していく。

 ただ、その時に自由になる魔物が出ると戦線を維持できない。なので一対一で魔物に対処できる実力のあるものが遊撃を担当する。

 エイグリアがそれで、彼はいきなり俺にもそれを求めてきた。

「ま、出来るだろう。期待しているよ」

 それがエイグリアの言葉だった。

 結局、そのやり方でここに至るまで、四度の戦闘を繰り返し、うまくいっている。エイグリアに人を見る目があるというべきか、それともただ運がいいだけか。

 俺の視線が、仲間を逆に押し包もうとする魔物の集団を見つける。

 滑るように近づき、一体を切り倒す。その時には仲間の一人が危険に気づいたようだが、反応が遅い。逃げることも、対抗することもできない。

 構わずに俺は片手を剣の柄から放して神権を発動し、魔物を次々と粉砕していき、恐慌状態に陥る寸前の仲間に迫っていた魔物に横手からぶつかっていった。

 剣の切っ先が魔物の腹部を刺し貫き、そこから呪詛の剣を突き抜けた神権の力が魔物を灰に変える。

 すまん! と兵士が声をあげ、仲間との連携へ戻る。俺は手を掲げて見せるだけで、次の相手を探し、向かっていった。

 魔物の群れは一〇〇体を超えていたが、対する防衛軍は四〇〇名だった。三段に構えているので、エイグリア隊が含まれる第一段の隊はある程度、魔物を打ち滅ぼしたところで、第二段と交代になる。戦闘はこれが最後ではなく、疲労が一部に集中するのは得策ではない。

 鉦の音が変わり、交代を知らせる。

 エイグリアの声も聞こえたが、周囲では魔物が喚き続け、兵士の叫び声も重なり、聞き取りづらい。ただ、人間の兵士の大半はそれなりに戦闘に慣れている。鉦が聞こえたところで、一斉に動き出していた。

 俺は途中で足をくじいていた他の隊の兵士一人を回収して、後方へ下がった。入れ違いに第二段が前進し、魔物の追撃と衝突し、跳ね返す。

 安全な後方へ下がり、負傷者の治療が始まる。俺が助けた兵士は繰り返し礼を言いながら、自分の隊の仲間の元へ戻っていった。

 それを見送る俺の背中を叩いたのはエイグリアだった。

「よくやった、アルタ」

 どうも、と答えるくらいが精一杯だ。

 褒められるのは慣れていないし、自分でもうまくできているか、わからないのだ。

 一人で戦っているのなら、自分が生き残ることが正解だとわかる。しかし集団では、負傷者も出れば、当然、死者も出る。それなのに自分は正しい、間違わなかったと思えるものは、ごく少数だろう。

 俺はエイグリアとともに彼の十人隊の元へ戻った。脱落者はおらず、負傷者が二名である。二人とも軽症で、戦闘の継続は可能だった。

「アルタの神権は強力だな」

 エイグリアが一緒に負傷者の手当てをする俺に話を振ってくる。傷口に薬を塗りこみ、きつく縛るくらいのことだ。切開も縫合も必要もない軽症である。

「魔物を滅ぼす神権というものがあるとは聞いていたが、見るのは初めてだ」

 僕もですよ、と腕を縛られた負傷した兵士も口を挟んでくる。

「あの神権があれば、魔物の群れも一人で相手ができます。まぁ、相応の疲労や疲弊があるんでしょうけど」

 疲労か。

 実は神権を使って疲れ切った、という経験はない。いつかはそういう経験をするかもしれないが、今のところは不安はなかった。

「神権教会が興味を持つわけだ。魔物を討伐する上で、アルタの存在は重要だろうな」

 そんな風にエイグリアが口にしたところで、小柄な兵士が駆け寄ってきた。腕につけている腕章で、それが伝令の兵士だとわかる。彼はエイグリアの前まで来ると「指揮官がお呼びです」と口にした。

 頷いたエイグリアが立ったところで、伝令が困惑気味に「アルタ殿という方もお連れするようにとのことです」と言った。彼にはアルタが目の前に俺とはわからなかったのだろう。もっともそれを言ったら、どうして指揮官が俺を呼んでいるのか、俺にはわからなかったが。

 特段、気にした様子もなく、エイグリアが「だそうだ」と俺に言葉を向ける。

「ここは軍隊だぞ、アルタ。出頭を拒む権利はない」

 了解です、としか言えなかった。

 二人で指揮官の元へ行くと、初老の将校である指揮官はいきなり俺に「隊を指揮した経験はあるかね」と訊ねてきた。あるわけもないので、「ありません」と正直に答えておく。この時点ではっきりと嫌な予感がしたが、出頭を拒めないように、指揮官の命令に逆らうこともできないのが軍隊だという認識が俺の中にあった。

 指揮官は重々しい動作で頷くと、俺を直視して嫌な予感の正体をはっきりと示してくれた。

「アルタ、きみに十人隊を任せる。ここまでの戦闘で欠員の出ている十人隊を再編成するのだが、将校にも欠員が出ている。エイグリア、きみの隊はアルタ隊と連携するように」

 了解です、とエイグリアが敬礼したので、俺はちょっと迷ってから、了解しました、と言葉にしてエイグリアを真似て敬礼した。指揮官は満足そうでもなかったが、敬礼を返した。

 すぐに指揮官の副官らしい将校が来て、俺の部下になる十名を整列させた。年齢は幅が広く、剣呑な目つきのものもいれば、どこか怯えているものもいた。一人一人から名前を聞くべきだろうと、俺はそれぞれの前に立ち、名前を確認した。

 素直に言うものもいれば、浮民に名乗る名前はない、とはねつけるものもいる。防衛軍は軍隊だが、構成している隊員の大半は、税を納める代わりにここにいるわけで、望んで兵役についているものが少ないという現実がこういうところにも表れるものだ。

「名前は死ぬ前に教えてもらえればいい。戦死者名簿を作るときに困る」

 反射的に嫌味で答えてしまい、すまん、と謝罪したときには、ついさっきまで俺に噛み付かんばかりだった男が、呆然とした顔で俺を見ていて、次にはそれが笑顔に変わる。笑顔というか、挑みかかるような顔つきか。

「骨があることを言うじゃねえか。あんたが死んだら、戦死者名簿に問題なく掲載されるように、俺が奉公してやるよ」

 やれやれ。一応、敵意は消えたようだから、良しとしておくか。

 そんなこんなで戦闘が収束する前から俺は慌ただしくなり、戦闘自体は第二段の攻撃でおおよそ終わり、第三段が追撃に出て行った。他は隊をまとめ、野営である。俺は自分の部下の十人とともに、エイグリア隊のすぐ側に陣取った。すぐに兵士同士が意思疎通を図り始める。連携が取れなければ自分が危険にさらされるので、こういうところから呼吸を合わせておくのは重要だ。

 俺は俺で、エイグリアのそばで、水筒の水を飲みつつ、十人隊の運用方法について聞いていた。

「必ず隊を散らさないことだ。十人でまず連携させる。連携が崩れると、魔物の群れの前では無力だ。もし隊がバラバラになりそうなら、お前が魔物との間に割り込んで、隊をまとめろ」

 そんなことをエイグリアは教えてくれた。ただ一番最後に「実戦の中でわかるさ」と付け加えたので、彼にも適切な指導ができないもどかしさがあるようだった。

 追撃部隊が戻り、夜になり、かがり火が方々で焚かれ、交代で歩哨に立った。夜に魔物が攻めてくることは稀だが、ないことではない。

 夜明けとともに移動が再開され、魔物の群れの接近が通報されると、陣形が組まれる。

 アルタ隊の初戦というわけだが、一番緊張しているのは隊長である俺だっただろう。兵士たちは経験豊富で、度胸も据わっている。顔合わせの場では怯えているようだった兵士でさえ、この時は目がつり上がっている。

 魔物の群れが現れ、鉦が鳴り、戦闘が始まる。

「行こう」

 俺がそう声にすると数倍の声で部下が応じる。

 その腹の底を震わせるような声に、俺も覚悟が決まった。

 前衛、第一弾が突撃していく。

 その一角で、俺も剣を手に、走っていた。

 なんでこんなことをしているのか、とも思う。

 一方で、基地都市にいるよりも、こんな場所が自分にはふさわしいと思える。

 人々の日常の中に紛れるより、血と死に塗れる方が、俺にはふさわしいのではないか。

 すぐ間近で魔物の咆哮が聞こえ、その醜悪な姿が見える。

 俺は剣を振りかざし、立ち向かっていった。

 この後、数度の戦闘を経て、部隊は一度、基地都市へ帰還した。

 アルタ隊からの損耗はなく、全員が無事に帰還した。




(続く)

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