第31話

       ◆



 エイグリアが連れて行ってくれた料理屋は、南方料理の店、ということだった。

 俺には馴染みがないどころか、南方料理がどういうものか、想像もつかなかった。食べても例えば食材や調理法の詳細は不明だが、要は香辛料が効いた辛かったり、酸っぱかったりする料理ということらしい。エイグリアがいうには、南方は北部と比べて気温も湿度も高いらしい。それと料理がどう関係するかはエイグリアはざっくりと、

「暑さをやり過ごすために汗をかきたいんじゃないかな」

 と、解説してくれた。わかるような、わからないような。

 ともかく、腹は満たされた。

「その剣の鞘も用意できるが、どうする」

 食後のお茶を飲んでいるところで、エイグリアが提案してくれた。

 どこまで話すべきか迷ったけれど、正直になることにした。服を手配してくれたし、こうして美味いものを出す店も教えてもらえた恩がある。

「ちょっと特殊で、普通の鞘じゃ意味がないと思う」

「特殊? 神権武装ってことか? どうりで教会に目をつけられるわけだ。戦場で拾った武器か?」

 エイグリアは勝手な想像でどんどん先へ行ってしまうが、詳しく説明するのは骨が折れそうだったし、拾った、というのはほぼ事実だ。

「そんなところ。御使からも、手元から離すなと言われている」

 その一言に、エイグリアの目元に険しいものが浮かぶ。

「御使が直々に、か? それはだいぶ臭うぞ。何か事情があるのだろう」

「単に俺以外が扱えないからだけだと思うけれど?」

「お前にしか扱えない? それはそれで不思議だが、アルタ、教会は言うほど優しくもないし、正しくもない。帝国軍の最精鋭、禁軍が存在する理由こそが、教会の存在なんだからな」

 昔、中年女のレイスがそんなことを教えてくれてたので、そういう噂は知っているよ、と答えておくが、エイグリアの見せる真剣さは心に留めておくべきだろう。

 帝国軍の中でも最も優秀なものが集まるとされる禁軍は、皇帝直下の部隊だが、実際には神権兵団に対抗する組織と聞かされている。元々の禁軍は純粋な近衛兵で、時代によっては儀仗兵に過ぎないこともあったようだが、今は違う。

 神権教会が僧兵を組織し、それが神権兵団へと発展するのに合わせるように、禁軍も実戦的な組織に変わってきたという。

 最も、俺とは遠い存在だ。第一、禁軍は皇都を離れることはない。

 鞘の話題から禁軍の話、俺の剣の話と話題が転じ、さらに俺の剣術に変わろうかという時、俺の視界の隅にその姿が見えた。

 店の開け放たれている出入り口の向こう、道を通りかかった人物。

 一瞬しか見えなかった。

 なのに確信があった。

 反射的に立ち上がっていた。エイグリアが不思議そうにこちらを見る。

「どうした?」

 いや、と答えた声が、うまく発音できていない。

「ちょっと待っててくれ」

 そうエイグリアに断って俺は足早に店を出た。

 表の通りは目眩がしそうなほど人が多い。その中に視線を走らせ、ほんの一瞬だけ目にした相手を探す。一歩、二歩と踏み出しただけで、俺の足は止まっていた。

 見失った。

 でもあれは、あの女性は、レイスに見えた。

 肌は白かったし、髪は黒かったけれど。

 ため息をついて、俺は店へ戻ろうとした。だが、振り返ったところですぐ背後に立っていた人物とぶつかりそうになった。

 不自然な姿勢で動きを止めた俺の前には、僧服の男が立っている。昨日の男とは違うが、服装は全く同じだった。

「アルタ殿、御使様がお呼びです」

 この時はレイスを見失った落胆が即座に苛立ちに変換され、俺はやや冷静さを失った。

「昨日の今日で呼び出しとは、御使という方も気まぐれですね」

 僧服の男は微動だにしなかった。感情の揺れもない。

「御使様は人とは違う世界のお方です。我々が理解できるものではございません」

 ため息しか出ない。

 いますぐ女性の後を追い、その姿を探したかった。どこかにはいるはずなのだ。

「アルタ様」

 僧服の男の催促するような声。

「わかりました」

 俺は頷いて、一度、店へ戻った。エイグリアは女性店員と何かおしゃべりして笑いあっていたが、俺を見るなり「深刻そうだな」とからかうように言葉を向けてきた。

「御使の呼び出しです。すみません、砦へ戻らないと」

「そうか、お前はなかなか忙しい身のようだ。私はこれから部下たちの様子を見てくるよ。砦のそばに長屋があってね、そこで生活している。途中まで一緒に行くとしよう」

 俺は約束通り持っていた銭からきっちりと二人分の食事代を支払い、店を出た。店を出る時、エイグリアは店員に何か紙片を渡し、軽く手を振ると颯爽とした足取りで店を出たわけだけど、僕はといえば気分が重く、そんな青年の爽やかな様子をぼんやり見ているしかなかった。

 店の外に突っ立って待っていた僧服の男を見て、「ご苦労様」とエイグリアはいかにも気楽な調子で声をかけるが、陰鬱とした顔の男は無言で頭を下げるだけだった。

 三人で歩いている途中で、エイグリアが俺が店を飛び出した理由を訊いてきた。

「知り合いがいたような気がしたんだけど、わからなかった」

「知り合いって、浮民の知り合いか? それとも商人か何かか?」

「浮民、だと思う」

「だと思う?」

 これもまた説明が難しい。レイスはおそらく浮民だが、その出自を俺は何も知らない。しかしまさか、基地都市で生活していたものを亡霊が引っ張ってくるわけがないから、浮民のはずだ。確信がないからか、彼女は浮民だと断言するのには抵抗があった。

 そんな俺の悩みを察したのか、悪かったな、とエイグリアが肩を叩いてきた。

「私はあまり、浮民の事情には詳しくない。言いたくないことは言わなくていい。すまないな」

「いえ、こちらこそ、うまく喋れずに申し訳ないです」

「気にするな。私は気にしないから」

 砦が見えてくると、私はここで、とエイグリアは僧服の男に断り、俺にはさっと手をあげてから、脇道へ入っていった。長屋へ行くのだろう。砦は砦で巨大だが、防衛軍の全部が収容されるほどは広くないということだと思われる。もしくは砦に入れるものと入れないものがいるのか。

 考えながら歩くうちに砦の正門にたどり着き、衛兵が近づいてきて、まず僧服の男が自分の十字架を見せ、俺も自分の十字架を提示した。衛兵は軽く頭を下げて、身振りで仲間に道を開けるように指示した。

 砦へ入って、着替える必要があるかを確認すると、僧服の男はほとんど表情を変えずに「そのままでも構いません」と言った。しかし俺は荷物を抱えている。これはどうしたらいいのだろう。

「御使様は寛容でいらっしゃいます」

 それが僧服の男の答えだったが、何か違う気がする。

 しかし、考えても仕方がないか。

 結局、昨日と同じ部屋に通され、同じように御使と対面した。すでに御使もその護衛らしい巨躯の男性も、待ち構えるようにその場にいたので、やや気まずい。

 御使の顔はやはり紗幕によって見えない。

「基地都市を満喫しているようね、アルタ」

 からかわれているのか、皮肉を言われているのか、わかりづらいところだ。

「服を、手に入れてきただけです」

「あら、僧服も悪くないと思うけど」

 今度はからかわれているとわかった。

 言い返してやろうと即座に言葉を探したが、御使がさっさと本題に入った。

「カーバイン侯爵の件、承知させました。彼の方からここへ出頭することになります」

 思わぬ話だった。昨日の今日で、どうやって連絡しあったのか。御使の力、あるいは、神権教会に属する誰かの神権を使ったのだろうか。

 困惑している俺を無視して、御使が話を進めている。

「その代わり、あなたには防衛軍の一員として働くことが交換条件として提示されました。まぁ、うまくいけばあなたが戦死して、全てがうやむやになる、という意図でしょうね。教会として突っぱねることもできましたが、浮民にそこまで肩入れするのも不自然ですから、承諾しました。なのでアルタ、あなたはしばらく、防衛軍の一員として戦場に行きなさい」

 話がどんどん先へ進んでしまう。

 北部戦域から文明的な場所へ来たかと思えば、今度は兵士として元いた場所へ戻れという。

 拒否はできそうもない。

 御使は微笑んでいるようだった。

「それにね、アルタ、あなたは帝国の民でありながら、税を納めていない。防衛軍に参加するのは、そういう点でも意味があるの。本当の意味での帝国民になるのに、これは必要な段階でもある、ということ。期間は不明だけど、カーバイン侯爵がやってくるまで戦って、できれば死なないように。それだけです。配属に関しては防衛軍の司令部が手配してくれます。ではね、また会えるのを期待しているわ、アルタ」

 すっくと御使が立ち上がり、さっさと部屋を出て行ってしまう。

 俺のそばに僧服の男が歩み寄ってきて、「夕方には配属に関して説明があるかと」と囁いた。

 全てが俺のいないところで勝手に決められているのでは、受け入れる以外の方法がない。

「部屋で待っていればいいですか?」

「あなたを探す手間が省けます」

 どうやら俺が街へ出ていて探すのに苦労したと言いたいらしい。

 遠くを見通すという神権があれば容易だろうに。

 部屋に戻ります、と断って、俺は広間を出た。通路で迷いそうになったが、昨夜のことを思い出しながら、とにかく進んでいく。

 迷宮に迷い込んだ感があったが、そのうちに覚えている通路に出た。これはしっかりと探検して、内部を把握する必要がある。十字架さえ持っていれば、咎められることもないはずだ。

 なんとか部屋に戻り、寝台の上に服の入った包みを投げておく。

 高級品であろう窓ガラス越しに外を見ると、昼過ぎの基地都市の一角がよく見えた。

 なんとなく窓際に立って、その様子を観察する。高い位置にいるせいで、人が小さく見えるのはどうにも慣れない。その様子は蟻を見ているようでもありながら、蟻とは比べ物にならないほど統率が取れているので、それが違和感だ。

 あの人の群れの中に、レイスもいるのだろうか。

 いや、レイスではないのかもしれないが。

 無意識にため息を吐いてから、俺は荷物を箪笥に入れることにした。ここに長居することもなさそうだが。




(続く)

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