第29話

     ◆



 御使が俺に何の用がある?

 そもそも何で俺がここにいると知っている?

 そういう疑問を向けたかったが、よく見れば黒衣は僧衣で、僧衣を身にまとっている男性はエイグリアと比べれば硬質な気配で、親しみは持てなかった。彼の方も、親しみなど持って欲しいようでもなかった。

 質問は飲み込んでおいて、俺は彼に従おうとしたが、僧衣の男は妙なことを言った。

「剣を帯びて参上せよ、とのことです」

「え? 御使様の前に、ですか?」

「ご覧になりたいとのことです」

 やはり妙だ。素人考えだが、御使という立場のものには相応の護衛がつくだろうが、武装した人間をすぐそばまで近づける理由はない。危険しかない。もし俺が逆の立場なら、武器は没収こそすれ、見たいなどと言わない。

 それなら、この一件は俺が呼ばれたというよりは、剣に興味があるのかもしれない。

 ここであれやこれや聞いても仕方がないので、俺は僧衣の男についていくことにした。一階へ降りていくと、宿屋の老婆が今度ばかりは目を覚ましていて、見開いた目で俺をジロジロと観察していた。実に不審な客だったことだろう。

 表へ出て、路地のように狭い道を進んでいくと、なんと馬車が停まっていた。馬車なんて間近で見たことがないし、乗ったことなんてもちろん、ない。

 僧衣の男が身振りで先に乗るように示す。乗ったことがないと正直に言えずに、作法が分からないまま乗り込んでみる。問題はなかったようで、僧衣の男が後に乗り込み、御者らしい男性が扉を閉じた。

 わずかな振動のあと、馬車が動き始める。おぉ、と思わず声が出そうになるのを、グッと飲み込む。結構、感動的だ。田舎者丸出しだけど。

 しかし、狭い空間に二人きりで、かなり気まずい。しかし話題もない。何か、探してみよう。黙っていても息苦しいだけだ。

「御使様は、何故、俺のことをご存知なのですか」

 僧衣の男は簡潔に答えた。

「御使様ははるかに多くのことをご存知です」

 会話にならないじゃないか……。

 馬車から外を見ようにも幕がかけられていて、少しも見えない。こうなると要人が乗っているように周りからは見えるかもしれないが、逆に、秘密裏に重犯罪者を護送しているようでもある。

 そうか、それは考えなかったな。俺がこれから犯罪者になる可能性もあるのだ。御使自ら、俺に罰を与えることがある、かもしれない。

 何も罰せられることはしていないし、無意識にもしていないはずだが、ここは俺が生きていた無法地帯ではなく、誰かしらが管理し、治める土地なのだ。踏み込んだ以上、もう統治から逃れる方法はない。

 あまり気休めにもならないが、剣を持って来いというのだから、俺が剣を抜いて暴れることはない、と見ているはずだ。最悪な展開は、わざと剣を抜かせて、それを大義名分にしていいように処理することだ。噂に聞く神権兵団の兵士の実力は、甘く見ると危険だろう。

 結局、俺は頭の中でこれから起こりうる展開を次々と思い浮かべて、時間を潰した。僧衣の男は一言も言葉を発さない。威圧しているわけではなく、きっとそういう人格なんだろう。彼には俺への興味はないのだろうか。それとも興味はありながら、自制しているのか。まったく、こんな不毛なことを考えるとは、我ながら呆れる。

 そのうちに馬車は停車し、扉が外から開かれた。

 僧衣の男に続いて外に出て、俺はやはり呆然としたのだった。

 すぐそばに高い壁があり、どうやらここは砦の中らしかった。空はすでに薄暗いが、それよりもそこここでかがり火が焚かれて昼のように明るい。ついでにどこかで聞いたことのない音楽が奏でられ、人々の歓声や笑い声が聞こえてきた。

「こちらへ」

 そう僧衣の男に促されて、俺はやっと我に返った。男に続いて砦に入り、奥へと進むうちに音や声は聞こえなくなった。砦の壁が厚いこともあるだろう。

 室内も各所に明かりがあり、暗いということはない。それと、香が焚かれているのか、不思議な匂いがした。甘いような、苦いような難解な匂いだ。

 階段をいくつか登り、入り組んだ廊下を抜けると、そこがもう部屋だった。

 部屋というには、かなり広い。俺が生活していたぼろ家は一間しかなかったが、それが四つ、あるいは五つはすっぽりと入りそうな広さだ。そしてこの部屋も、明かりで照らされている。

 僧衣の男が一礼し、壁際へ向かう。どうやら壁際に立って待機するようだ。それを見送ってから、誰に頭を下げたのか、と礼が向けられた方を見ると、部屋の一番奥にある椅子についている女性がいる。

 全く気づかなかったので、危うく一歩二歩と驚きで足を引きそうになった。

 そこにいる人物は、女性、というのは体つきでわかるが、かなり小柄だ。

 顔は、見えない。大仰な帽子のようなものをかぶり、そこから垂れた紗幕が顔を隠しているのだ。

 彼女が、御使?

「控えなさい」

 そう声を発したのは、椅子のすぐ脇に立つ男性だったが、今まで、完全に気配を消していたせいで、その人物の存在は唐突に出現したようなものだった。女性がそこにいると気付くとかなり強烈な印象を与えるので、視線を吸い寄せられてしまうようだ。

 しかし気づいてしまえば、その真横の男性はどうして認識できなかったのか不思議なほどの、強い覇気のある人物だった。

 大柄で、肩幅は広い。がっしりとした輪郭の体をしていて、いかにも鍛えている。武術の心得があるのは自明だった。武器は身につけていない。格闘技の使い手か。

 じっと観察していたいが、控えろという言葉は無視できない。その言葉の圧力も、体格に見合った強力なものがあった。

 作法をよく知らないが、片膝をついて、首を垂れる。

「そなたがこちらへ来ることは、知っていた」

 澄んだ声、少女の声だ。御使はどうやら、幼いらしい。小さな体躯は、年相応ということか。

 しかし、知っていた、とはどういうことか。

 俺が黙っていると、御使は言葉を続ける。

「御使には遥か彼方を見通す能力の持ち主がいる。そのものが、お前の存在を見つけたのだ。元は乙種流刑のものに渡された剣を引き継いだ剣士、それがそなたであろう。その剣を見せてみよ」

 なるほど、と納得するのはかなり難しかった。

 遠くを見通すとは、どういうことか。地の果てを手に取るように把握できる、ということか。どうやって俺を見つけたのだろう。どこまでもを認識できても、その広大な空間からしたら俺なんて点みたいなもののはずだ。

 解せないが、剣を見せればいいだろう。

 俺は立ち上がり、布に包まれて腰に帯びていた剣を手に取り、素早く布を解いた。

 剣が露わになる。

 沈黙。誰も反応しなかった。

 なんか、ここのところ沈黙の圧力ばかり向けられる。

「いかがですか」

 思わず言葉にすると、御使は顎に手をやって、何かを考えているようだった。他のものは動きもしない。といっても、案内役の僧衣の男性と、御使の護衛らしい男性、御使、そして俺しか広い空間にいないのだが。

「不思議な剣ね。そう思わない?」

 御使の言葉に、隣に控える男性が「御意」と短く答える。

 勝手に何度か頷きながら、御使が言葉にする。

「強い呪詛を感じる。強くて、濃くて、鼻につくわ。そばにいるだけでこれほどなのに、彼は何故、平気なのかしら。まさか、本当に破魔の力の持ち主ということ?」

「かもしれませぬ」

 勝手に御使とその隣の男がやりとりしているのを、俺はただ聞いていた。

 しかし、御使は俺の神権、破魔の力も知っているのか。本当に遥か彼方のことを観察できるといては、確信はないのは不思議だ。だが、俺が神権を見せたわけではないから、彼女には俺が何をしてきたか、一部、もしくは全部が露見していると考えるべきだろう。

「あなた、名前は?」

 御使の視線がこちらを見た、ような気がした。

「アルタと申します」

「姓は?」

「ありません。浮民ですので」

 急に御使が鋭い舌打ちをした。

「浮民でも父もいれば、母もいるでしょう。まさか、本当にいないの?」

「いない、と聞いています」

「嘘ね。御使の中には過去、未来、現在を全て俯瞰できるものもいるのよ。あなたの嘘など、たちどころにわかります。正直に言いなさい」

 これを屈辱というのだろうか。

 御使とは、ここまで品のないものなのか。

 構うものか、と俺は覚悟を決めた。

「父かどうかはわかりませんが、ウルダというものに育てられました。ウルダの父はウェズ、ウェズの父はルードという名のもので、このルードの姓は、ハルハロン、と聞いております」

「ハルハロン? ルード・ハルハロンの子孫なのですか?」

 不意に御使が動揺したので、俺は反射的に顔を上げていた。なんでも見て取れる存在が驚くところを是非見たかったが、幕が邪魔で見えない。その奥で頬に手を当てながら、御使は俺を見ている。

 それにしてもルード・ハルハロンの名前など、とっくの昔に忘れ去られて誰も知らないと思っていた。一〇〇年近く前の人物なのだ。

 俺が視線を返したせいだろう、御使はゆっくりと姿勢を整えて、言葉を口にした。

「アルタ・ハルハロン、あなた、何か望むことはある?」

 望むこと……。

「世界を見て回りたいと思っています」

 とっさに言葉が口をついて出たが、途端に妙な空気になった。

「世界を、見て回る?」

 御使が復唱するように言葉にすると、小さく声に出して笑った。

「年齢の割に、子どもっぽいことを言うのね。そのための路銀はあるの? そもそも世界というけど、どこからどこまでが世界なの?」

「路銀はありませんし、世界というのは、俺が足を運べる場所だけでしょうね」

 皮肉を返す気は無かったが、ここまでもやりとりで、やや俺も不満がたまっていたようだ。

 もっとも、御使は苛立ちもせず、また笑っていた。無垢、とはこういう態度をいうのかもしれなかった。

「意外に愉快ね。これは例えばだけど、ルード・ハルハロンを破滅させたカーバイン侯爵の子孫に会いたい、などとは思わないの?」

 胸の奥で、何かが軋んだ。

「会いたいとは、思いません」

 答える言葉は我知らず低くなった。

 御使が沈黙し、今度はわずかに身を乗り出した。

 探るような視線が、紗幕を貫いて、俺を覗き込んでくるように感じた。気分のいいものではない。

「本当に? 本心で?」

 本当のことだ。もちろん、本心だ。

 会ったところで仕方がない。全ては過ぎ去った過去のことなのだから。

「私なら、カーバイン侯爵をこの場へ呼び出せます」

 絡みつくような、甘ったるい口調に御使の言葉が変わっていた。

 それに対して、俺は口を閉じていた。今にも言葉を口にしそうだったが、意識して口を閉じておく。しかし歯を食いしばることはできない。今にも衝動に負けて、口を開きそうだった。

「呼び出しましょうね、アルタ。その方が、後腐れがないでしょう」

 後腐れ、だって?

 一度は消滅したはずの恨み、憎しみを掘り起こそうとしているのは、御使じゃないか。

 そう思っているはずなのに、俺は何の反応も返せなかった。

「砦に住まいを用意しましょうね。この砦には神権教会のための区画があるのです。場所は余っていますから、好きに使いなさい。今日はこれで話は終わりです。下がってよい」

 俺はまるで作法を無視して、それでも一礼してから剣に布を巻きつけた。

 壁際から案内役の男性が進み出て、俺を身振りで促した。

 御使に背を向けると、俺はどっと疲れがのしかかってくるのを感じた。広間を出たところで、足が重くなりさえした。

 御使と会ったことは、光栄なことなのかもしれない。しかし今の俺には悪夢のようにしか思えなかった。

 カーバイン侯爵と会う? 俺とは無関係な人物なのに、その人物と会った時、俺はどうなるのだろう?

 明かりに照らされる廊下を進みながら、俺は暗澹とした気持ちに支配されていた。



(続く)

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