第28話
◆
目指す先は、北部基地都市。
のはずだが、俺の行く道はなかなかな困難だった。
どれだけ先へ進んでも、人気はない。いくつかの戦場を抜けたが、すでに戦闘自体は終了し、生き残った魔物が腐肉を漁っているだけだった。そんな魔物が本能のままに向かってくるのを切り倒すのだけど、着物が汚れないようにするのに苦労した。
こんなことなら最初から身につけず、途中で着替えるべきだったか。
そんなことを心配したり、後悔する場面でもない気がしたけれど、他に考えることもない。
昔、ウルダと過ごしていた方のレイスが、俺たちが過ごしている場所は北部戦域の中でも東にある、と話していたのをよく覚えている。実際、戦場に残された武具を漁りに行く時は西側へ向かうので、間違いなく主戦場は西方面であり、北部基地都市もまた、西方面にあるはずだった。
どこかで通り過ぎそうな気もしたけれど、とにかく南西を目指して歩き続けた。
食事は最低限、水も少しずつ飲むしかない。
ただ、南へ進めば進むほど、大地からは黒味がかった色が薄れていき、ちらほらと雑草が生えているのを見るようになった。
どうやら、人間の生活圏に近づいていることには近づいているらしかった。
何日を移動し続けたか、前方の丘陵の上にずらりと何かが並んでいるのが見えてきた。
何か、じゃない。
人だ。それも大勢の。
武装した人間が隊列を組んでいる。歩兵のようだった。
それなら、と視線を巡らせると、ちょうど、離れた丘陵の上に何かが出現する場面が見て取れた。
こちらは数が多く、統率など取れていない。てんでんばらばらに丘を越え、駆け下り、人間の隊列に向かっていく。
鉦が鳴らされ始めた時、魔物の咆哮と地面を踏む音は端で見ている俺の体が震えるほどの迫力だった。
それに恐怖した様子もなく、人間の兵士たちが陣形をわずかに変え、迎え撃つ姿勢を見せる。おそらく丘を駆け下りる勢いを利用して、魔物を粉砕するのだろう。魔物は構わずに傾斜を駆け下り、そのまま人間の兵士めがけて駆け上がる姿勢を見せていた。
人間が負けるわけがない。そうは思ったが実際のところ、確信はない。
ついに魔物の群れが丘の下に到達し、瞬間、人間たちが喚声をあげると、一挙に丘を駆け下り始めた。
地面が揺れる錯覚。地響きが体を震わせる。兵達の怒号がこだました。
それはまるで、巨大な音そのものが魔物の群れに直撃し、粉砕するかのようだった。
人間の一群が魔物を飲み込んだ次は乱戦だった。乱戦だが、魔物が連携を取らない以上、一方的にそれを人間が駆逐していく形になる。
何体かの魔物がこちらへ逃れて来るので、俺を剣から布を取り払い、構えた。
どこにでもいる魔物、繰り返し相手にした魔物と変わらない。三体ほどを素早く切り倒したところで、その魔物を追ってきた兵士が俺に気づき、剣を構えた。やや戸惑うところだが、いきなり斬り合いにはならない。たぶん。
「お前、どこから来た。どこの所属だ」
その兵士はまだ若い、いや、幼く見えた。十代半ばくらいだろう。一応、具足を身につけているが、使い古されていて、手入れも雑だ。何より、手にしている剣は刃の光からして、たいして切れないだろう。
「どこの所属でもない。北部基地都市へ行きたいんだが」ちょっと迷ったが、言葉にしてみる。「案内してもらえるかな」
相手はぽかんとしていて、背後から迫っている魔物に気づかなかった。
俺は彼の横に踏み出し、こちらに向けられる剣を避けてから、余裕を持って魔物を四体ほど、まとめて切った。兵士はまた呆気にとられている。
「あ、あんた、すごい腕前だ。騎士団の人か」
「騎士団? いや、帝国騎士団とは関係がない。この通りの服装だし」
しかし、とここが戦場だと失念したらしい兵士が言い淀むが、ゆっくりと話ししている暇はなかった。魔物の生き残りが逃走を始め、散り散りになったがために戦場が一気に拡大する。人間の兵隊たちは魔物の追撃に移っている。その結果、俺と名前も知らない兵士の方にも、魔物が、続いて人間が向かってくる形になった。
さすがに俺を魔物と誤認しないだろうと判断して、俺は自分の間合いの魔物は切っておいた。
それが良かったのか悪かったのか、兵士たちが俺の周りに集まることになった。もちろん、見物とか、観察ではなく、警戒してのことだ。
三人ほどが俺に剣を向け、やはり所属を確認してくる。
「武器を漁りに来た浮民といったところだろう」
一人がそう言って、俺は「そんなところだ」と答えておく。浮民とは俺のような立場の者、各地の戦域に入り込み、勝手に生活している人々への蔑称だった。仲間内で使うことは滅多になく、たまに商人が漏らす程度で馴染みが薄かったが、これからは頻繁に聞くだろう。
「浮民なら、さっさと住処へ戻りやがれ。この犬め」
言うなり兵士の一人がずいっと前に出てきた。切っ先がすぐそばにくるが、対処できない間合いではないので放置しておく。
犬というのも、俺たちのような立場の者への蔑称だ。実にいろいろな言葉で詰られるのが、俺たちということになる。
「北部基地都市へ行きたいんだ。それだけだ」
兵士の数人が鼻で笑い、他は不愉快そうな顔になった。
北部基地都市は、俺が行くようなところではない、か。
「お前たち」
俺がなんとかこの場を切り抜けようとした時、別の声が発せられた。途端、俺を取り囲んでいた男たちが剣を引き、直立する。
「こんなところで何をしている。魔物を追打ちにしろ、急げ」
全員がピタリと一致した返事をすると、駆け去っていく。
声の主だけがそこに残り、その人物は俺をしげしげと見ていた。男性で、二十歳くらいに見える。彼は立派な具足をつけているが、新品というようではない。ちなみにその手の剣は冷酷さを感じるほどよく磨かれている。かなり切れるだろう。
「助かりました」
俺が正直に頭をさげると、男は「こちらこそ」と丁寧な口調で応じた。さっきまでの兵隊とはまるで違う態度だ。俺を蔑むようでも、嘲笑うようでもない。
「部下が無礼を働いたようで、申し訳ない」
「部下?」
そう、と男は気安げに頷いた。
「私はエイグリア・ラントック。帝国騎士団の準団員で、ここでは十人隊の隊長だ。つまり最下級の将校だな」
男、エイグリアは柔らかい笑みを見せ、それからわずかに首を傾げた。
「浮民という言葉が聞こえたが、ここで何をしている?」
「北部基地都市へ行きたいのです。ただそれだけで、他に目的はありません」
「魔物を切ったようだが、手傷は?」
「いいえ、心配には及びません。傷は負っていません」
答えてから、やや不自然だったか、と思い至った。浮民だとしても、魔物をまるで相手にしない使い手など、そうそういない。
実際、エイグリアもそう判断したようで、ちょっと笑みを見せると「北部基地都市へご案内しよう」と言い出した。
渡りに船、とはいえ、エイグリアの本心が分からない。
「ご厚意をありがたく思いますが、方角さえ教えていただければ、それで構わないのです」
「我々もどうせ、戦闘が終われば基地都市へ戻るのです。この戦闘が所定の作戦の最後ですから。指揮官には話を通しておきます」
話に乗るべきか、蹴るべきか。
しかし、次の機会、こんな好機もそうそうないだろう。
乗るべきかもな。
「では、甘えさせていただきます」
うん、とやはり気安い調子で頷いたエイグリアが、訊ねてくる。
「それで、あなたのお名前は」
「アルタと申します」
「アルタ殿、ではこれから隊が再集結するまで、私のそばにいてください」
すでに周囲からおおよその魔物は排除されていた。負傷者の回収が始まっており、そこここで応急処置をしている姿が見えた。エイグリアは俺を連れたまま、部下たちの後を追っていく。彼の部下はだいぶ先まで行ったようで、最初は姿が見えなかった。
そのうちに笛の音が重なり合うようにいくつも聞こえ、エイグリアも笛を繰り返し吹き始める。笛の音で意思疎通しているらしい。俺が日常的に使っていた魔物の襲来を告げる笛とは大きさは変わらないのに音色の幅がまるで違う。
やがてエイグリアの元へ部下たちが戻ってきた。一人が負傷しただけで、他のものは無傷だった。あるいはエイグリアの部下は有能なのかもしれない。
「本隊へ戻ろう」
少し前から太鼓の根がかすかに聞こえていた。それが集結の合図らしかった。
俺のことをエイグリアの部下たちは胡散臭そうに見ていたが、一人、近づいてきた兵士がいる。俺と最初に遭遇した童顔の兵士だった。よく見ると、外見より二、三歳は実年齢は上かもしれない。
「さっきはどうも、ありがとうございました」
どうも俺が魔物を切って倒したことを言っているらしい。丁寧な少年、あるは青年だ。
「いいえ、こちらこそ、余計なことをして申し訳ない」
俺の方から謝罪すると少年は彼を緩めて、しかしそれ以上は何も言わなかった。
部隊が集結を終えると、全部で五〇〇人程度の集団が出来上がった。記憶を探ると、防衛軍の将校は十人隊長が最も下で、その上が百人隊長のはずだった。その上が千人隊長だから、五〇〇という数字からして、百人隊長の中でも序列が上のものが指揮官なのかもしれない。
そんなことを思っている俺を残して、エイグリアは一人でその指揮官へ談判に出かけて行った。俺を同行させるだけでも許可が必要なのは、規律が行き届いている証拠かもしれない。規律が取れていない兵隊ほど、危ういものもないだろう。
エイグリアはすぐに戻ってきて、「同行の許可が出ました」と教えてくれた。
感謝の意を伝えると、エイグリアは笑っただけだった。
負傷者の輸送のめどが立ったところで隊が移動を開始し、南へ向かい始める。少し進むと戦場から避難させていたのだろう補給部隊と合流し、そこで小休止となった。保存食が配布され、乾いた餅のようなものだったけれど、俺にも配られるのには驚いた。戦場では、物資は貴重なはずだ。少なくとも、俺が彼らの言うところの浮民として生きていた頃は、食料は大盤振る舞いできるものではない。
「許可を取ってありますから、気にしないで食べてください。美味いものでもありませんが」
そう言うエイグリアの上に立つ顔も知らない指揮官の寛容さに感謝しつつ、俺は保存食を口にした。
移動が再開され、似たような日々が数日、続いた。隊の周囲には常に斥候が展開されているようで、魔物の襲来はかなり早い段階で通報される。防御態勢、あるいは攻撃態勢が十分に整っているため、効率的に撃退、撃破できた。
俺が剣を抜く場面はなく、エイグリアとその隊もほとんど前線には出なかった。
「武勲の取り合いですよ」
言いながら、エイグリアは笑う。
「私としては、部下をいたずらに危険にさらさずに済んで、歓迎ですけどね」
防衛軍にもいろいろあるらしい。俺はあまりにも多くのことを知らなすぎると実感させられた。
結局、エイグリアたちと出会ってから五日目の夕方、基地都市に到着した。
それは俺が見たこともない場所だった。
城壁に囲まれ、中央には石造りの砦が建っている。古びてはいるが、何者の攻撃にも動じない重厚感があった。
そして、城壁の内側にある無数の建築物、行き交う人々の数はまさに都市だ。
初めて見る建物と、初めて見る多種多様な人々。
帰還した防衛軍の兵士たちを、住民だろう大勢の人々が歓声を上げて出迎える。
俺が呆気にとられていると、エイグリアが近づいてきた。
「どこか、行くあてがありますか?」
「いや、あ、いいえ、ありません」
「安い宿を知っています」
言うなり、エイグリアが番地らしい数字を口にし始めた。反射的に聞き取るが、意味を理解できないために全ては覚えられない。
礼を言うしかない俺に、エイグリアは笑いかけただけだった。
防衛軍の部隊はそのまま砦の中へ入っていくが、俺は部外者なので、当然のように踏み込むのを拒絶されたし、俺としても中に入るつもりはなかった。
なんとか防衛軍を囲む人々の群れに紛れこみ、離れていく。頭の中ではエイグリアが口にした番地を復唱し続け、なんとか覚えようと努力していた。
街角の看板を頼りに番地の一つを当たってみると、小さな宿のようだった。しかし値段などが表に表示されているようではない。看板は古ぼけていて、建物も手入れが十分とは言い難い。
気後れするところもあったが、思い切って入ってみることにした。
入ってすぐのところに卓があり、老婆がそこで居眠りをしていた。
声をかけると老婆が目を覚ましたが、動きは緩慢だ。長い時間をかけて俺の顔を見ると、しわがれた声が口からつっかえつっかえ、発せられた。
それが宿泊料金だと気付いたが、あまりの安さに驚いた。
「食事は、ないよ。勝手にしな。風呂もない」
そう言葉が続くのに、俺はただ頷くしかなかった。
手が突き出されたので、銭を払っておく。老婆は銭を慎重に数え、それから部屋の番号を口にした。
これで少しは休める、と緊張が少しだけ解けた。
建物の二階の端の部屋が割り当てられたので入ってみる。狭い部屋は一応、清掃はされているようだが、ややカビ臭い。寝台があり、布団が畳まれて置かれていた。他の調度品は、小さな卓と椅子が一脚で、それだけでもう他の空間がないほど部屋は狭い。
まぁ、いいだろう。
そう思った時だった。
扉が軽く叩かれる。誰だろう。あの老婆だろうか。何か不都合があったのか。
返事をした扉を開ける。
そこには真っ黒い装束の男性が立っていた。
誰だ?
俺が何も言えずにいるところへ、男性がわずかに頭を下げ、低音の声でこう言った。
「御使様が、あなたと是非、お話ししたいと仰せでございます」
……御使様?
(続く)
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