第25話

       ◆


 間合いが詰まった時には、剣が走っている。

 刃と刃がぶつかった次には、捻り合っている。

 亡者の剛力に逆らわず、勢いを誘導して、肩からぶつかる。

 衝撃に亡者がよろめき、亡者の顔にかすかに感情が覗く。驚く亡者のよろめきは、足の負傷のせいか。やはり傷を負うことを忘れているのだ。

 剣を横薙ぎに振るうのに、亡者の動きがわずかに遅れた。

 それでも背をいっぱいまで逸らして、俺の剣は亡者の左肩を断ち割るだけになる。

 黒い飛沫が散り、亡者が言葉ではない声を発する。

 まるで魔物の咆哮のようだった。

 その怒号が力となったように、落雷の一撃が俺の頭へ落ちてくる。

 この時、俺の意識から不意に音が消え、視界から色が消えた。

 緩慢に、打ち下ろされる剣が白黒の世界ではっきりと見えている。

 剣を振り上げる動作で、刃に刃を合わせる。

 眩しい光は、二本の剣の間で爆ぜた火花か。

 亡者の剣が逸れていく。

 俺の剣は跳ね上げる動作のまま振り上げられ、停滞なく落下を開始。

 亡者は避けようとしない。いや、避ける姿勢を見せたが、出遅れている。

 最後の最後まで、亡者は自分の不死に頼りすぎた。

 俺の一撃が、亡者の肩に直撃し、食い込み、神権の力が流れ込んでいく。

 亡者の顔が歪み。

 俺は剣を振り抜き、即座に切り上げる。

 雷撃の如き剣筋が、亡者の首を払った。

 首が、飛ぶ。

 黒い液体をまとった剣の切っ先が天を指し。

 亡者の首が地面に落ち。

 首を失った体から漆黒の血飛沫が吹き上がり。

 ついに太陽が沈み、闇がやってきた。

 耳が痛くなるほどの静寂。

 何もかもが凍りついたように動かなかった。

 俺も姿勢を変えることができず、呼吸さえもできずにいた。

 唐突に俺の手元にかすかな衝撃があり、音を立てて剣が折れた。どうやら一人でに折れたらしい。

 それをきっかけに、停止していた時間が再び動き始めた。

 両手から力が抜け、剣を取り落とす。腕に力が入らず、垂れ下がった。膝が震え、跪いていた。

 亡者はまだ立っている。俺が受け流した剣は地面に食い込んでいるが、もうそれを握る亡者の手には力がこもっていない。

 その首なし死体に許しを請うような姿勢のまま、俺はその死体を見上げていた。

 何かが地面に落ち始める。

 砂だ、と思った時には、首なし死体は少し小さくなり、砂は亡者の体の成れの果てだとわかってきた。

 俺が見守る前で、亡者の肉体はやがて全てが砂に変わり、地面に積もって行き、そうして砂の山へと変わっていった。

 空に月が見え、周囲をぼんやりと照らしている。雲がないのが、不思議だった。

 薄明かりの中で、無意識に亡者の首を探したがすぐには見つけられなかった。

 発見したのは首ではなく、小さな砂の山に過ぎなかった。

 亡者はどうやら滅びたらしい。不死であるはずの人間は、魔物を退治するという俺の破魔の力の前に敗北した。裏を返せば、亡者はもはや人間ではなく、魔物と同様のものに成り果ててしまっていた、ということか。それはあまりにも悲しすぎるが、現実だった。

 周囲には生きているものはいない。

 何度も戦場には足を運んだはずなのに、自分が今までに踏み込んだことのない世界にいるような気がした。

 生者の世界ではない。

 死者の世界。

 もしくは、生と死の狭間か。

 帰らなくては、とまず思った。レイスの元へ、戻ると約束した。

 本能的に腰に剣を探し、戦いの結果、折れてしまったと思い出した。

 視線を巡らせてすぐにそれが目に入った。

 地面に斜めに突き立ったままの、亡者が振るっていた剣。遥かな時間、想像もできないほどの数の魔物を切り続けた、亡者の得物。呪詛を宿した剣だった。

 近づいてみると、錆びているようではないが、黒く染まっているような輝きで光をかすかに反射をしている。乏しい光など飲み込むような、そんな質感でもあった。

 恐る恐る手を伸ばし、触れてみる。

 思わず手を離したのは、触れた指先に焼けるような痛みが走ったからだ。

 この剣も、呪詛、怨念に侵されているのか。

 それなら。

 思い切って俺は柄を握り込んだ。

 手が破裂してしまいそうな痛みが爆発するが、即座に俺は神権の力を流し込んだ。

 剣が激しく軋み、甲高い悲鳴のような音を発した。

 それだけだった。

 音は不意に鳴り止み、俺の手を焼くような激しい痛みも消えた。

 剣に力を込め、地面から引き抜き、かざしてみる。

 普通の剣のように見えた。神権がどう作用したかは不明だが、とりあえずは普通の剣としては使えそうだった。邪魔になる腰の鞘を外して捨て、亡者から変じた砂の山を探り、亡者が身にまとっていたボロ布を引っ張り出した。その布で剣を包み込んで、即席の鞘としておく。いつか、どこかでちゃんとした鞘を用意するとしよう。

 もう一度、俺は周囲を見た。

 魔物の死体がいくつも転がり、亡者の痕跡の砂の山は、今にも風に吹き散らされそうだった。

 この死が充満した景色の中で、亡者の成れの果てだけが、異質にも見えた。

 俺が亡者に死を与えたが、亡者の死は、俺が知っている死とはあまりにもかけ離れていた。

 こんなことのために剣を学んだのか。

 無残で、悲惨な死を与えたわけではないことが、救いになりそうなものなのに、俺は何を考えているのか、自分でもわからなかった。

 亡者の死は、その痕跡を残さない。

 俺はどこまでも亡霊の期待を裏切ってきたが、そんな俺の中にも何かしらの期待があったのだろう。亡者を倒すことで、亡霊を解放する。それには破壊らしい破壊、死という死が形としてあるはずだった。

 俺はいつから破壊や死を俺は求めていたのか。

 亡者の最後はしかし、どこか神秘的な最後だった。

 俺の求めるものとはまるで違う終結に、どうして落ち着かないものを感じるのか。

 愚かしいことだ。何もかもが、愚かしい。

 いつまでもこんなところにいてはいけない。不意にそのことに気づいた。

 俺には帰るべき場所がある。

 戦場に背を向け、俺は夜の闇の中を歩き始めた。雲から覗く月明かりの中を進む行為は、どこまでも闇から抜け出せないようでもあった。

 空を見上げれば、わずかだが星はそこにある。

 いつか、どこかで見た星空と同じ星空のはずだ。

 地面には明かりなど一つもないのに、空には光が無数にある不思議。

 俺は歩き続けた。夜の闇に目が慣れても、光は時々、ほとんどなくなって俺を惑わせた。

 どこまでもどこまでも、漆黒の大地は続く。

 夜が明ける頃、魔物の群れと遭遇した。剣を包んでいた布を取り払い、俺は魔物を迎え撃つ。

 亡者から奪った剣で切りつけ、神権の力を流し込む。

 予想外のことが起こったのは、その時だった。

 魔物の肉体が消滅しない。神権が発動しない、と即座に判断し、返す一撃で仕留めて、次の一体に向かう。その魔物にもやはり神権が作用しなかった。純粋な剣技で切り倒す。

 なんとか十体ほどの群れを撃退してから、俺は呼吸を整えながら改めて剣を観察した。

 刃はやはり錆びてはいない。神権によって強化された神権武装と呼ばれる剣のはずだが、といっても強度を増す程度の処置だったと亡霊が語った昔話にあった。錆びないのはその剣に宿る神権のせいか。

 しかし、では何故、俺の神権が作用しないのか。

 俺のすぐそばには斬り殺された魔物の体が転がっている。試しに素手で触れてみて、神権の力を流し込んでみる。

 魔物の体は、砕け散った。

 どうやら神権の力がなくなったとか、操れていない、というわけではないらしい。

 それなら、剣のせいか。亡者から奪った剣が、俺の神権の働きを阻害している?

 仕方がない。帰り道は、剣術だけでなんとか魔物を退けるとしよう。

 俺は再び帰路についた。まだ距離はある。すでにレイスが持たせてくれた食料は失っている。空腹は考えないしかない。意識すればするほど、苛まれるものだ。喉の渇きも、今は無視する。人は飲まず食わずでは生きられないが、今は飲まず食わずでも歩かなければ、やはり生き残れない。

 数日を経るうちに意識が朦朧するが、足だけは先へ進み続ける。何を見ずとも、帰り道だけは覚えている。

 視界にそれが見えた時、唐突に感覚が蘇った。重すぎる疲労はもう一歩も足など進ませようとしない。それなのに、一歩が踏み出せるのは、そこに住み慣れた我が家があるからだ。

 低い丘をゆっくりと登り、ゆっくりと降りていく。

 すぐそこに家が見え、こちらに駆けてくる人影も見えた。

 レイス。待っていたのか。

 戻ってきたぞ。

 普段は見せない無様な走り方で、レイスが駆け寄ってくるのを、俺は足を止めて待ち構えた。

 涙でぐしゃぐしゃになった顔が間近に見え、次にはレイスが俺の体に抱きついていた。

 衝撃に足が滑り、背中から倒れこむ。硬い地面に強打した背中の痛みも、今は遠い。

 レイスが泣いている。咽び泣いている。

「戻ってくると言っただろう」

 そう声にしても、自分の声とは思えないほど掠れていて、レイスに聞き取れたかはわからない。けどレイスが何度も頷くから、聞こえたということか。

 休みたい。水と、食事が欲しい。

 しかし今は、レイスのためにしばらく、じっとしていよう。



(続く)

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