第24話

       ◆


 どれだけの魔物を退けたか、俺は真新しい戦場に踏み込んでいた。

 悪寒が背筋を這う。倒れている防衛軍の兵士は、まだ新しかった。目を見開いたまま横たわっている死体は、今にも動き出しそうだった。

 しかし、彼らは呼吸をしていない。鼓動も止まっているのだろう。

 蝿が飛び回る音が耳障りだ。

 どこかから微かな呻き声が聞こえるが、あまりにも倒れているものが多すぎる。人間の兵士と折り重なるように倒れている魔物の喘鳴も混ざり、不自然で不気味な音色となって漂っている。

 俺の役目は、生存者を回収することではない。近いうちに、防衛軍の部隊がここへやってくるだろうが、どれだけの負傷者がその時まで生きているかは、知るすべはない。

 俺は戦場を彷徨いながら、目指すべき亡者を探した。

 亡霊自身が語るには、亡者は魔物を常に求め続けているという。亡者を捕捉したければ、魔物の群れを追うのが良い、と聞かされている。

 この戦場にはすでに生きている魔物はいない。

 遠くを見ると、日が傾いて赤く染まっている。

 その真紅の中に、魔物の群れの影が見て取れた。

 まるで俺自身が亡者であるように、そちらに向けて踏み出していた。

 最初、魔物はこちらへ向かってくると思っていた。しかし、近づくにつれてまったく別の光景が見て取れるようになった。

 魔物は人間の生存圏、位置的に南にあたる方向へ向かっているのではない。その場で群れを作って、蠢いているのだ。群れの規模は大きく、一〇〇体近いのではないか。

 何故、一か所に留まっているのか、疑問が足を速めさせる。

 やや高くなっている丘に上がることで、全貌が判明した。

 魔物の大集団は一人の人間を取り巻き、押し包んでいる。

 いや、人間ではない。

 亡者だった。

 亡者は魔物の群れの中で、たった一人で戦い続けている。

 魔物の断末魔、肉が割かれ、骨が砕ける音、血しぶきが跳ねる音が重なり合い、さらに魔物の咆哮や地面が踏み鳴らされる音が追加され、聞いたこともない音楽が、虐殺の戦場を演出していた。

 俺は剣を抜いていた。

(助ける必要などあるまい)

 亡霊の言葉を無視して、俺は抜き身の剣を下げて魔物の群れに近づいていった。

 すぐそばにいた数体がこちらに気づく。

 気づいた次には剣で首をはねられ、神権で肉体を塵として消し飛ばされている。

 あとは乱戦だった。

 魔物は俺の乱入に慌てる様子はなかった。危険を感じることができないのかもしれないし、数が多いことで勝利を確信していたのかもしれない。

 しかし俺は容易にやられるつもりはなかったし、こちらこそ勝てると確信していた。

 剣が振るわれる度に、魔物の群れが削り取られていく。魔物は悲鳴をあげることもできず、粉砕されていく。

 亡者は亡者で、その強力な剣で魔物を叩き切っていく。驚異的な切れ味の剣は、魔物の胴体を容易に輪切りにしてみせる。防ごうとする魔物の粗末な武器を切断し、勢いそのままに魔物を両断することもできる。

 たった二人の人間が、一〇〇を超える魔物を、いいように倒していく。

 これこそが、虐殺だったかもしれない。

 魔物たちは逃げようとした。しかし遅かった。俺と亡者が言葉も何もなく、それぞれに魔物の行く手を塞ぎ、切り倒し、また移動することで、魔物を巧妙に逃さなかった。

 絶望に駆られたらしい魔物が俺に突撃してきて、しかし俺の神権の前には無力だった。

 俺の斬撃が粉砕したところで、亡者の方も自分に向かってきた最後の一体を斬り伏せたところだった。

 唐突に戦場に静けさが戻り、鋭い音を立てて風が吹き抜けた。

 すでに太陽の位置はかなり低く、周囲は薄暗くなりつつある。

 どういう作用か、亡者の瞳は赤く光り、乏しい光量の中でよく見えた。

「切ってもいいな」

 俺が囁くのに、答えるものはいない。問いを向けられたと亡霊も気づいているはずだが、無視しているのか。

 それは、切ってもいい、ということだろう。

 切れるのなら。

 俺は姿勢を整え、亡者との間合いをはかった。

 亡者の方も俺を敵と認識し、しかし無造作に間合いを詰めてくる。

 ついさっきまで、二人で協力するように魔物を屠ったことなどなかったかのように、二人はお互いを敵として見ていた。

 二人の間にある距離が一定に達したところで、静止がやってくる。

 それは俺が亡霊から教わった剣術における、重要な距離だ。一歩を踏み込み、剣を繰り出せば相手を切れる間合い。これより広ければ踏み込みが足りないことになり、これより狭ければ、剣を振る動きが窮屈になる。

 この間合いは、最も剣が生きる距離である。

 亡霊の本体である亡者と、俺の使う剣はやはり同じなのだ。

 考えている余裕はない。

 亡者が鋭く踏み込んでくる。俺は明らかに出遅れていた。

 横っとびに斜めの斬撃を回避するが、肩口を刃が掠めていく。

 地面に転がり、魔物の血とその血でできた泥濘を全身に浴びながら、仕切りなおそうとする。

 それを亡者が許さずに追撃。俺はさらに転がって逃れる。

 地面の土を手に取り、亡者の顔へ投げつけるが、読まれていた。剣を小さく払い、土は跳ね飛ばされる。払いきれなかった土を浴びても、亡者は片目をつむっていることで目潰しを回避しながら、こちらを捉え続ける。

 それでも土を払わせた動きで、攻撃の手を一度、止めることができた。

 立ち上がり、横薙ぎの重い一撃を剣を立てて受け、受け切れないと見て地面を蹴る。衝撃と地面を蹴る力で大きく距離を取り、今度こそ、仕切り直し。

 亡者が構えを取り直し、警戒する姿勢。

 俺は俺で、両手の痺れに防御に徹することの無意味さを理解していた。

 受けるよりは避けるべきだ。避けるよりも、攻撃に転じるべきかもしれない。

 姿勢を低くし、両脚に力をためる。まだ間合いは広いが、亡者は自ら踏み込んでくると俺は見ていた。

 亡者は人間でいえば常に冷静で、動揺することはない。それは恐怖や逡巡がないということだが、その分だけ読みやすい。

 亡者は間違いなく自ら間合いを潰す。

 俺を倒すことしか考えていないからだ。

 案の定、亡者は間合いを潰し、最適の距離を鋭い踏み込みで消しにきた。

 それは待っていた瞬間でもあった。

 俺の両脚が地面を蹴りつけ、斜め前へ体が跳ねる。亡者の斜め前へ出るような形だが、亡者が柔軟に姿勢を変え、俺へ飛燕の如き刃を繰り出す。

 俺はさらに地面を蹴り、切り返すように直角へ跳んだ。

 亡者の剣は俺の至近を突き抜ける。

 当たらなければ、どんなに切れ味のいい剣でも、なまくらと同じだ。

 俺の剣が翻る。

 亡者は、その場で足を止めた。

 瞬間的な閃きが俺の頭の中で起こるが、検証する余地はない。

 俺が手にした剣の切っ先が亡者の胸に食い込む。

 神権を発動。

 だが、同時に亡者の剣も手元へ引き寄せられている。

 亡者の肉体は、塵に帰ることはない。ただ、胸の傷口からはドス黒い泥ようなものが溢れていた。それだけだ。

 亡者は俺を見据え、切っ先を繰り出してきた。

 光が瞬くような刺突は、夕日を受けて赤い閃光に見えた。

 体を地面に投げ出すことで、かろうじて切っ先を回避できた。

 追撃に備えて地面を転がっていく俺だったが、想定していた追撃はなかった。

 距離を十分にとってから立ち上がってみると、亡者は自らの胸を押さえて、立ち尽くしていた。その手がやはり黒く染まっている。とても血液には見えないが、亡者の血液なのかもしれない。

 俺は剣を構え直し、何かに気づいたはずだと思考をめまぐるしく回転させた。

 亡者は俺の一撃を避けなかった。何故か。

 亡者は俺との間合いを詰めてくると確信があった。何故か。

 両者は同じところから始まっている。

 亡者は死なない、と俺は理解している。普通の攻撃では死ぬことはない。亡者自身も、それを知っているのではないか。知っているというより、亡者は自分が乙種流刑に処された身であり、大前提として「不死」があるのだ。

 だからこそ、亡者は間合いに固執しないし、負傷を恐れない。

 そこに、つけ込めるかもしれない。

 亡者は今、負傷している。以前とは違う、傷が治癒していない。俺の神権は機能している。

 致命傷さえ与えれば亡者を倒せるのではないか、と目論んでいたが、致命傷を負わせるという絶対条件を実現する手段は曖昧だった。それが今、思わぬ形で、見えてきている。

 倒せる。

 俺は立ち尽くす亡者に、ゆっくりと足を送っていく。

 亡者は剣を構え直した。胸からの出血は細くなっている。剣を当て、神権の力を行使しても、亡者の想像を絶する不死を容易には打ち破れない。

 一撃で、回復不能な傷を負わせるしかない。

 間合いが消える。

 右へ左へ跳ねる俺を、亡者の斬撃が追いかけてくるが、触れそうなところを走るだけで俺を捉えきれない。

 一方、俺の剣は亡者の足元へ走っている。

 かろうじて切っ先が左足のすねにくい込み、神権が傷の治癒を阻害。

 亡者が足を送る動きは途端にぎこちなくなる。

 剣が弧を描き、刺突が亡者の胸へ閃く。

 しかし、亡者が背を逸らし、切っ先は脇を引き裂くだけにしかならない。

 亡者が俺を蹴りつけ、跳ね飛ばされた俺は地面に肩から叩きつけられる。泥にまみれ、魔物の臓物にまみれて、起き上がる。

 亡者の目が、爛々と輝き、俺を見据えている。

 決着をつける意思がそこにある。

 亡者が剣を構えた。俺も構える。

 二人の構えは一致している。

 お互いに使う剣の術理は同一のもの。

 しかし生きてきた世界は、まるで違う。

 片や、自動的に魔物を殺戮し続けた剣士。

 片や、超常の力に頼るしかない剣士。

 俺は恐怖を忘れるほどの集中を練り上げていく。その中では、残してきたレイスのことも、何もかもが忘れ去られていく。

 剣を走らせるべき筋が、まるで実体が存在するかのようにはっきり見える。

 命を賭けることに、躊躇いはない。

 勝利の予感もなく、しかし敗北の想像もなく。

 亡者が踏み込み、俺が踏み込んだ。

 剣が、動き出す。



(続く)

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