第21話

      ◆



 体を作り直しながら、俺はあの亡者、乙種流刑の罰を受け続けている亡霊の本体の技について、思い描き続けた。

 頭の中に像を描き出し、繰り出される剣術を思い描く。

 一回だけ、ほんの短い間だけ相対した相手だが、それでもその剣術の冴えは理解している。剛力に隠れて見えなかったが、合理性がある。術理、である。

 最初は、自分が防いだ筋を想像した。俺がかろうじて凌いだ猛攻は、流れるように振りと振りが繋がっていたとわかってきた。あの時は必死だったが、こちらには防ぐ以外に手はなかったのだ。

 振りと振りが繋がる、ということは、動きと動きが連結していることを意味する。

 それが裏を返せば、振りと、その一つ前の振りの間にはある種の必然性があるということだ。そしてさらに一つ前、もう一つ前とその必然性は、鎖のようにつながっている。

 理屈の上では、だ。

 一度でも剣を振ってしまえば、繋げられる動きは限定される。それが俺が必然性と表現している要素だ。この必然性から逸脱するのは、非合理ということになる。合理性を追求すれば、必然性からは逃れられない。

 例えば真正面からの打ち下ろしを繰り出してしまえば、次に水平に薙ぎ払うことは事実上、不可能だ。やろうと思えばできるが、地面すれすれまで振り下ろした剣を、どうにかこうにか手元に引き寄せなければ、薙ぎ払う動作に移れない。全くの非合理。

 もちろん、剣は剣だけで存在するわけでもない。剣を握る手があり、手は腕につながり、腕は肩、肩は上体、上体は足腰、と体全体と関連しているので、やろうと思えば、から竹割りから横薙ぎへ、速やかに移行できるだろう。

 ただ、絶対に省略できない物理的な距離があり、その距離を容認するのは、無駄を容認すると言ってもいい。

 紙一重の斬り合いの中で、その無駄を甘んじて受け入れることは、ほとんどの使い手にはできない。危険すぎる。

 技を極めているわけでもない俺にもできそうもない。技ではないところではなく、技の中で勝ちを探すことになる。

 そしておそらく、あの亡者も技からの逸脱は受け入れないだろう。そう思える。

 俺が亡霊から教わった剣術は、亡者が使う剣に少しだが似ている。だからこそ、一撃で即死することを避けられた、とも考えられた。

 似ているのは当然だ。

 亡者の剣術を、亡霊を介して俺が習ったようなものである。

 俺と亡者の剣は、大半の部分で同じ理屈で機能し、同じ思考をしていることになるので、単純に発想すれば、俺が嫌がることを亡霊も嫌がるはずだった。まさしく理屈の上では。

 しかし、両者の間に絶対に埋められないことがある。

 俺は一撃でも剣を受ければ、おそらく戦いを継続できない。

 亡者は、致命傷を負っても、死ぬことはない。神権教会の御使が与えた、不死の罰。それが亡者をある意味では無敵にしていた。

 この一点だけが、どこまでいっても解決できなかった。

 自分の剣術を検証し続ければ、亡者の動きの先を読み、致命傷を繰り出すことはできる。致命傷とは、一般的な致命傷ではなく決定的な致命傷、首をはねる事も、あるいは出来るかもしれない。

 ただ、亡霊が俺に語ったところでは、乙種流刑の罰を受けたものの不死性は、首をはねたところで、意味がない。どれだけ知恵を絞っても、その一点が最大の問題だった。

 試しに首をはねて試してみよう、という気にはなれない。その一撃を繰り出すためには、亡者と剣を向け合い、隙を作り、そこを正確につく必要があるのだが、亡者の体力が無限で、精神的にもおそらく本能的に戦っている一方、俺は違う。人間並みの体力しかなく、決死の技比べによる疲労は軽いものではないだろう。

 ついでに、もし首をはねる事に成功しても、亡者の肉体が元どおりに修復された時、俺にできることは逃げることしかない。そして逃げられるかは、はっきり言って自信がない。ここでもやはり体力の問題がある。

 どこまで考えたところで、亡者を倒すためには、不死者を殺す、という矛盾を解消しないといけなかった。

 俺はレイスの畑仕事を手伝い、たまに近隣に住む男たちと戦場に足を運び、肉体の回復に努めた。最初は慣れていたはずの金属製の鍬に翻弄されていた体も、少しずつ安定していくので、その点では安堵があった。

 二度と戦えない体になったわけではないのだ。

 胸の傷は、何度も傷口が化膿して膿が溜まったが、その度に治療しているとゆっくりと治っていった。傷の治癒にしてはよくある傷に比べるとあまりにも長引いたが、俺の記憶には亡霊が囁いたことが残っている。

 毒のようなもの。亡霊はそう口にした。

 亡霊に真意を確認したかったが、亡霊はもう俺のそばには現れない。

 俺の決意、意志に反発しているのかもしれないし、もしくは俺を助けるときの疲労とやらが尾を引いているのかもしれない。昇天していないのは、レイスが今もレイスであることでわかる。

 レイス自身に訊ねてはいないが、レイスは亡霊が用意しているということだから、亡霊が消えれば、レイスも消えてしまうのがありそうなことだ。

 ずっとそばにい続けているレイスのことも、俺は少しずつ考えるようになった。

 彼女は自分の意志だけで俺のそばにいるわけではない。用意された、作られた存在なのだ。そのことは俺を悩ませた。レイスの優しさ、愛情は、偽物と言ってもいい。そしてそれに甘える俺は、レイスの本当の意志のようなものを無視している。

 ウルダが狂った理由もわかり始めた。ウルダはいくつものことに苛まれていただろう。祖父によって作られた自分。その自分にあてがわれた女。そして、自分の後を継ぐためだけに生まれた息子。

 自分とは無関係の復讐のため、剣を教えられる日々。

 そして生まれた、ルードの復讐でも、ウェズの復讐でもない、ウルダ自身の復讐。

 レイスを殺し、亡者と化したルードを殺すという、復讐。

 苦しみが想像できるからこそ、俺はウルダと話してみたいと思っていた。

 父と子として。

 それはもう叶うことがない望みだ。

 俺にできることは、ウルダの代わりにルードを殺すことだった。亡者を倒し、消滅させる。それが死んだレイスのためにもなるはずだ。

 ルードの復讐は、俺とは関係ない。そのはずだ。

 まずは亡者を倒す。その一念で、俺はレイスとの関係を棚上げした。

 剣術を磨き、感覚を磨き、しかしそれでは足りない。

 亡霊の助言が必要だ、といつからか思い始めた。亡霊の知識が、俺には必要だった。

 待ち続けた。

 自分を殺すために知恵を授けるなどと、愚かなことはしないかもしれないが、不思議と確信があった。

 亡霊が、本当の意味で自由になるには、自分の肉体が消滅することが必要不可欠なのだ。

 あとは亡霊がどう考えるかだった。

 復讐を継続するか。死ぬことを許されない自分を容認し続けるか。

 その日は唐突に来た。

 いつも通り、俺は予備の剣を手にしてボロ屋の表に立っていた。

 頭の中に浮かび上がる剣の筋が、何もないはずの虚空に無数の筋のようにして浮かび上がって見える。その線とは別の、少し色の違う線もまた無数に浮かんでいる。

 片方は俺の選びうる剣の筋。

 片方は敵が選びうる剣の筋。

 ゆっくりと剣を持ち上げると、筋の分布が変化する。

 剣を振る瞬間に一つだけになり、また花が開くように筋が広がる。

 一方、相手の筋はまた別の変化をする。俺の剣を防ぐ筋、かわす筋、相打ちの筋までもが俺には思い描ける。

 いつからか身についた、不可思議な感覚。

(化けたものだ)

 不意な声に視線を走らせるが、亡霊は姿を見せない。

(もう三年も経つのだな)

 声は遠くでしている。茫洋していて、位置が判然としない。

「あんたの指導が良かった、ってことじゃないかな」

(自分で自分を殺すものを育てるとは、愚かなことだ)

「自分が弟子に負けると思っている、ということかな」

 さてな、と声が返ってくる。

(不死者を殺せるか)

「その方法を、あんたに是非とも聞きたい」

 今度は返事がなかった。しかしそばにいるはずだ。

「教えてくれ。何か、知っているんだろう」

 やはり返事はない。俺は視線を周囲に向ける。姿も気配もない。

 風の揺らぎがわずかに違う気もするが、勘違いだろう。勘違いでも、そこを見据える。滑稽なら滑稽で、亡霊が乗ってくるかもしれない。

 沈黙と静止。

 湿った風がそよぎ、俺の髪を揺らす。

 他には何も変化はなかった。

「教えてくれ」

 声をかける。虚空へ。

 虚無へ。

「頼む」

(私にも、わからぬ)

 苦渋に満ちた声だった。

(しかしお前の神権には、光明があるかもしれない)

「俺の神権? なんのことだ?」

 線のことを言っているのだろうか。しかし亡霊にも見えないはずだ。

 わからぬよ、と亡霊の声がかすれる。

(私をこれだけ衰弱させているのは、ウェズにも、ウルダにもなかったことだ。お前には不思議な力がある)

「あんたを弱らせた? それが神権だって?」

(私の剣の刃を受けた時、お前の体は腐敗するはずだった。他のものは、肉体が衰弱し、腐り、朽ちたのにな。お前の体は、あの剣の力を凌いだのだ。普通ではあるまい)

 困惑する以外にない。

 てっきり運が良かったか、体が丈夫だからだと思っていた。

 自分の神権について真剣に考えたことはなかったし、さほど期待もしていなかったが、ただ、有利に働く力がこの身にあるとすれば、それは都合がいい。

「神権を操る術は、どうすれば身につく?」

 実践しかあるまいよ、と亡霊はそっけなく答えた。

 俺は視線を北へ向けた。

 実践とはつまり、魔物を相手にやってみろ、ということなのだ。

 実践には、実戦が最適だ。




(続く)

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