第20話
◆
長い沈黙を破るものはいなかった。
遠くでレイスが畑をいじっているが、こちらには注意を向けていない。他に人気はなく、この時は頻繁に目撃するカラスの影すらなかった。
長い長い静寂。
(お前は)
亡霊が囁く。
(そのために生まれたのだ)
そうだろうな、とは内心で思うだけにして、答えなかった。
亡霊と化したルード、俺の知らなかったウェズという男、不憫な境遇のウルダ、そして何者でもない俺。
誰も彼もが、絶望の中で生きていたのに、俺だけが何も知らず、勝手だった。
でも、それが普通なんじゃないのか。
誰もが使命を与えられて生まれるわけではない。そもそもは自由なのだ。生まれた環境、境遇で差ができるだけで、誰もにほぼ同じものが与えられている。
それは個性はあるだろう。剣に秀でるものもいれば、計算に秀でるものもいる。自分が得手とするものに居場所を見つけるものもいれば、不得手な場所に進もうとする者もいる。生きることは合理性や効率で全てが決まるわけではない。成功するによ、失敗するにせよ、まずは行動があり、行動より前には意志がある。
俺にとってはウルダの絶望も、ウェズの決意も、ルードの悲劇も、どこまでいっても他人事だった。
もし俺がカーバイン侯爵とやらを殺したところで、何かが変わるわけではない。ルードもウェズもウルダも、蘇ることはない。別の世界が唐突に出現するわけではない。この世界からカーバイン侯爵が消える、というだけで、結局はありとあらゆる負の感情の延長線上に未来はあるのだ。
もっとも、ルードを破滅させたカーバイン侯爵という人物は、とっくに死んで墓の下にいるだろう。カーバイン侯爵家が残っていても、もうルードのことなど忘れているはずだ。排除すべき人間など他にも大勢いただろうし、条件が整えば排除したのに違いない。消した人間のことを覚えているとすれば、報復を恐れている場合くらいか。
俺にできることは何もない等しい。
「あんた、ルードさんはどうなるんだい」
努めて明るい口調で言ってみたが、やや空虚に響いた。答える亡霊の言葉も、陰鬱としている。
(どうなる、とは)
「もし俺が、カーバイン侯爵だか、その血筋の者を殺した時、あんたはどうなるのか、ということだよ。満足するとして、それでどうなる? どうやら俺が挑戦した、ウルダを殺したというあの亡者があんたの本体らしいが、あれはどうなる」
(さてな。未来永劫、朽ちることもなく、ただ剣を振り続けるのかもしれん)
「じゃあ今のあんた、その亡霊のような有様のあんたは、どうなるんだ」
(やはり、ぼんやりとどこかを彷徨うのかもしれん)
それじゃ救われないだろう、と応じようとする俺より先に、亡霊の声が流れる。
(乙種流刑とは、そういう刑罰だ。死ぬことを許されない罰なのだから、これが当然だ)
「あんたは自分は罠に嵌められた無実の身で、冤罪だったと俺に語ったじゃないか。それならあんたが受けている罰は、不当なんじゃないか」
(アルタよ、全ては複雑に入り組んでいるのだ。誰もが正当に評価されないように、不当な罰を受けることもある。運が悪い、と言ってしまえば身も蓋もないが、これは誰もに降りかかる可能性のあることなのだ。この世は神が作ったとされるが、社会は人が作ったものだ。全知全能なる神ならともかく、不完全な人間が支配する場所に、正しさを求める方が無理であろう。違うか)
「それは、俺は社会というものを知らないけど……」
俺が知っているのは、北部戦域の外れの、狭い世界だけだった。ルードが口にした皇都という場所も、名称は知っていてもどういう場所かは分かっていない。すぐそばには北部戦域を担当している防衛軍の中枢が置かれた基地都市があるが、そこでさえもこの目で見たことはない。
何も知らない自分を、今ほど恨めしいと思ったことはない。
一方で、ルードは自分の復讐を遂げさせる人間に、復讐の方法以外の何も教えていないのだとも気づいた。それはそれで不合理だが、そこにルード自身の変質があるようにも思えた。
ルードが亡霊となってまで復讐を求めたのは間違いない。しかし、復讐の手段や段取りは、どこかの段階で無視されてしまった。
それは、復讐というよりは、相手を殺すという一点に全てが集中してしまった、ということではないのか。
こうなっては、この復讐は復讐とは言えないだろう。
純粋な恨み、憎悪だけが残っている。
亡霊の思考の中に、失われた愛する人、ミユナの存在はどれほど残っているのだろうか。
「復讐にどれほどの意味がある?」
問いかける相手も見えないまま、問いかけを向けた。
返事は、どこからともなく、聞こえてくる。それは過去から響いてくるようでもある。
(死んだものを、無意味にしないことはできる)
「死んだもの? あんたの恨みのために、殺されたものだろう」
亡霊はすぐに答えた。
(ミユナを死なせた、そこから全てが始まっている)
「ミユナという女のことを、俺は少しも知らないが、ただルード、あんたが近づきさえしなければ、良かったかもしれないな」
強烈な雷撃が俺のすぐそばで弾けたが、俺は一歩も動かなかった。皮膚に痺れが走るが、気にもならなかった。
「それが事実の一側面だろう。あんたにも責任はあったはずだ。もっとうまくやることもできたし、身分や立場をわきまえて行動することもできた。それは、忘れてはいけないことだ」
(私が正しいとは言わん。しかし、カーバインの誤りは、糾さなければならん)
「もう死んでいるよ」
(誰かが、その罰を肩代わりせねばならん。そのために、私は、私は……)
亡霊の気配が遠くなり、薄くなる。
わかっているのだ、この復讐がすでに、意味も意義もないということに。
全ては過ぎ去り、忘れ去られている。当人の中ですら、残っているのは強い感情だけで、それはただの感情としてそこに残っている、残餌のようなものだ。
俺は溜息を吐き、改めて背後を振り返り、レイスの様子を確認した。
いつか、俺がそうしていたように、金属製の鍬を軽々と振るい、土を起こしている。丁寧に、深くから掘り起こさないと何の植物も育たない土地だった。雨が降らないこともあり、水を運ばないといけない。灌漑などという便利なものはない。作るための道具もなければ、維持するのも困難だし、そもそも作れる能力や知識を持つものもいない。
どん詰まりの、この世の果て。
ウルダの気持ちが少しだけわかった気がした。
こんなところで、見も知らない人物の代わりに復讐を遂げるためだけに生まれ、復讐の手段だけを仕込まれて日々を送る。子を作ることさえもが復讐の一環であり、女との間には愛など存在せず、ただ自分の知らない他人の意志だけが働いている。
亡霊は口にしなかったが、ウルダがあの亡霊の本体である亡者に向かって行ったのは、ウルダなりの復讐なのだ。
自分を生み出し、好き勝手にした相手への、復讐。
復讐を遂げようとするものが、いつの間にか復讐の対象になっている。
ウルダが亡者に倒された時、俺もまた、亡者に復讐しようと考えた。
実行して、敗れたが、まだ死んではいない。
俺が戦うべき相手は決まっている。
儚い望みではあるが、それが亡霊への救いになるかもしれない。
「ルードさん、俺は、あんたを切るよ」
そう口にしても、返事はない。構わずに言葉を続ける。叩きつけるような、強い口調で。
「ただ生きて剣を振るだけのあんたを、俺は倒す。それでウルダも少しは浮かばれるだろう。その後のことは、その時に決める」
やめておけ、とかすかな声がした。
(次は間違いなく、殺されるぞ)
「今度は、うまくやるさ」
作業の手を止めて、レイスがこちらを見ている。
戦うと決めた以上、この身体じゃどうしようもない。少しは鍛え直さないと。
亡霊との話を切り上げ、俺はレイスに歩み寄って行く。畑作業で、ちょっとは体力を取り戻すとしよう。レイスはまだ不安そうな視線をしているが、構うものか。
(続く)
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