第19話
◆
俺が黙って聞いているのは、半ば呆気にとられたからだ。
亡霊が語ることは、俺には現実のこととは思えなかったが、ありえないことではない、気がする。
(私はミユナの気配を探した。意識は肉体を離れ始め、私はおそらく憎悪の異常な作用で、こうして亡霊となった)
「で」
俺の口の中は、自然と乾いていた。
「ミユナっていう女は、生きていたのか? 死んでいたのか?」
(私が感じ取った彼女の気配は、彼女の気配が濃密なだけで、彼女ではなかった)
つまり、結局は死んでいたのか。
(ミユナはカーバイン侯爵邸に軟禁されたまま、出産した。そしてそのまま亡くなったそうだ)
「誰から聞いたんだ、そんな話を。こんな地獄のような場所まで、誰かが親切にも伝えに来てくれたのか?」
(親切とは違うが、私を追ってきたものがいた)
追ってきた?
「まさかあんたの無実を証明するためじゃないよな」
(少し違うが、私の無実を信じているものだった)
「誰だ?」
(私の子だ。ミユナとの間に生まれた、男だ)
予想外の言葉にに、言葉が出ない。
ミユナは死んだが、子どもは生きていたのか。しかしどういう立場で育ったのだろうか。カーバイン侯爵という男が、自分の娘の血を引いているとはいえ、ルードの子を愛し、慈しんで育てるとは到底、思えなかった。
亡霊が言葉を続ける。
(私の子は、ウェズと名付けられていた。ウェズは何も知らされないまま、カーバイン侯爵邸で下男としては育っていた。あの侯爵も、自由に外に放り出すわけにいかなかったのだろう。ウェズはそのまま飼い殺しにされ、何事もなく使役され続けるはずだった。だが、運命は彼を放っておかなかった)
「誰かが出自を教えたわけだ」
(そういうことだ。ウェズは三十を幾らか過ぎた頃、たまたまルード・ハルハロンという男が存在し、すでに噂にもならなくなっていたカーバイン侯爵の娘との間に子をなしたと聞いた。それだけならまだ、ウェズは他人のことと考えただろう。だが、彼は自分こそが二人の子だと知ってしまった)
「知って、あんたを探した?」
亡霊が少し沈黙し、答える。
(ウェズは自分の両親、特に父親を破滅させた原因であるカーバイン侯爵に仕えることをやめた。父親が北部戦域に乙種流刑にされたことを知ると、彼は密かに皇都を脱出し、一人きりで北部戦域までやってきた。あてもなく私を探したわけだが、それもやはり本来なら徒労であり、ウェズはどこかの段階で魔物に襲われて死んでいただろう)
「だが、あんたはそのウェズという男にミユナの気配を感じ、あんたの方からもウェズを探した。会えたのか?」
(会えたよ)
頭の中に響く声のはずなのに、かすれて聞こえた。あるいはそれは、当時の感情の発露だったかもしれない。
(私の亡霊に遭遇したウェズは、恐慌状態に陥った。私も必死の努力を重ね、なんとか彼に自分のことを理解させた。見ず知らずの相手、しかも実体を持たない存在を前にして、ウェズはお前にそっくりの察しの良さを発揮した。自分が父親とかろうじて接点を持ったことで、ウェズは自分の考えを私に話し始めた。繰り返し考えて出した結論は、私の中にある感情と重なり合った)
「つまり親子二代で、カーバイン侯爵に復讐しよう、ってことか」
(そうだ)
簡潔な亡霊の肯定に、俺は思わず声を漏らしていた。
「馬鹿な。そんなことに大した意味はない。死んだ人間は蘇らないんだぞ」
(ウルダの仇を討とうとするお前にそんなことが言えるのか)
言葉に詰まる俺に、亡霊の言葉が重ねられる。
(私はカーバイン侯爵を許す気はない。そしてウェズにも許す気はない。そうなれば他に選択肢はない。ただの下男に過ぎないウェズに、私は剣術を教え始めた。その手でカーバイン侯爵の首を打たせるためだ)
「馬鹿げているよ。それなら下男のまま、ひっそりと侯爵を暗殺したほうが現実味がある」
(カーバイン侯爵はウェズを探したはずだ。もう下男にはなれない。しかし例えば、カーバイン侯爵の私兵として混ざり込むことができれば、容易に目的は達成できる。そのためには武勲が必要で、武勲をあげるには、剣術だった。幸い、北部戦域には防衛軍が駐屯している。そこに混ざるのは容易いことだ)
遠回りをしたものだ。亡霊が皇都まで行って、侯爵を呪い殺した方が早い気がするが、亡霊はそう遠くまではいけないという話をいつか、聞いた気がする。便利なのか不便なのか、わからない存在だ。
「で、そのウェズという男はどうなったんだ?」
(長い時間、私たちは根気強く技を磨いた。しかし、ウェズには才能がなかった。年を取りすぎていることもあった。だから私たちは次の段階に移った)
「次の段階?」
(ウェズに子どもを作らせた。その子どもを、一から教育し、一流の剣士に育てることにしたのだ)
言葉の意味を理解した時、嫌悪感が湧き上がってきた。
「それは、生まれてくる子どものことを考えていない。残酷すぎる。許されることじゃない」
(全ては復讐のためだ。正当なる報いを受けさせるためだ)
亡霊はいとも容易く言葉にするが、非情すぎる。それではまるで、道具を用意したようなものじゃないか。
(私は自分の中に生まれた不可思議な力を使い、女を洗脳した。その女にレイスと名をつけ、ウェズとの間に子を産ませた。その子は、ウルダだ)
時が止まったような気がした。
レイスと名付け。
ウルダが生まれた。
「おい、それは、おかしいだろう。ウルダは、つまり、あんたの孫か?」
(そうだ。孫であり、ウェズの後を引き継いだ私の弟子だ)
思わず口元に手をやっていた。ヘドが出る、というのはこういうことを言うのだろう。
「ウルダは、あんたの期待に応えられなかった?」
(ウルダは幼少期から剣術を教えて、そこそこに見所はあったが、精神に異常をきたし始めた。私を憎み、恨むようになった。私はやはり次の世代のことを考えた。ウルダが目的を達成できなかった時のためにだ)
声が自然と口から流れていく。止められなかった。
「だから今度は、ウルダに女をあてがった。その女の名前も、レイス?」
(そういうことだ。ウルダはしかし、レイスとの間に子を一人しか残さず、そのレイスも、ウルダに殺されてしまった。私がカーバイン侯爵に対して憎悪を抱いたように、ウルダの中には私への憎悪が生まれていたのだ。それ以降、ウルダは私を拒絶した。私はウルダのそばにレイスを何度か差し向けたが、その度にウルダはレイスを斬り殺した。そして、子と二人きりの生活を送り始めた)
「……ちょっと待て」
俺は反射的に亡霊の姿を探したが、見えない。
「子と二人きりで生活を送り始めた? ウルダは俺と暮らしていた。俺はウルダの子ではない」
(それは誤認だ。ウルダはお前を自分の子ではないと思い込もうとした。それは自分が祖父の亡霊の道具ではないと思うための、一つのやり方だったのだろう。しかし紛れもなく、アルタ、お前はウルダの子であり、私の血も引いている)
ウルダが、俺の父親……。
あのオッサンが、父だったのか。
落胆とも、拍子抜けとも違う、感じたことのない脱力感があった。
無口な男だったが、もっと色々と聞けばよかった。いや、俺のことを子どもと認めていないのだから、何を問いかけても、答えなかったかもしれない。
親なら、もっと親らしいことをして欲しかった。
ため息が漏れ、俺は天を仰いでいた。
今日も空は重そうな雲に覆われている。
両親に会いたいと思った時期もあったが、今はもうそんな気は少しもなかった。こんなところで真実を知ったところで、意味はなかった。全てが手遅れだった。
ウルダは死んでしまった。自分の口では何も言わずに。
それで、と俺は姿を見せない亡霊に声をかける。
「それで、あんたはまだ俺に復讐とやらを押し付けるのか」
返事はすぐにはなかった。
ただすぐそばに何かがいるのは感じていた。
答えを俺は待った。
俺の曽祖父から続く強い意志を、俺も受け継いでいるのかもしれないと思いながら。
(続く)
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