第18話
◆
こうなっては、もはや事態は動かし難かった。
それでも私は最後まで、全てが間違っていると主張したが、誰一人、聞く耳を持たなかった。
ミユナは本当のことを知っているはずだった。彼女と私は愛し合い、理解し合っている。ミユナは私を裏切るわけがない。私を捨てるわけもない。
私を救ってくれる。
そのはずだったが、私を助けるものは現れなかった。
誰にも真相を理解してもらえないまま、私の身柄は他の罪人とともに神権教会へ送られた。
乙種流刑の受刑者は神権教会において、御使の強力な神権により寿命を剥奪され、不死者とされる。ここまでの神権は、御使にしか扱えないのだ。教会の神秘の一つでもある。
私は戦場で何度か御使と対面したことがあったが、皇都の神権教会にいる御使は、まさに神の威光を体現していた。その姿も、身につけている衣装も、言葉さえもが、浮世離れしていた。
そんな全てがどうでもいいと思えるほど、私は絶望していたが。
御使の神権は、あっけないほど簡単に行使され、私は寿命を奪われ、死を奪われた。
その時、御使がどういうわけか、私に囁いた。
「ミユナ殿は亡くなりました」
私は顔を上げ、その時になって初めて目の前の御使の顔を見た。まだ幼いと言ってもいい年齢の少女だった。小柄で、黒目がちな瞳が印象に残る。この時、その瞳には、寂しげなものがあった。
「亡くなった?」
私が声を発すると、その場にいた衛兵、神権教会の武力である神権兵団の兵士が駆け寄ってきて、私を御使から遠ざけた。御使と言葉を交わすことは、許されることではない。
しかし私は叫んでいた。
「ミユナが死んだだと! ありえない!」
しかし見間違えようもない。御使の瞳にははっきりと悲痛なものがあった。私のことを思っているのか、ミユナのことを思っていたのか、それはわからなかった。
だが、ミユナの死は、嘘ではない。
御使の表情が、その言葉を真実だと示していたが、受け入れ難かった。
兵士たちに取り押さえながら、私は暴れ、最終的には締め落とされた。
意識が戻った時、私は荷馬車の荷台らしい場所に転がされていた。他にも数人がいたようだが、麻の袋に入れられているので見ることはできない。もちろん、両手足が縛られていたし、口にも猿轡がかまされていた。
食事を与えられず、糞尿にまみれたまま、運ばれていく。停車したようで振動や騒音が消えることもあったが、私は袋から出されることもない。定期的にそんな時間があり、私たちを連行、というより運送しているものの休憩時間らしかった。
私はもう食事など必要としない身体だったが、飢えと渇きは堪え難かった。悪臭に包まれている不快感よりも、私を苛んだのはとにかく飢えと渇きだった。
どれくらいを進んだのか、静かになり、揺れが消え、誰かが私の入った麻袋を乱暴に落とした。固いものに肩からぶつかり、しかしもう呻き声が出るような余力も無かった。
袋の口が開かれ、兵士らしい屈強な体格の男たちが私や他の受刑者を引きずり出した。
そこは荒涼とした土地で、地面は湿って黒く染まり、草さえ生えていない。空はどんよりと曇り、湿り気を帯びた空気は不快だった。
ぼんやりと見ている前で、兵士六人が荷台から木箱を下ろし、足腰の立たない私たちに声をかけた。
「この中に武器がある。存分に戦ってくれ」
もしかしたらそこで、武器を即座に手に取り、この場にいる兵士を皆殺しにできたかもしれない。しかし乙種流刑の受刑者たちにそんな余力はなかった。ここに至るまでに体力はもとより気力も根こそぎにされていた。
兵士たちは荷馬車へ戻り、荷馬車はどこかへ走って行った。
乙種流刑の受刑者は全部で六名だった。私たちはのろのろと動き、それぞれに助け合って、とりあえずは木箱を開けた。木箱の中には本当に武器があったが、武器しかない。食べ物などは入っていない。
乙種流刑の受刑者には、その刑罰に見合った武器が与えられる。
それは真剣教会が作った、神権によって強化された武器だ。その武器はある程度、強度が高められ、容易に破損しないようになっている。
頑丈な武器で戦い続けろ、ということだ。
私たちはとりあえずは武器を手に取り、歩き出した。遠くを見れば国境長城が見えるのだから、それとは逆方向に歩けば人間の生存圏へ戻れる。
流刑に処されても行動は自由なのだ。なら、どちらへ行ってもいい。
ただ、荷馬車は想像を絶する距離を走ったようだった。どれだけ歩いても、人と遭遇することはない。
歩きながら、私たちはお互いの事情を語ったが、重罪を重ねたものはいなかった。
この時になるまで想像もしなかったが、乙種流刑の真実は、貴族による示威行為であるらしかった。
貴族に逆らった者が与えられる刑罰。
貴族の強権を示す刑罰。
やがて背後から気配が迫ってきた。
魔物の群れだった。ここはマーズ帝国に幾つかある、国境長城の破れ目のそばだと確信が持てた。魔物と戦う刑罰というのは、事実だった。
六人は一塊になり、魔物を迎撃した。
私が先頭に立ったが、魔物を退けた時、二人が倒れていた。
片方は腹を引き裂かれ、片方は首がおかしな方向へ曲がっていた。
死んだ、と思った。
しかし、違った。
腹から溢れていた内臓はあっという間に塵に変わり、傷口は蠢くように塞がっていった。折れた首も一人でにねじれていき、元に戻った。私を含め、四人は言葉もなくその光景を眺めていた。
傷が治癒した二人の意識は最初こそぼんやりしていたようだが、すぐに鮮明になったらしく、彼ら自身、自分の状態に驚いていた。
神権教会の御使が起こす奇跡は本物だった。
私たちはまた歩き始めた。歩いても歩いても、どこにも辿り着かない。そして魔物は次から次へと襲い掛かってくる。負傷しても、私たちは死ぬことはない。
負傷どころではなく、死んでも、確実に死んでも、本当に死ぬことはないのだった。
どれくらいが過ぎたか、一人が発狂し、悲鳴をあげると武器を投げだして、倒れこんだ。目は開いているが、何も見ていない。ただ宙をぼんやりと見て、体は脱力し、それきりだった。
仲間の一人が抱え起こそうとし、一人が反対し、二人は衝動のままに剣を抜いて向き合った。
斬り合いになり、片方が片方の首をはねた。
私たち三人はその様子を見ているしかなかった。
目の前で仲間の血にまみれたものが肩を上下させ、首を失った胴体は小刻みに震えていた。
落ちた首が、一人でに転がった時、私たちの間に流れた空気はなんだったか。
それこそが絶望だったかもしれない。
首は胴体の元へ転がり、断面同士が癒着する。ぶるぶるっと眼球が震え、焦点が合う。
絶叫とともに、再び首が刎ねられたが、同じことを繰り返すだけだった。
やがて六人は散り散りになった。誰もが周りにいる人間が、人間ではなくなっていることを受け入れざるをえなかったからだ。そして自分自身もまた、人間ではないことも自明だった。
化け物と一緒には、いられない。
私の精神もまた、どこかおかしかったかもしれない。
私を私ではなくしたカーバイン侯爵への憎悪は、天井知らずに跳ね上がった。この一念だけが、私を最後の最後の一線で、人間に留めたとも言える。
ひとりきりになり、私は戦場を彷徨い歩いた。
魔物は引きも切らず、襲ってくる。
技術も何もない力押しの相手を切るのは容易だった。武器は優れており、何より自分が負傷してもすぐに治癒してしまうのだから、逆にこちらが無理押しができる。
無敵だった。無敵だったが、無敵になったことなど、どうでもよかった。
歩けば歩くほど、国境長城は見えなくなる。見えなくなってしまうと、私にはどちらへ向かえばいいかわからなくなる。戦場は広く、私には自分がいる場所がわからなくなっていった。
戦い、傷つき、また戦う。
憎悪に突き動かされて先へ進んでもどこへもたどり着けない。
飲まず、食わず、しかし死はやってこない。
果てしない時間を経て、私は亡者と化した。剣を振り続け、魔物を倒し続ける、何かの装置のような存在に。
唯一、忘れなかったことがあった。
カーバイン侯爵。あの男に、報いを受けさせてやる。
どれくらいの魔物の血を被り、死を量産したか、想像もつかないほど戦いは繰り返された。
そんな中で、不意に私の意識に引っかかるものがあった。
それはミユナの気配によく似ていた。
私の体は他のことなどできないというように、戦場で戦い続けたが、意識だけが浮かび上がり始めた。
ミユナが死んだというのは嘘だ。
すぐそばにいるのだ。
私の意識は、そうして肉体を離れ始めた。
(続く)
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