第17話

      ◆


 私、ルード・ハルハロンはこの世の春を謳歌していた。

 平民出身から勉学と剣術の才によって騎士学校に入学し、首席で卒業したのちに帝国騎士団に入団した。

 他の多くの新規入団者と同じく、各地の防衛軍に配属され、そこで下級将校として戦場に立った。魔物を相手にいくつもの武勲をあげ、やがては中央へ戻されると教導隊に採用されるという、出世街道とでも呼ぶべき道を進むことができた。

 教導隊として帝国騎士団、防衛軍を相手に模擬戦を繰り返し、場合によっては実戦の場にも立ち、そうして実績を積むことで教導隊の隊長の一人となったのは、まさに剣士として脂が乗った時期だった。

 もちろん、ここまで全てがすんなりと進むためには、個人の才能、実力だけではどうしようもなかった。

 マーズ帝国の中央では血筋が重要視される場面が多い。つまり、貴族家という後ろ盾が出世にも大きく影響する。

 そんなものは私には存在せず、つまり出世など本来は望めなかった。

 だから私は、貴族家に近づいた。彼らの権力闘争や、様々なことの駆け引きを利用し、自分の進む道を切り開いた。

 それはある意味では危険だった。貴族が本気になれば、平民などいくらでも好きなようにできた。奴隷にすることも、存在を消すことすらできる。

 私は貴族同士の反目を逆用し、自分を守るように仕向けて行った。どこかの貴族が私を潰そうとすれば、その時は別の貴族の面目に傷がつく、というように。ある貴族は私を攻撃することをためらい、ある貴族は私を守りさえした。内心で何を考えていたかは別として。

 ともかく、私は新進の教導隊隊長として、それも平民出身者として、もてはやされた。

 当然の結果だとも思ったし、さらなる上を見てもいた。騎士団団長の座さえも手に入る思いがした。

 私に近づいてくる女は数多くいた。見も知らぬ少女に声をかけられることさえあった。

 私が心惹かれた女は、一人しかいない。

 フォルス・カーバイン侯爵の令嬢、ミユナ。

 彼女とは帝国騎士団の士官が集まる場で初めて顔を合わせた。ミユナ以外にも、上流階級の女性たちが多く出入りし、そこは社交場でもあった。

 ミユナはその家柄にふさわしく、淑やかで、何事にも丁寧な女性だった。

 何より、平民の血筋である私に、対等に接してくれた。どの貴族の息女も、私を見るときには媚びる眼差しの奥に蔑むような色を見せていたが、ミユナにはそれはなかった。そして私を利用してやろうという願望も、ミユナには見えなかった。

 初めて顔を合わせたときには私はミユナにそれほどの感情を抱かなかった。

 彼女のことを意識したのは二度目に会った時、彼女の方から声をかけてきてくれた時だ。

 その時になって初めて、彼女が私のことを、平民出、とか、策士、とか、そこここで囁かれる蔑称などとは無関係に、一人の人間として認識していると気づいたのだ。

 ミユナとは自然と会うようになり、大抵は彼女の住むカーバイン侯爵が皇都の郊外に構えた屋敷で対面した。最初は応接間だったのが、しばらくするとミユナは私を誘い、広大な庭を歩きながら世間話をしたものだ。 

 カーバイン侯爵邸の庭では、いつでも何かしらの花が咲いており、彩は鮮やかで、全てが瑞々しい生命力に溢れていた。

 そんな中にいるミユナも生き生きとして、私には眩しいほどだった。

 時間はゆっくりと流れ、私と彼女の関係も、時間をかけて熟していった。

 私は真剣にミユナと夫婦になることを考え始めた。いつの間にか私は歳をとりすぎているほどだったが、ミユナもまた、結婚するにはやや時期を逸していた。いつまでも結婚しないミユナに父親であるカーバイン侯爵は目くじらを立てている、とミユナ自身が私に笑い話として口にしたことがあった。

 その言葉の裏には、私と結ばれたいという意志が見えた気がした。

 その気配が私に決断させた。

 私はカーバイン侯爵に、ミユナを妻に迎えたい、と打診した。

 カーバイン侯爵は、返事は改めて、とその場での返答をしなかった。私は即答を求めなかったし、あえて催促もせず、待つ姿勢を見せた。実際、私は帝国騎士団教導隊の隊長に就任してから、さらなる昇進からは遠ざかっていた。カーバイン侯爵が首を縦に振るには、私の立場はやや弱くなっていた。

 それでも、と私は思っていた。

 自分は決してミユナを不幸にはしないし、カーバイン侯爵の不利益にもならないはずだ。

 だからこの婚姻は、やがて実る。

 そのはずだった。

 時間だけが過ぎていく。私とミユナは逢瀬を重ねたが、カーバイン侯爵からは何の話もない。ミユナがそれとなく問いかけても、話題を逸らされてしまうという。私自身が何度か屋敷を訪ねたが、巧妙に話題をすり替えられたり、場合によっては面会を断られることもあった。

 返答が先延ばしされているのは明らかだった。

 何かがおかしくなり始めていた。

 それでも私とミユナは待ち続けた。許してもらえると信じ続けた。

 後になってみれば、別の選択肢もあったはずだ。例えば、二人だけで皇都を抜け出し、どこかでひっそりと暮らすとか。いや、それは私が教導隊の隊長という地位を捨てられず、ミユナが両親と生まれ育った環境や立場を捨てられない以上、空想に過ぎなかった。

 手に入れたいものと、手放せないもの。それに私たちは板挟みになっていた。

 そのうちに、事態は劇的に変わり始めた。

 ある時、ミユナが私に、妊娠したかもしれないと打ち明けた。

 二人の意見は同じだった。これをきっかけとして、カーバイン侯爵に結婚を認めてもらおう、カーバイン侯爵もまさか無下にはできないだろう、というのが二人の考えだった。順序が逆になってしまったが、巻き戻すことはできないのだから。

 この話は、最初からおかしな方向に転がることになる。

 ミユナと二人でカーバイン侯爵に結婚の許しを求めるため、面会した。侯爵は柔らかく笑いながら、もう少し考えさせてくれ、と言って、その場をやり過ごした。

 カーバイン侯爵邸を辞する時、ミユナは私へ言ったものだ。

 お父様はきっとお許しくださるわ。

 まさかそれが私がミユナを見る最後になるとは、想像もできなかった。

 次にカーバイン侯爵邸を訪ねた時には、門前払いされた。ミユナと会いたいと言っても、取り次いでもらえない。屋敷の玄関には警備のための私兵が立つようになり、私はその私兵に追い払われる有様だった。

 なんとか方法はないかと模索したが、どうしようもなかった。

 これまでいいように使ってきた貴族たちの力も、どうしてか、この一件に関しては効率的に機能しなかった。カーバイン侯爵は鉄壁で、どんな貴族家も寄せ付けなかった。

 今になれば想像もつくが、それは私にそう見えただけで、実際には貴族家は結託していたのだ。

 目障りで、もはや利用価値もない教導隊隊長を追い落とす絶好の機会なのだから。

 時間だけが流れ、半年以上が過ぎた頃、不意に私は拘束された。帝国騎士団教導隊の士官用宿舎の一室に、憲兵が乱入してきたのだ。

 私には何がどうなっているのか、わからなかった。自分が拘束される理由など想像もつかなかった。

 取り調べを受けた時になって、自分にかけられている罪状が見えてきた。

 カーバイン侯爵の令嬢、ミユナ嬢への暴行。

 ありえないことだった。私は取り調べる憲兵にもそう伝えたが、無視された。

 ミユナは私に暴行され、妊娠させられ、結婚するように迫られていた。それを知ったカーバイン侯爵はミユナを屋敷に保護したらが、私から強請られるようになり、金銭を要求されていた。屋敷を守るために私兵さえ動員した。

 全部が作り話、ありもしないでっち上げだった。

 なのに誰も信じなかった。

 軍法会議が異例の速さで行われ、一度の審議で罰が決定された。

 乙種流刑だった。



(続く)

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