第15話

     ◆


 気づくと俺は地面に仰向けに寝ていて、星空を見ていた。

 雲ひとつない夜空というのも珍しい。こんなにも数多くの星があったのかと驚いた。

 起き上がろうとして、激しい痛みに息が止まった。頭の中が真っ白になり、ぎゅっと目を閉じ、歯を食いしばって痛みに耐える。

 少しすると痛みは穏やかになり、しかし鈍いまま胸で疼き続ける。

(目が覚めたか)

 声がするが、亡霊の姿は見えない。

「どこだ、ここは」

 あの正体不明の男はすぐそばにいないのだろうか。

 記憶が蘇る。背中を向けて去っていった。

 何故だ。

 俺を殺すことはできたはずだ。しかししなかった。

 亡霊が、立ち塞がったからか。

(安心せよ。もうお前を襲うものはいない。少しすれば、レイスがやってくるだろう)

「レイス……」

 少しすれば、というが、俺は数日も歩き続けたはずだ。レイスがすぐに来られる距離ではない。(私がお前をここまで運んだのだ。感謝するがいい)

 運んだ? どうやって? 亡霊には物理的な力はほとんど発揮できないはずだ。

(何事にも例外はある。しかし私も消耗した。お前には何か、不思議なものがあるようだ)

 純粋な不思議で構成されている亡霊に、不思議などとは言われたくないが、今はどうでもいい。

 胸の傷が気になるが、首をひねることさえ難しい。手を持ち上げるのも困難だった。それだけの重傷で、治療どころか応急処置もままならない状態で生きているのは、不思議などという言葉の限界を超えている。

(毒のようなものだ)

 亡霊の声だけが頭に届く。他は静寂。

(あの剣はそういう剣だ)

 そういう剣も何も、全てが異質だったのを亡霊が知らないわけがない。

 勝負は俺の勝ちだったはずだ。

 先に一撃を食らわせた。それも致命的な一撃を。

 なのに相手が倒れなかった。よろめいただけだった。

 ありえない。

(生き延びたのだ、それで良しとしておけ)

 クソ。亡霊がいうこともわかるが、亡霊はあの生命力のようなものを知っていたはずだ。先に教えてもらえれば、やりようがあった。

(方法などない。勝てる相手ではないのだ)

 どうして言い切れる。一撃は当てられた。なら可能性はあった。

(ないものはないのだ。いや……、そうか……)

 何を納得している?

(いずれ、話そう。今は休め。お前は重傷を負い、動けないのだ。死はすぐそこにある。休め。大人しくしていろ。私も疲れた)

 誰のせいでこうなったと思っている。

 誰のせいで。

 それは、俺のせいか。

 最初から計り間違っていた。情報がなかったとしても。

 相手の猛攻を受けた時、反撃する目を即座に考えた。その時に、一撃で仕留められると、そう判断したのは、迂闊だったかもしれない。

 相手が北部戦域のど真ん中にいるということを理解した時点で、常識など捨てるべきだったかもしれない。

 人が生きられない場所で生きている存在を殺すのに、普通の手段で通用するわけがない。

 剣の限界を意識したことで、焦ったか。

 間抜けは、俺か。

 星空を見ているうちに、少しずつ感情が落ち着き、意識は穏やかになった。

 死ななくてよかった。そう思う自分がいる。

 まだ何も成し遂げていない。ウルダの代わりにもなっていないし、ウルダの仇も討っていない。

 死んでしまえば、何もできない。

 まだ生きていたい。生きなくては。

 目を閉じると、星空は見えない。まぶたの裏には、不可思議な影の濃淡があり、その奥に、何かが見えるような気がした。

 疲労のせいもあり、また負傷のせいもあり、繰り返し浅い眠りがやってきてはその度に痛みによってかき消された。

 どれくらいが過ぎたか、本当にレイスがやってきた。しかも一人ではない。そばで生活している男が三人、付き添っていた。レイス自身は平然としていたが、男たちは大騒ぎだった。

 やれやれ、これで少しは安心できる、かもしれない。

 彼らは用意がいいことに板のようなものを持ってきていて、俺はそれに寝かされた。それを四人がかりで持ち上げ、足早に移動を始めた。まだ日が昇っていなかったが、魔物の領域に長居する理由はない。

 男たちは励まし合うように声を掛け合っているが、レイスには言葉を向けない。レイスもほとんど無言だった。俺はそんな様子が気になりながらも、揺れるたびに胸の傷が痛むので、それどころではない。

 日が昇り、上がっていき、傾いていき、夕日が差す前に見慣れた住まいに戻ることができた。亡霊はどうやってか、俺をかなりの距離、移動させていたようだった。

 俺を建物の中にまで運び入れた男たちは、まだ起き上がれない俺に声をかけて去っていくが、そこへレイスが近づき、銭を渡しているのが見えた。男たちは頷くだけで、レイスにはやはり何も言わない。

 男たちの姿が見えなくなってから、レイスが俺のそばに来て、少し不機嫌そうに言った。

「無理を言って手伝ってもらったから、私が怪しまれている。でも、まっすぐにあなたのところへ向かうしかなかった。時間がなかったから」

「だろうね」

 答えになっているのかいないのか、自分でもわからない言葉を返すと、レイスは鼻を鳴らして、医者が明日にも来る、と言って離れていった。少しすると何かが煮られる匂いが漂ってきた。

 亡霊の姿はない。しかしどこかにはいるはずだ。

 首を捻ることすら、まだ無理だった。休むとしよう。

 その日はうとうとしているうちに日が暮れて真っ暗になり、痛みと眠気が交互にやってきた。

 翌朝、早い時間に医者がやってくると、俺の傷の様子を見るなり顔をしかめ、「薬を買う銭はあるかね」と言った。俺がレイスの方を見ると医者とレイスが相談を始め、どんなやり取りがあったのか、レイスが俺の方を見て、こう言った。

「剣を一振り、売りに出してもいい?」

 銭が足りない、ということだ。銭の管理はレイスにほとんど任せきりだったが、薬は高価なのだろう。俺は壁にかかっている二本の剣の片方を売っていいと伝えた。

 親切心なのか、裏心があったのか、医者は銭に変えるのを待たずに、剣を受け取って帰っていった。明日には薬を用意して持ってくると言葉を残したが、もし相手が医者でなければ、決してそんなことを許さなかっただろう。医者はこの辺境の地で、数少ない信頼の置ける人間だった。

 痛みは激しくなることもなく、しかし弱まることもなく、丸一日、俺を断続的に苛んだ。耐える以外の方法はない。

 翌日、医者は本当に薬を持ってきたが、軟膏のようなものかと思ったら、飲み薬だった。

「ここに十日分、用意されている。十日後に良くならなければ、あるいは、私では手の施しようはないかもしれない」

 医者の口調は深刻だったが、俺もレイスも、不思議と悲壮な空気にはならなかった。

 レイスはともかく、俺は自分の体のことなのだから、おおよそを察することができる。

 亡霊が口にした言葉もある。

 毒のようなものが、あの剣の一撃にはあったのだ。

 超常の存在の武器に宿る毒が、人間に覆せるわけもない。

 俺は薬を飲んで、レイスの作る粥をすすり、あとはずっと眠っていた。痛みはあるはずだが、眠りは深く、おそらく薬に眠りを誘う成分があったのだろう。

 十日はあっという間に過ぎた。

 医者がやってきて俺の傷口を改め、微かに頬を緩めた。

 助かったらしい、と俺はぼんやりと考え、とっさに息を吐いていた。

 胸の傷が痛む。しかしなるほど、少しは軽くなったかもしれない。

 死ななかった。

 ならまだ、何もかもが継続中、ということだ。



(続く)

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