第13話
◆
亡霊は無口になった。
それはまるでウルダの精神が乗り移ったようでもあったが、指導に関しては時折、口出しする。もっとも、それは俺がわざと剣術の型を乱しているからで、俺は実際には正確に型を習得している。あえて乱れた動きをして亡霊の指摘を誘っているわけだが、亡霊は知ってか知らずかそれに乗ってくる。
俺の練度を把握していないわけがないから、もしかしたら亡霊の側でも、わざと俺の誘いに乗っている可能性はある。
生活には大した変化はない。俺とレイスの生活はなんの諍いもなく、反目しあうこともなく、まるでこれから長く寄り添う夫婦のようになっている。
するべきことはしているのに、レイスに子が宿ることはない。理由はわからないが、そのことは俺を少しだけ楽にさせた。
俺の子が生まれることがレイスの役割の一つであり、それが達成されない限りは、現状がずっと続くと思えたからだ。あるいはそれは、地獄なのかもしれない。レイスは役目を果たせず、俺は逃げ続け、延々と今が続くというのは救いがないことかもしれなかった。
いつかの夜にレイスが、眠っていると勘違いして俺に囁きかけた言葉は、まだ俺の胸の中にしまわれている。亡霊の言葉もだ。
何も言う必要はない。今はまだ。
レイスが、俺のそばにいる少女を演じるというのであれば、俺はその少女に面倒を見てもらう立場を演じるまでだ。いつ終わるともしれない舞台だとしても。
何度か、魔物の襲来があったが、それは俺にとっては物足りないくらいだった。
一対一を何度も何度も繰り返したが、剣に乱れはない。
一人で二体、三体を同時に相手にすることもできる。それ以上は場合によりけりだが、怪我を負うことなくしのぐことができるようになった。
もっと強い相手を欲しても、そんな存在はやってこない。
ウルダが消え、少女と亡霊が現れて、丸二年が過ぎた今、俺はまったくの別人になったと言っていい。剣術の冴えは魔物など寄せ付けず、ただ畑を耕し、育ての親と寄り添うように生きていた少年の面影はなくなった。
このまま、この世の果てと言っていい荒れた土地から逃げ出すことを考えないわけでもない。
やろうと思えばできる。誰も俺を止められない。亡霊が俺に課した役目も、少女の愛も、容易に投げ出せそうな瞬間もある。
そうしないのはただ一点、ウルドのことがあるからだ。
何者がウルダを殺したにせよ、そいつに相応の報いを受けさせる。
滅多に現れない高位の魔物だろうが、切り捨ててやる。
この一点だけで、俺はこの何もない場所に留まり、日々、剣の技を磨き続けている。
剣はウルダの遺品を使うようになった。それが一番頑丈で、よく切れるからだ。いったいウルダはどこで剣を調達したのか、出所のわからない武器ではあるが優れているものを使わない理由はない。
近くに住む男たちと、何度か戦場へ足を踏み入れたこともある。戦場と言っても、戦闘が終わったばかりの戦場のことだ。集団戦の真っ只中に飛び込むようなことは、自殺行為に他ならない。
壮年のものも、年寄りも、若者も、少年さえも、戦場には倒れ伏している。致命傷を負っているが、まだ息をしているものもいた。楽にしてやることが正しい気がしたが、俺にはどうすることもできなかった。ただ、まだ生きているものからは、何も剥ぎ取らなかった。
仲間たちは俺とは違うようだが、口出ししなかった。命の値段は、人によって違うものだと、ここでは様々な形で思い知らされる。戦場ではあまりに多くの命が、いとも簡単に失われる。そして尊厳などというものは、二束三文で売りに出されている。
幾度か、仲間たちと一緒にいるときに魔物の群れに遭遇し、斬り合いになったこともあった。仲間の一人が恐慌状態に陥り、危うく魔物の群れに取り込まれかけたりした。それは俺が深く踏み込んで、仲間の援護もあり、救助できた。
俺の剣術の冴えを、いつからか同行している男たちは頼っている節もあったが、一方で彼らが俺に恐怖しているのもわかった。
彼らは俺のことをよく知っている。ウルダと一緒に暮らす、平凡な少年だった俺を。
それが短期間で怖るべき冴えの技を使う剣士に変ずるのは、誰にも想像できなかったことだろう。男の幾人かは、誰に剣術を習ったのか、と聞いてくる。俺は脅かし半分で、ウルダの亡霊に、と答えた。男たちはその時は笑うが、さりげなく周囲を確認していた。
まさか俺のすぐそばに亡霊が付き添っているとは、彼らも思わなかっただろう。
ルードの亡霊は、俺とレイス以外の誰にも見えないのだから、仕方がない。
そのことはずっと前に気づいていたし、意識することもなくなっていたが、どうして俺に亡霊が見えるのか、それは気になることではある。亡霊の側から俺を選んだのだろうが、それなら亡霊の意図次第で、いくらでも亡霊を見れるものを増やせるはずだ。
とりあえずは、俺とレイス以外に亡霊に気付くものはいない。
時間は流れた。
ウルダの剣は魔物を数え切れないほど屠り、その度に丁寧に研ぎ上げられた。俺の技もまた研ぎ澄まされ、切れ味を増していた。
(ウルダを)
その日も普段通り、朝から一人で剣を振っていた。
亡霊がすぐそばにいることは気づいていた。わざと亡霊に向き直り、振り抜いた剣を亡霊の首をはねる寸前で、静止。もっとも、亡霊を切れるわけがない。亡霊の方も、動揺したりはしなかった。
「ウルダがなんだって?」
(ウルダを殺したものと、剣を交えてみるか)
ふむ、と俺は頷きながら、しかし剣は微動だにさせない。刃は亡霊に触れそうで、触れない。
「どこにいるのか、知っているのか」
(知っている)
今になって知った、という様子ではない。ずっと前から知っていたのか。それも追跡していたような雰囲気さえある。普通の人間には不可能でも、相手は亡霊だ。亡霊の能力が人間本来の限界を容易に突破することもおかしなことではない。
「ウルダの仇を討つのは俺の復讐だが、いいのかい。俺がもし下手を打って殺されたら、あんたの復讐を遂行する弟子がいなくなっちまうけど」
亡霊の表情に変化はない。ないが、普段より感情の色が薄い。元々から感情に乏しいところはあったが、なお読みづらい。
(容易には敗れないと、私は見ている。もしもの時は、助けてやる)
「それはありがたいな。あんたがいてくれれば、安心だ」
(頼るな)
そっけない返事。やはり普段とは少し違うようだ。
「また何かを隠しているのか? 俺の復讐は、あんたにとって都合が悪いのか?」
直感だったが、亡霊は答えない。図星、だろうか。
「やめて欲しいなら、そう言ってくれよ。理由を話してくれ」
(お前が勝てるという確信が持てない)
論点をずらされたような気もしたが、聞き捨てならない発言ではある。それが誘導の一環だとしても、放置できないものがあった。
「俺が死ぬ、ということか。ならなおのこと、ここで止めるべきだろう」
(敵わない相手がいることを、知っておく必要もある。お前の高い鼻をへし折るのも悪くあるまい)
やはり論点がずらされ、最初のやり取りから離れすぎている。
ともかく、俺は復讐の相手を知ることができるし、この亡霊の助力も得られるのなら、それだけでも良しとしておくべきだろう。
状況の不規則さをある程度、抑制できるのは歓迎だし、いきなり相手を知らずに挑むという危険を避けられる。展開次第では遠くから観察し、相手を確認するような余地も生じる。敵わないと思えば、逃げればいい。
もっとも、亡霊に煽られる形になり、逃げるという選択肢を選ぶことには抵抗があった。
「俺が敵わないというが、高位の魔物か?」
亡霊は少し沈黙し、わずかに首を左右に動かした。
(人間だ。元はな)
人間。元は。
「意味深な表現で誤魔化して欲しくない。人間が人間以外の何者になるというんだ?」
(見ればわかる)
食い下がろうとしたが、亡霊は俺の剣の間合いから一歩下がると、明日だ、と告げた。
(支度をしておけ。数日は歩かなくてはいけないからな)
くるりと背を向けたかと思うと、亡霊は霧が吹き散らされるように姿を消してしまった。
何を考えているかわからないが、ウルダを殺したものに会わせる、というのは事実だろう。
胸の奥に熱いものが生じ、それが全身にじんわりと広がっていく。
報いを受けさせる時は近い。
俺が俺に課した役目を、ついに果たせるかもしれない。
その時は、間近だ。
(続く)
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