第11話

        ◆



 亡霊はいつも通りの稽古をする俺を、一言も発さずに眺めていた。

 もう最近では亡霊の指導らしい指導はない。俺は一人きりで技を確認し、時折、襲来してくる魔物を切り倒して経験を積んでいた。

 俺が誰に復讐するために剣術を身につけているのか、こうして技を高めているのか、亡霊は話そうとしない。

 だがもう、それも今日までだ。

「なあ」

 俺は剣の動きをぴたりと静止させ、鞘に落とした。

 亡霊は俺を見ている。その瞳にある感情は、なんだ? それは、あるいは哀愁だろうか。

 声をかけても亡霊は返事をしないが、俺は構わずに続ける。

「レイスが、俺のそばにいるのは、なんのためだ?」

 亡霊の視線が俺を真っ直ぐに見たとき、そこには普段通りの強い意志があった。

 強く、真っすぐで、正体こそわからないが、決めたことを絶対に実行すると決めている瞳だ。

 決して揺るがない信念の宿った瞳。

(お前の面倒を見るものが必要だ。剣の稽古のためにな)

「それだけか? まぁ、いろいろな面倒を見てもらっているけど。挙げていくと、食事、畑仕事、裁縫、その他、かけすぎなほど面倒をかけている。それで、レイスには何の得がある?」

(あの女に得はない)

 言うじゃないか。

 俺が言葉を重ねようとしたが、先に亡霊が思念を送り込んできた。

(人間は損得だけで動くものじゃない。違うか)

「俺が剣を学ぶのも、損得じゃないからな。わかるよ。ただ、レイスはどうも、そうはいかないだろう。彼女の意思を知りたい」

(あの女の意思なんて関係ない。余計なことを考えるな)

「レイスは、道具なのか」

 亡霊が口を閉じる。いや、そう見えるだけで、そもそもその幻が声を発しているわけではない。律儀な仕組みだ。

 ともかく、口を閉じた亡霊の表情は苦り切っていて、俺をどう言いくるめるか、思案しているように見えた。

「教えてくれよ。俺がウルドの後を継ぐ、というか、復讐とやらを代わりに遂げようとするのは、俺自身のことだからまだ理解ができる。しようとすればできるだろう。俺はこの辺鄙な土地を、できれば逃げ出したいと思っているしな。でも何の力もなかった。能力もない。そんな俺でも剣術を形だけでも身につければ、兵士にはなれるはずだ。それで一応、こことはおさらばすることはできる。でも、レイスはその後にどうなるんだ? 彼女は何のためにここにいて、自分の生き方をどう解釈しているんだ。自分の立場や役目とやらも」

 一息にまくし立てた俺に亡霊は腕を組み、わずかに顎を引くようなそぶりをした。

(レイスの役目は、いずれ教えよう。しかしあの女には意思などないのだ)

 意思がない?

「つまり、意思がないっていうのは、操られている、ってことか? あんたに?」

(簡潔に言えばな)

 亡霊は簡単に口にするが、俺には何もわからなかった。わかりたくなかった。

 操られているということは、彼女の俺への愛情や親切は、やっぱり一から十まで偽物ということだろうか。俺を愛している、そういう演技をしているということか。

 それなら、ウルダのそばにいた女も?

 何かが頭の中で結びついた。

「レイス、というのは、本当の名前じゃないんだな」

(そうだ)

「ウルダのそばにもレイスという女がいた。昔の話だが、もしかしてあの女も、あんたが用意したのか?」

 亡霊は答えない。答えないことが、何よりも明確な返答だった。

「俺は……」

 俺の心は凍りついていたが、同時に激しい熱が荒々しく吹き荒れていた。

「俺も、あんたにとっては道具なのか? それとも、いざとなれば俺のことも操れるのか? 好きなように?」

(人形に剣術は扱えん。人形に復讐させたところで、私のこの絶望は拭えぬのだ)

 その思念には激しい感情のようなものが波打っていたが、亡霊はいつになく話に応じている。

 俺にとっては都合が良かった。復讐とやらの正体がやっと見えてきた。

 言葉は自然と出た。激情が頭の中にある割には、冷静な声だ。

「俺は、あんたの代わりに復讐を実行するのか?」

(そうだ。そのためにお前を鍛え、導いたのだ)

 亡霊の気配にも、いつになく強い感情を伴っていた。無意識にだろう、彼の周囲の虚空で小さな光が爆ぜている。

(私の恨みを思い知らせてやるのだ。全てのものを奪ったあの男に。その血筋の者を破滅させるのが、我らの使命なのだ。これを仕遂げなければ、先へ進めぬのだ)

「あんたに何があったか、俺は知らないし、関係ない。俺はあんたの道具になりたくはない」

 口調こそ静かだった俺の言葉に、亡霊の忍耐は限界に達したようだった。

(貴様はそのために生まれたのだ!)

 言葉の意味を理解する余地はなかった。

 低い音が轟いたかと思うと、空気が張り裂けるような音と同時に雷が亡霊の姿から解き放たれていた。

 あまりに近くにいたせいで、雷撃は俺を直撃し、体が軽々と宙を舞ったらしかった。はっきりしないのは、気を失っていたせいだ。

 意識が戻った時には地面に仰向けに倒れていて、全身が、特に背中が激しく痛んだ。意識を取り戻したのはどうやら背中から地面に落ちた衝撃で、自然と活が入ったらしい。荒っぽいったらない。偶然だろうが。

 クソ!

 俺は起き上がってみたが、もう亡霊の姿はない。

 いや、それよりも、目の前の光景に言葉が出ない。

 どう表現するべきか、地面が深くえぐれて、穴が出来上がっている。位置的に、亡霊が立っていた場所だ。俺がかなりの距離を弾き飛ばされたこともわかったが、穴が出来るほどの衝撃とは、奇跡とも呼べる神権後からとはいえ非常識だ。

 亡霊が存在する理由は神権だと察しているし、それ以外にない。

 その神権がどういう性質の神権かは俺にわかるわけもないが、今まで、単に幻の像を作り、ちょっと相手を痺れさせる程度の力しか、あの亡霊の男にはないと思っていた。

 これはどうも、下手なことをすると命がないな……。

 熱くなって踏み込み過ぎたか。もっと冷静になるべきだった。

 一応、剣術を指導してもらっている身なのだ。

 すぐそばの建物からはレイスが顔を覗かせ、ぽかんとしている。俺は起き上がり、背中が軋むように痛むのを気にしながら、「なんでもない、ちょっと揉めただけだ」とレイスに声をかける。

 レイスは俺を問い詰めるでもなく、ただ頷いて室内に戻っていった。あるいは怯えていたのかもしれない。

 俺は体を捻って負傷の程度を確認しつつ、恐る恐る穴に近づいてみるが、地面が深く抉れているだけのことで、何かが落ちているとかではない。

 神権というものは知識として知っていても、ここまでの超常的な力を行使できるとなると、危険極まりない。

「おーい」

 何となく、あまり意味もないだろうけど、穴に向かって声をかけてみる。

 亡霊がそこにいそうな気もしたが、もちろん返事があるわけもなかった。

 まさか亡霊は自身の力で弾け飛んで、消滅してしまったのだろうか。しかしそれなら、レイスにも影響があるのではないか。つい寸前までの亡霊との会話を思い出してみれば、レイスは亡霊が用意したわけで、亡霊が操っていたのだ。

 レイスに変化がない以上、亡霊もまだ存在するはずだ。

 まぁ、お互いに冷静になる時間ができた、としておこう。このまま二度と亡霊が現れなければ、俺に課された使命、役割も終わりということになって、それはそれで歓迎なんだが。

 結局、この日は日が暮れかかるまで一人で稽古をしたが、亡霊は姿を見せなかった。

 だから、普段通りの夜を過ごし、翌朝、普段通りに表に出た時、亡霊が突っ立っているのを見た時の感情は、相反するものが混合された、表現しづらいものだった。

 亡霊が消えていなくて安心したのと同時に、まだそこにいることに落胆したわけだ。

 一方の亡霊の側はといえば、むっつりとした顔でそこにいて、短く思念を送ってきた。

(出かけるぞ)

 出かける? どこへ?




(続く)

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