第5話
◆
レイスの用意した料理は平凡といえば平凡だったけど、それは彼女の技能云々ではなく、そもそもからして食材が揃っていなかった。
商人から買い付けた質の悪い米は、あまりにも古すぎて味は最悪だった。野菜は自分で作ったものでも、土地のせいでまともに生育していない。肉はやはり商人から買った塩漬けで、やや変色している有様だった。
「これでよく餓死しないわね」
そうだな、とレイスの冗談なのか本気なのか微妙な発言に答えながら、一つのことはわかった、と頭の中で唱えていた。
レイスは北部戦域での生活の実際をよく理解していない。それはつまり、どこか遠くから来た、ということかもしれなかった。
二人で料理をつつきながら、それとなく質問してみた。あくまでさりげなく、自然に。
「レイスの生まれはどこだ?」
「そんなことを聞いてどうするつもり?」
取りつく島もない返答だ。
どうやらこの質問は受け付けないらしい。しかしここで無理矢理に押していくのも手だろう。
「だって、きみが一人きりでこの辺りで生きてきたとは思えないし、どこかに家族がいるはずだろ? 違うか? そもそも、きみの家族はきみがここにいることを知っているのか?」
「そういう心配は無用よ。不自然かもしれないけど、こんな僻地に生きているんですもの、なんだって起こり得るわ」
なんとも判断がつきかねる返答だった。
俺が気になっていることの一つが、まさにレイスの家族の安否だった。
前のレイス、中年女のレイスがウルダに斬り殺されたのは間違いない。それは俺がこの目で見た。まだ幼かったとはいえ、中年女が埋められる一部始終さえも見ていたのだ。あれは幻でも夢でもなく、絶対的な現実だ。
そんなことが起こる以上、今、目の前にいる少女のレイスの家族が確実に安全とは言い難い。
そう、例えば、今は姿が見えないウルダが、異常な行動をとる、とか……。想像が走りすぎているだろうか?
どうしてウルダが中年女のレイスを一緒に暮らしていたにもかかわらず惨殺したかは、謎のままだ。ただ、中年女が殺された事実は、そこに何らかの理由があり、必要性があったことを示してはいるように思える。
命を奪うほどの理由など、想像もつかないが。
もちろん、少女のレイスを殺すつもりは俺にはない。一方、ウルダがどうするかはわからないと言える。
しかし少女のレイスに絶対に存在するはずの両親が、命を狙われてもおかしくない。仮にウルダに俺の目の前にいる少女のレイスが命を狙われるなら、その両親も危険な状況だ。
ウルダがいないことが、変な方向に作用しつつある。
この危惧をどんな言葉に置き換えようかと考えているところで、フッとレイスが笑みを浮かべた。不適で、堂々とした笑みだ。
「何かよからぬことを考えているようだけど、私の生まれや育ち、家族について気にする必要はない。あなただって、気にしていないでしょう」
「俺? 俺の何を知っている?」
レイスの笑みは変わらない。
不安がこみ上げてきた。
「まさか、俺の生まれや育ちを、きみは知っているのか」
「それはまぁ、これから一緒に暮らすわけだしね」
つまり、知っている? 何を?
質問が口をついて出た。
「どこで知った? 誰が話したんだ?」
「まだ知る必要はない」
一転してそっけないレイスに反発したのは、反射的な行動だった。考えなんて少しもない、とっさのことだ。
「じゃあ、俺もきみのことを知っておいた方がいいだろう。それが公平ってものじゃないのか?」
「私とあなたは対等じゃないのよ、アルタ」
今度は、真冬の風のような冷ややかな口調だった。
俺を黙らせたのは、その口調だけではなかった。
瞳の光り方に、残酷なものがある。
いつでもお前を殺せる、というような。相手は少女で、武器なんて手にしていない。俺の方が体力はあるし、いかにように組み伏せることもできるはずだ。
それなのに、この時の俺は無意識のうちに気持ちが竦んでいた。
どんな武器も、どんな力も、意志の力がなければ意味がない。そう思った。
最後の最後には、強い意志が大きな意味を持つのかもしれないと、他人事のように思ったりした。
さらに追及したい言葉を引っ込めておそらく露骨に怯えた様子の俺に、レイスは短く声を漏らして笑う。それは超然とした態度だった。
「そんなに驚かないでよ。あなた、これからまだ、やるべきことが山積みなんだから」
「やるべきことだって? 俺が何をしなくちゃいけないんだ?」
やるべきことの最たるものは、生きることだった。ウルダがいない以上、自分で銭を手に入れなければ、食事にも困る。何よりも優先して、それをしなくてはいけない。
一方で、別の何かを求めている自分もいた。日々を生きることではなく、使命のようなものを求めてもいたのだ。
自分でも奇妙な、誰かに認めてもらえる生き方。
他の誰にも与えられることのない、自分だけの特権。
それを求め、体現するだけで生きていけるという理想。
いや、幻想だ。何もかもが幻想。
でもその幻想を、レイスが俺に示してくれるというのか。
期待があり、不安があった。気後れもあった。
戸惑う俺に、レイスははっきりと頷いてみせた。
「あなたがやるべきことはね、ウルダの後を追うことよ」
後を追う?
期待とはまるで正反対の、不吉な言葉以外の何物でもない言葉が向けられた。
語尾がやや震える声で、俺は確認した。
「あのオッサンを探しに行けってことか? それとも、俺も死ねってことか?」
ああ、ごめん。
レイスはちょっと今までと違う笑みを見せた。冗談が空振りになった時のような笑みだ。
「後を追うっていうのは、同じ道を進むってこと」
「同じ道って、あのオッサンがどんな道を歩いていたっていうんだ?」
「復讐者の道よ」
復讐者?
レイスはなんでもないように喋ってるが、俺は困惑し、混乱するばかりだった。
復讐者、という表現はウルダとはまるで結びつかない。彼はこの北部戦域の片隅で、ひっそりと生きていたのだ。誰かを恨んでいるようでも、憎んでいるようでもなかった。淡々と、日々を過ごしていたのだ。
少なくとも俺の前では。
ただ一点を除いて。
「昔、レイスという名前の女を殺したのは、復讐のためだったのか……?」
恐る恐る問いかける俺に小さく少女が首を左右に振る。
「あれは不幸なすれ違いだった。でも、そうね、ウルダにとっての復讐ではあったかもしれない」
「よく分からないよ。あのオッサンは誰に復讐するつもりだったんだ? 俺は何も、聞いたことがない」
「ウルダに課された復讐は、彼の祖父の復讐よ」
ウルダの、祖父?
何もかもが突飛だった。それはウルダには両親がいただろうし、その両親にもまた両親がいたのは間違いないことだが、ただ、ウルダの祖父と言われても、あまりにも時間が経ちすぎているのではないか。
ウルダの年齢は判然としないが、少なくとも五十代だったのではないか。ウルダの父はともかく、ウルダが生まれた時にウルダの祖父が存命していて、ではその時期においてウルダの祖父という人物に妥当な年齢を当てはめるなら、やはり五十代なのだろうか。何年前だ?
その俺の知らない人物の存命中の出来事がウルダにも関係しているのなら、少なくとも五十年以上前の出来事が、今も受け継がれていることになる。
復讐心、という形でだ。
ありえないことではないが、常軌を逸している。少なくとも、ウルダの祖父は寿命を推測するまでもなく、ほぼ確実に死んでいる。
「よくわからないんだが」
戸惑いそのままに俺が言いかけるのへ、剣が達者だったでしょう、とレイスが言う。
「剣? 確かにウルダの剣術は凄かったけど、あれは……」
言葉が出る前に、思考は答えらしいものにたどり着いていた。
あれは、復讐を遂げるために技を磨いたのだろうか。誰かを切るために?
それなら中年女のレイスを切ったことはなるほど、復讐とは無関係なのかもしれない。あの中年女が復讐の本命なら、あの瞬間に全てが決着していたはずだから。中年女のレイスの死は、何かのすれ違いなのか。
しかしでは、復讐の相手とは誰なのか。
俺がそのことを聞こうとする前に、レイスが口を開いていた。
「あなたにも剣術を学んでもらう」
思わぬ言葉だった。
剣術を、学ぶ?
しかし誰に?
「外に出てみるといい。待っているから」
要領をえないが、レイスの表情は真剣だった。誰が外で待っているというのだろう。
俺は立ち上がり、不穏なものを感じながら戸に歩み寄ると、ゆっくりと開いた。
昼の光でも北部戦域は薄暗い。常に薄雲がかかり、時には厚い雲が一面の空を覆うこともある。
すぐ目と鼻の先に何かが浮遊しているのが見えた。
いや、地面に足は付いているが、それは物体ではないから、浮いているとしか言えない。
最初は靄のように見えたが、輪郭ははっきりしている。陰影さえも備えていた。
人の形をしている。年齢は、壮年といったところか。
しかし本当に実体が存在しないのでは、見た目がどうだろうと関係ない。
一目でわかった。
亡霊だ。
腰が抜けるほど驚く、という経験を初めてした。
座り込んだ俺の前に亡霊がはっきりとした姿のまま浮遊してくる。浮遊というか、律儀に両足を送ってはいたが、足音もしなければ、気配もしない。
(軟弱者なのだな、意外に)
頭の中で声がする!
逃げようとしたが、足がうまく動かないし、立ち上がれない。
這って逃げようとした時、もう一度、意識に直接、声が送り込まれた。
(まだ始まったばかりだ、我が弟子よ)
瞬間、正体不明の衝撃が全身に走り、息が詰まったと思った次には、俺の意識は漆黒に塗りつぶされ、感覚は全て弾け飛んだ。
(続く)
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