第4話

     ◆


 少女の姿が浮かび上がるように少しずつはっきりと見えてきて、さすがに俺も怪訝な思いにとらわれた。

 肌が浅黒く、髪の毛が真っ白い。

 そんな女を俺は過去に見たことがあった。それもここ、ウルダの家でだ。

 だが、不可解なことに変わりはない。

 俺が座り込んだまま見ているうちに、少女は目の前までやってきて、ぐっと胸を張るような姿勢でまっすぐに見下ろしてきた。

「あなたがアルタね」

 つっけんどんと言ってもいい、責めるような響きの発音。

「確かに俺がアルタだけど、あんたは?」

 私は、と少女はさらりと口にした言葉に、俺は言葉を失うことになる。

「私は、レイスよ」

 レイス……。

 その名前も知っている。

 俺が前、かなり前に見た浅黒い肌に白い髪の女も、レイスという名前だったからだ。

 それはずっと昔、俺が幼い時のことだった。そして女は今はもういない。

 あの女と、目の前の少女が同じ特徴をしており、同じ名前を名乗る。

 どういうことだろう。何か、俺は悪い夢でも見ているのだろうか。

 いっそ夢だと思いたい気もしてきた。

 しかしそんな期待はあっさりと裏切られた。少女は躊躇いもせず、ズバズバと言葉にしていく。

「私はとある人の指示でここに来ている。あなたの面倒を見るためにね」

「とある人? ウルダか?」

「まさか。ウルダは私の顔を見たくもないでしょうし、私もできれば彼とは会いたくない」

「それは……」

 言葉が喉元で引っかかって上手く出ない。それは無意識に、口にしないほうがいい、と思考していたせいかもしれない。せいかもしれないが、衝動は言葉を口から押し出した。

「それは、ウルダに殺されるからか? あの女のように?」

 かもね、と少女は肩をすくめる。

 思い出したくない光景だった。

 あれは今から五年か六年は前になるだろう。いつから一緒に暮らしていたかは覚えていないが、レイスと名乗る若い女が生活を共にしていた。ウルダはその頃から無口だったが、レイスはウルダの世話をあれやこれやと見ていたし、俺の面倒も見ていた。俺に読み書きを教え、基礎的な数の計算を教えてくれたのもレイスだった。

 北部戦域で暮らす家族としては、俺とウルダとレイスは何も問題はなかったはずだ。俺は孤児で、ウルダとレイスも夫婦というようでもなかったから、実際には家族ではなく、疑似家族とでも呼ぶべき三人だったけど、うまくいっていたのだ。

 それがある日、俺は短い悲鳴に目を覚ました。

 最初、魔物が急に襲ってきたのかと思った。たまにそういうことがあり、夜の襲撃は悲惨な事態になる。眠っていては警告の笛は吹けないし、室内ではどうしても音が聞こえづらい。

 それでも俺はウルダとレイスと暮らしていたので、もし何かあれば二人のどちらかが俺を起こすはずだった。

 そのはずなのに二人が俺を起こしていないことに気付いた時には、もう俺は反射的に身を起こしていて、次には室内が無人なのを理解していた。

 ウルダも、レイスもいない。

 視線を巡らせると、玄関の戸が少しだけ開いていたのに自然と気づけた。隙間からまだ弱い朝の光がぼんやりと室内に差し込んでいたのをよく覚えている。

 その光には、はっきりと生臭いの匂いが含まれていた。

 どうして俺がそのまま家の外に出てみたのか、理由は自分でもわからない。

 全く何も考えず、あるいは考えることもできず、ただ戸を開き、外を見た。

 誰かが倒れている。ムッとする潮のような匂いが迫ってくる。

 立っているのは、ウルダだった。彼は抜き身の剣を片手に下げ、切っ先が微かに震えていた。

 彼の視線は足元に倒れている人間に向けられている。

 うつ伏せだが見間違えるわけがない。

 そこで動かなくなっていたのが、レイスだった。

 俺は呆然とその様子を見ていたが、ウルダは何事もなかったかのように鞘に剣を戻すと、ふらふらとこちらへ近づいてきた。

 殺される、とも思ったし、逃げなくては、とも思った。

 しかしウルダは俺になど構わず、戸のすぐそばにあった農機具の一つを手に取り、家の裏手へ行ってしまった。俺など見えていないかのようだった。茫然自失と言ってもいい。

 俺は何度も見直したが、すぐそこに倒れているのは間違い無くレイスで、その瞳は見開かれたままだった。

 死んでいる。間違いなく死んでいる。

 細い体は血だまりに沈んでいたし、絶対にウルダは剣を抜いていた。

 ウルダが切り殺した、それ以外にない。ありえない。

 だが、理由がわからなかった。三人の日々は本当にうまくいっていると当時の俺は思っていたから。

 建物の裏手に移動したのは、もう生き返ることのないレイスを見ていても仕方がなかったからで、ウルダの様子を見に行くとしても、それはそれで恐怖が伴った。恐怖が心を支配しても俺には頼れる相手がウルダしかいなかった。

 建物の裏に回りこむと、ウルダは穴を掘っていた。すでに大きな穴ができている。レイスを埋めるためなのは一目瞭然だ。

 ただこの時、俺は別のことにも気づいていた。

 建物の裏手には、前から拳大の石が置かれていたのだ。それも、三つか四つ。

 この時ほど恐怖に打たれたことはない。

 結局、俺は無言でウルダの様子を見て、ウルダは俺を完全に無視して穴を掘り終わると、一人で運んだ動かないレイスの体を穴に寝かせ、土をかぶせた。そして少し離れたところに転がっていた石を持ってくると、埋められたばかりの穴のあった場所へそっと石を置いた。

 理解せざるをえない。

 何も知らずに生活していた家の裏手には、墓があったのだ。

 誰が眠っているのか、ウルダは俺に説明しなかったし、俺も訊ねることはなかった。

 とにかく、現在に戻ろう。

 レイスを名乗る少女は、やはりレイスを名乗っていた女を知っているようだ。どういう最期を迎えたのかも、知っている。ウルダがあのことを誰かに話したとは思えないし、俺も誰にも話していない。誰かが見ていたとは思えない。

 少女は傲然と言ってもいい態度で、目の前にいる。

 俺が口を閉じて視線を注いでも、その態度は変わらない。

「もう聞きたいことはない?」

 そう問いかけられても、何もかもが混乱していて、聞きたいことは多くあるはずなのにうまく整理がつかなかった。

 風がひときわ強く吹く。

「中に入れてもらえる? これから一緒に暮らすわけだし」

「は?」

 今、なんて言った? さらりと口にされた言葉ほど、右から左へ流れてしまう。

「一緒に暮らす、そう言ったのか?」

「そうよ。あなたの耳は正常よ」

「しかし、ウルダが戻ってきたら……」

「その時はその時、また考えるわ。とにかく、朝ご飯にしましょう。私のことはレイスって呼んで。ややこしいかもしれないけど、今は私しかいないわけだし」

 俺は腰を下ろしていたのをゆっくりと立ち上がり、改めて目の前の少女、レイスを見た。

 上背は俺の方が少し高い。年齢は同じくらいだろう。そもそもこの少女はこれまでどこで生活していて、どこから来たのだろう。この辺りに住む人々の顔はほぼ全部、把握していたはずだけど、レイスの顔に見覚えはない。

 それもまた、後から訊ねればいいだろう。

 わかってきたこともある。

 レイスが一緒に暮らすという展開になりつつある以上、先の発言と照らし合わせれば、ウルダは当分は戻ってこない、ということになる。

 二度と戻ってこないかは、わからないけれど。

 仕方なく俺は戸を開いた。そしてレイスと一緒に室内に戻り、彼女が真っ先に「食べ物はどこにあるわけ?」と言い出したのに、思わずため息を吐いていた。

 俺の生きる世界、その何もかもが唐突に変貌を遂げ始めたようだった。



(続く)

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