第3話

      ◆


 北部戦域の外れは、その日も荒涼としていた。

 鍬が地面に打ち込まれ、渾身の力で固い土が掘り起こされる。少しだけ畑を拡張する気になり、全く手付かずの場所を耕している俺だった。

 ウルダが早朝から、他の男四人とともに出かけていた。最近、マーズ帝国防衛軍と魔物の間で大規模な衝突があったらしい。どこからそういう情報が流れてくるかは謎だが、想像してみるに、当事者である防衛軍から出ているのかもしれない。

 防衛軍は負傷者、場合によっては戦死者を回収するが、全員とはいかない。戦死者の遺族が、ただ戦死した事実を告げられるだけで納得するわけもなく、戦死したことを示す何かが必要だ。

 そこで、北部戦域に住むものたちが役に立つ。

 情報だけを流し、戦場で武具を回収させ、その武具その他の金目のものは商人の手に渡り、今度は商人がそれを防衛軍に売れば、防衛軍は危険を冒さずに武具の回収が出来る。武具に限らず、個人を特定できるものが手に入れば、それを遺族へ渡すこともできる。

 もちろん、純粋に装備の調達を安価に済ませる、という意味もあるだろう。国境長城の破れ目が補修されないことを考えても、マーズ帝国の国力は時々刻々と目減りしている。

 防衛軍は志願者で構成されている、という主張がマーズ帝国の建前だと誰もが気付いていた。防衛軍とは、税を納めることができなかったものが、兵役という形で参加している軍隊だった。それもあって厭戦気分が抜けず、やはり国境長城の再建など夢物語というしかない戦果しか上がらない。

 マーズ帝国はこうして人的資源を失いつつ、下手をすれば物的資源も失おうとしている。

 そのことを俺に語って聞かせたのは、どこかから流れてきた男で、男は世界の真理に自分だけが気付いているように得意満面で話したものだ。もっとも、その数日後に追っ手がやってきて確保され、泣き叫んで抵抗したところを叩きのめされ、最後には人ではなく物のようにどこかに運ばれていったが。

 ともかく、この世界はいずれ、あるいは近い将来に終わりの時を迎えるかもしれないが、最大の問題としては、世界そのものが終わる前に俺の生活する環境が破滅する問題が挙がる。

 ひたすら土を耕しているうちに日が暮れてくる。ウルダたちは普段通りなら三日後に帰還するはずだ。

 だから俺はその日、一人分の粗末な粥を口にして、さっさと寝床に潜り込んだ。

 扉が叩かれ、反射的に起き上がったとき、室内は真っ暗だった。炉で燠火がささやかに赤い光を放っているが、周囲を照らすほどではない。建物自体が雑な作りのせいで天井はともかく、壁には隙間がある。そこからかろうじて月光が差し込んでいて、一条の光となっていた。

 そんな乏しい光を頼りに、俺は玄関のつっかえ棒を外した。こんなことをしたところで、押し込もうと思えば戸は容易に蹴破れるが、気持ちの問題だ。

 戸を開くと、外はやはりまだ夜で、地面は漆黒に塗り込められ、空の方が明るい。無数の星が見え、月が煌々と光を放っていた。

 それはともかく、すぐ目の前に男が三人、突っ立っている。よく観察するまでもなくウルドと出かけて行った三人だ。

 不吉な予感、というより確信があった。

「どうしたんですか? こんな時間に」

 言葉が、確信したことを自ら誤魔化すように、全く平常通りに口から出た。男たちが真っ青な顔をしているのが薄明かりの中でも見えてきた。そして彼らが小刻みに震えているのも。

「ウルドはどうしたんですか?」

 なんで答えの分かっている問いかけをしているのか、自分でも不思議だった。

 男たちはなかなか答えず、やっと一人が細い声で答えた。風が吹いていれば、聞こえなかったかもしれないほどの細い声だ。

「ウルドは、急に、その、どこかへ行ってしまった」

「どこかへ行ってしまったって、どういうことですか」

 この時、もし鏡があれば自分が怪訝そうな顔をしているのを見ることができただろう。

 てっきり、魔物に襲われて死んだ、という答えがあるだろうと思っていたのだ。

 でも、そうか、もしそれならこの三人が大して疲労しているようでもないのは、逆におかしいか。

 男たちは視線を交わし、何かを確認するように無言のまま首を振った。そして一人が彼らのないだで共有されたことを、代表したように俺に伝える。

「わからない。急に意味不明なことを叫んで、駆け出して、そのまま戻ってこなかったんだ。それが見たままのことだ」

「え?」

 聞いたことははっきり言って、理解を超えている。死んだ、と聞かされた方がすんなり飲み込めただろう。

「走って、それで、どうなったんですか? どこへ行ったんですか?」

 だから、と一人が苛立ったように応じる。

「だから、言葉のままだ。急に頭がおかしくなっちまったみたいに、どこかへ走って行っちまって、俺たちも途方にくれたよ。仕方なく戻ってきたが、一応、ウルダがどうしたのかお前に教えてやろうと、こうしてここに来たんだ」

 彼らが途方にくれたのもわからなくはないが、俺も話の内容に同程度に困惑していた。

 結局、男たちには礼を言って、見送るしかない。

 一人になって屋外に突っ立ったまま、俺はしばらく考えていた。

 ウルダはどこへ走ったのか。何故、そんなことをしたのか。

 なるほど、正気の沙汰ではない。しかし、ウルダはまさに今朝まで、正気だったはずだ。

 戦場に忍び込んで、何かを見たのだろうか。

 戦場の実際を俺はほとんど知らないけど、まさか今回に限って現場の目を覆いたくなる悲惨さで錯乱した、なんてことはないだろう。もう数え切れないほど、ウルダは戦場へ踏み込んでいる。そして戻ってきている。

 どこへ向かったかはともかく、次に考えるべきは、ウルダが今回もまた今までと同じように帰ってくるかどうかだ。帰ってこないのなら、俺は自分の生活について、より真剣に考えないといけない。

 考えないといけない。

 考えないと。

 考えないと……。

 しかし頭に浮かぶのは、ウルダのことだけだった。

 生きているのだろうか、死んでしまったのか。

 戻ってくるだろうか。

 俺は建物の戸に寄りかかり、じっとしていた。そのうちに立っているのも辛くなり、わずかな夜風に吹かれながら、座り込み、それでも俺はそこにい続けた。

 待っていたんだと思う。

 少しずつ空が明るくなり、やがて新しい一日を告げる朝日が周囲を照らし始めた。

 ウルダは、帰ってこなかった。

 しかし代わりに、小柄な影が俺を目指して進んでくるのが目に入った。

 俺はただそれを待ち受け、ウルダに関する話を聞かせてもらえることを想像した。

 しかし、そうはならないこともわかっていた。

 わかっていたけれど、またも予想とはまるで違う話をその少女から俺は聞くことになる。



(続く)

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