第11話 何故かぴったりだった

 岸野が泣き止むのを待っていると、いつのまにか雨は上がっていた。

 グラウンドを整備すればすぐにでも練習できそうだったが、選手は皆自転車に乗って帰り始めている。


 流石に俺たちもこんなびしょびしょな格好で挨拶する訳にもいかないので日を改めることにした。

 自転車に乗って岸野を家に送り届ける。今日一日沈黙ばかりで息が詰まりそうだったので、俺から声を掛けることにした。


「なあ岸野、ずっと言おうと思ってたんだけどさ」

「…………」

「俺のこと〝貴方〟って呼ぶの、流石に他人行儀過ぎるからやめにしないか?」

「分かった」

「…………」

「…………」

「え、試しに一回呼んでみてくれる流れだと思ったんだけど」

「気のせい」

「いや気のせいってなんだよ……」


 そんなにハードル高いかこれ? 相変わらずよう分からん奴だ。下の名前で呼ぶならまだしも、名字で呼ぶぐらい普通だろうに。


 ……まあでも、これから少しずつ分かるようになってくだろうから別にいいか。

 無意識の内に頬が緩んでしまう。


 楽しみだった。

 まだ練習に参加させてもらえるかすら分からないのに、色んなことを想像してしまう。


 そしてその想像の中に常に岸野がいることが嬉しいと思っている自分がいる。

 その理由は――今は考えないでおくことにした。

 少なくともそういう目的でやりたいと思ったわけでは、絶対にないから。


「あれ」


 岸野が呟く。多分自分の家を指差しているんだろう。ギリギリ見える指先の方向を確認して、そこまで自転車をこいでいく。

 閑静な住宅街だった。その中にある和風な一軒家がそうらしい。丁寧に剪定さえた一本の松の木が、壁からひょっこりと顔を出していた。


「なあ、宮下ん家ってもしかしてあれ……?」

「そう」

「……す、すげーな」


 岸野の家の隣にあるそれを見て唖然とする。

 それはもう、屋敷と呼んでも差し支えないほどに大きな家だった。


 ここまではどの家も等間隔で並んでいたのに、宮下の家だけはその法則を無視して四軒分ぐらいの敷地面積を誇っている。

 外壁が高くて中は全然見えないけど、冗談抜きに鹿威しのある池で錦鯉とか飼ってそうだ。


 と、丁度その時。

 木製の門扉を押し開けて、中から宮下が出てきた。宮下はすぐさま俺たちに気付き、


「…………」


 固まる。その表情は明らかに引きつっていた。


「貴方たち何してたの? 着衣水泳?」

「何処のプールがそんなんやらせてくれるんだよ……」


 呆れてみせる俺を物ともせず、宮下は岸野のもとに歩み寄る。そして濡れに濡れた岸野の服を指で摘み、頭痛を堪えるかのように自分のこめかみをグッと押さえた。


「ねぇ葵……。傘って何のためにあるか知ってる?」

「忘れた」

「――っ!」


 見るからに発狂寸前だった。

 しかしなんとかギリギリのところで耐えて巨大な深呼吸をする。それからキッと俺を睨み、拉致同然の勢いで岸野を宮下の家に引っ張り込んでいった。


「…………」


 俺、帰っていい? ダメなんだろうな……。まあ百パー俺が悪いし大人しく待つけどさ。

 そうやって待ちぼうけをくらっていると、しばらくしてポケットでスマホが振動した。宮下からのLINEだ。


『貴方も洗濯する? 着替えはないけど』

「じゃあするわけねぇだろ……」


 独り言をそのまま返事にしなかったのは、これが皮肉だということを十分理解しているからだ。こういう時はしおらしくしとくに限る。


 三十分ぐらい経っただろうか。

 そろそろ本当に帰るか悩み始めていると、ようやく二人が戻ってきた。


 何故か機嫌良さそうに歩いてくる宮下と、その後ろを隠れるようにして歩く岸野。その光景にデジャヴを感じていると、岸野が水色の体操服を着ていることに気付く。


「どう? うちの学校の体操服。可愛いでしょ」


 宮下が得意げにそう言って、自分の身体から岸野を引っぺがした。……何故宮下の体操服が岸野にピッタリ合っているのかは、闇が深そうなので考えないことにした。

 俺は曖昧に笑って誤魔化す。そしてくるっと踵を返して、


「んじゃまあ、無事に送り届けたことだし帰るわ」

「待ちなさい」

 宮下に呼び止められる。……まあそうなるだろうとは思っていた。

「きっちり説明してもらうわよ」

「……別にいいけど、どっか行く予定だったんじゃないのか?」

「そろそろ帰ってくる頃かと思って何度も家の前をうろうろしてただけだから問題ないわ」

「それはそれで問題だと思うんだが……」

 呆れる俺を他所に宮下は相変わらず堂々としていた。その自信は何処からくるのやら。


 しかし、ふと思う。

 このまま立ち話で済ませるには少し長いし、かと言って何処かに入る訳にも行かない程度には俺の服は濡れていた。

 どうしたもんかと考えていると、岸野が俺の服をクイと引っ張ってくる。


「着替えならある」


 そう言って岸野は自分の家に入っていき、俺たちを手招きする。宮下と二人で顔を見合わせ、そのまま岸野の家に入ることに。

 少々年季の入った引き戸をくぐって中に入る。


 外見同様、和風な造りの家だった。

 見上げれば立派な格天井。上質な木のにおいもする。下駄箱の上には花瓶が置かれていて、綺麗な芍薬が花を咲かせている。


 奥行きのある廊下の右手に見える格子戸の隙間から和室が伺え、宮下はそこに案内された。当然俺はそのまま入る訳にはいかないので、タオルを借りてある程度拭いてから浴室へ案内される。


 そのまましばらく待っていると、岸野が服を一式持ってやってきた。


「着替えって、これ……?」

「そう、あげるから着て帰っていい」


 心なしか岸野の声が弾んでいるように思えた。そしてそれは多分気のせいじゃないんだろう。なんせその服は俺にとっても馴染みのあるものだったのだから。


「まあ、いいけどさ……」


 チャレンジャーズのユニフォームだった。

 さっき見たばかりだから懐かしさはあまり感じられないし、何処にいても目立つぐらい真っ赤なユニフォームを今ここで着るのは若干憚られる。

 って言うかこれ、サイズ的に監督のだよな? いくら許可をもらったとは言え、本当に他人の形見を着ていいもんなのだろうか……。


 戸惑いながらも着替える。岸野に連れられて和室に入ると、宮下が目を丸くさせてこちらを見ていた。


 しかし何かを察したらしく薄く微笑み、何処か寂寥感のある表情を浮かべる。

 俺は机を挟んで宮下と向かい合うように座った。岸野は俺の右隣りを陣取る。


 洋服、体操服、ユニフォーム。

 あまりにも和室に似つかわしくない格好をした、カオスな集いのできあがりだ。

 

 ……正直宮下に聞かせるのは心苦しいと思っていた。昨日は仲間だとか傷の舐め合いだとか言っていたくせに、たった一日で抜け駆けをしたのだから。


 だから自ずと沈黙が続いてしまう。その沈黙を嫌って宮下があっけらかんとした口調で、


「いいからさっさと始めなさいよ」


 その助け舟に頷いて答え、俺は重い沈黙を破ることにした。

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