第5話 達人だった

 宮下からの返事を岸野に見せると数歩後ずさってドン引きしていた。しかしその後にクスクスと笑い、「どうかしてた」と呟く。


「ほんとにな。大体俺はあいつと昨日会ったばっかだぞ」


 俺もつられて笑った。ごくごく自然に、零れるようにして。


 多分、それがきっかけだったと思う。

 気付けば俺たちは自然体で笑えるようになっていた。

 人にはとやかく言うくせに相変わらず無表情を貫いていた岸野も、誰が見ても分かるぐらいの笑みを浮かべて写真に写るようになっている。


 相変わらず会話こそ少ないものの、別にそれを気まずいと思うことはなくなっていた。

 一頻り展示を見て回ったのでまたあの巨大な金魚提灯の元に戻ってくる。

そこでまた写真を撮って、当てもなく土産コーナーを見て回ったりしてみる。


 そうしていると、岸野の足がピタリと止まった。

 見ると手元にはさっきも話題に上がった水泡眼のアクリルキーホルダーがある。


「可愛い」

「よっぽど気に入ったんだな」


 コクリと頷く。でもどうやら買うつもりはないらしい。元の場所にそっと戻し、とてとてと次のコーナーへ移動していく。

 結局何も買わないまま土産コーナーを出て、そのまま店内から去るのかと思ったところでまた岸野の足が止まった。

 ジッと見つめているのは薄く平べったいアクリル水槽。そこにいるのは大量の小さな金魚。どうやらここで金魚掬いができるらしい。ちなみに一回三百円とのこと。


「なんだ? やりたいのか?」

 尋ねると岸野は頷いて、

「一緒にやりたい」

「ん、まあいいけど」

「何賭ける?」

「賭け前提かよ。んじゃ……」


 多分、岸野は冗談って言おうとしたんだと思う。でもそれより早く、俺が丁度いい落としどころを見つけてしまった。


「さっきのアクリルキーホルダーなんてどうだ?」

「…………いいの?」

 きょとんとした顔で岸野が尋ねてくる。いや、なんでお前が勝つ前提なんだよ。

「寧ろそっちこそいいのか? 俺、結構上手かったと思うんだけど」


 昔縁日でやった時は十匹ぐらい掬えた記憶がある。

 妹は一匹も掬えなくて、周りにいた友達も俺に勝てなかったからよく覚えてる。その後友達に「お前なんか上手そうな顔してるもんな」って言われたけど、今思うとあれって褒められてたんだろうか……。


 そんなどうでもいい記憶を呼び起こしていると、岸野が珍しくキリっとした表情を浮かべてみせた。


「男に二言はない」

「いやお前女だろ……」


 軽口の叩き合いもほどほどに、かくして金魚掬い対決(?)が始まった。

 先行は俺から。

 かつて屋台のおっちゃんに教わったコツを思い出すついでに語ってみる。


「いいか、この和紙には表裏があるんだよ。ポイの上に和紙を貼ってる方が表な。んで、こっちの方が破けにくいから当然こっちを使う」

 俺は言いながらボールの中に水を入れる。そのついでにポイを一度水に浸してみせた。

「先に水に浸けとかないと濡れてない部分との境目が破れやすくなる。だから先に全部浸して、動かす時は水平に移動させるんだ。で、なるべく隅っこにいる金魚を追い詰めて――」

 言いながら俺は金魚をすっと掬って、見事ボールの中に入れてみせた。

「な? 上手いもんだろ?」


 岸野は一貫して無表情だった。その真意は推し量れないが、なんとなく〝いいからさっさとやれ〟と言われてる気がする。


 ……まあいい。男たるもの、受けた勝負は真剣にやるのが誠意ってもんだ。あのキーホルダーが欲しいかは正直微妙なところだが、何かを賭けることによって真剣味が増すのは事実。女だからって容赦するつもりは毛頭ない!


 俺は無心で金魚を掬った。

 一匹、また一匹と掬う度に集中力が増して、感覚が研ぎ澄まされていくのが分かる。


 久しぶりに味わうこの感覚。

 俺はこれをゾーンと呼んでいる。野球をやってた時は一度ゾーンに入ったら打たれる気が全くしなかった。でもいつも集中がピークに達した頃に球数制限が来て、交代を余儀なくされてたっけ。正直未だに思う。あんなものがなければ俺は今でも――


「あ」


 いつのまにか集中力はすっかり切れていたらしい。俺のポイは再起不能になっていた。


「まあでも久しぶりにしては上出来だろ。ってか動くから数えにくいな……。っと――」

「数えなくていい」


 そう言って岸野が俺の横にすっと入ってきた。

「え?」と聞き返すと同時、岸野はポイを水に浸して金魚を掬い始める。


 恐ろしいほどの手際の良さだった。まるで金魚が自らポイに吸い寄せられていくかのようにそっと紙の上に乗って、岸野はただそれを最低限の力でボールまで運んでいく。

 その繰り返しだった。

 流れ作業のように続く岸野の金魚掬いは、時には三匹同時に掬うなんて神業も披露しながら延々と繰り広げられていく。

 ボールは金魚の重さで徐々に水中に沈み始め、終いには水を少し減らさないとボールごと沈没してしまうなんて異常事態にまで発展していた。


「き、岸野さん……?」


 思わずさん付けになってしまう。それぐらい衝撃的な光景だった。あの、貴方だけ和紙じゃなくて画用紙とか使ってたりしません……? と言うかこんな達人に屋台で聞きかじった知識をひけらかしてたなんて恥ずかし過ぎる! 俺のライフはとっくにゼロなので死体蹴りは程々にしてほしい。


 そう思っていると、岸野の網が遂に破けた。それでもまだ名残惜しいのか、岸野はジッと破けたポイを見つめている。いやもういいだろ。百匹ぐらいいそうだぞ、お前のボールん中。


「なあ、なんでそんなに上手いんだ……?」

「道場で鍛えた」

「道場⁉」

「大和郡山にある。私は七段までいった。大会で優勝したこともある」

「さ、さいで……」


 大和郡山が昔から金魚で有名なのは一応知ってたが、道場とか大会なんてのは初耳だった。なるほど、だからここに金魚ミュージアムなんてものがあるのね。奈良ってそんなに金魚に所縁がある街だったんだ……。

 謎の知見を得たところで、さっきの土産コーナーへ向かう。さっさと会計を済ませて、岸野に約束の品を手渡すことにした。


「ほいよおめでとさん」

「……貴方のは?」

「いや、俺は別にいいよ。ってなわけで受け取ってくれ」

「…………」


 しかしどうやら岸野は何か思うところがあるらしく、意味深な表情でアクリルキーホルダーが入った紙袋を見つめている。

 いつまでもそうしているかと思えばパッと踵を返し、何故か一人でまた土産コーナーへ。

 そして岸野は、俺が渡したのと同じ紙袋を持ってこちらに戻ってきた。


「ん」

「んって。何これ」

「同じものが入ってる」

「いや、それじゃ賭けにならないだろ」

「いい、私がそうしたかったから」

 有無を言わせぬ口調だった。断ったらそれこそ水泡眼のようにぷっくりと頬を膨らませて怒られそうなほどの。

「……じゃあ、遠慮なく。ありがとな」


 だから素直に受け取る。何処に付けるかは未定だが、これを見る度に色々思い出すことになりそうだ。

……だから岸野は俺にこれを渡したかったのかも知れない。


 そう考えると、さっきの自分の行いはあまりにも無粋に思えてきた。言うまでもなく負けは負けなんだし、後で昼飯でも奢ってみるとするか。


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