第10話 ストリートピアノ

 これと言って行きたい場所がある訳でもなかったので難波CITYをぶらぶらと回った。


 宮下のコスメ巡りに付き合ったり、なんとなく雑貨やスポーツウェアを見て回ったり、地下の怪しげな店で占いをしてもらったり。


 そんなことをしてると時刻は十五時半。

 朝から歩いていたのもあってそれなりに疲れたし、相変わらず目的地もないままだったので、どちらとも言わず駅へ向かって歩き始めていた。まあ恐らく今日はこのまま戻って解散する流れになるだろう。いつのまにか写真もほとんど撮らなくなったし。


 そう思っていたのだが、宮下が道中で突然立ち止まった。何かあったのかと思って俺も立ち止まると、宮下の視線の先にグランドピアノがあることに気付く。


 通路の両サイドにいくつも店が並ぶ中、その真ん中に堂々と設置されたグランドピアノ。

 どうやらこれ、自由に弾いていいらしい。所謂ストリートピアノってやつだ。


「ねぇ、ちょっとだけいい?」

「弾けるのか?」

「まあね」


 宮下はピアノの元へ向かい着席する。

 俺は辺りを見回して、通行の邪魔にならないよう宮下の斜め後ろに立つことにした。ちなみに人混みはそれほど多くなく、わざわざ立ち止まって見物しようなんて酔狂な人もいない。


 ――いきなり六甲おろしが流れ始めた。


 宮下はこちらを見て笑ってみせる。俺は思わず苦笑してしまった。

 思い出されるのは岸野と初めて関わったあの日のこと。まさかこんなところでデジャブを感じるとは思いもしなかった。人生で二回も不意に六甲おろしが流れることなんてあるんだろうか……。


 六甲おろしが終わると今度は選手の応援歌が打順ごとに奏でられていく。

 それを聴いていて思ったが、恐らく宮下の演奏はかなり上手い。

 俺は素人だから詳しいことは分からない。


 ただ、まるで実際に歌っているかのように軽やかで、聴いているこっちも楽しくなってくることだけは確かだった。

 その証拠に、さっきまではまるで見向きもされてなかったはずなのに、いつのまにか足を止めて見物している人まで現れている。


 応援歌を一通り弾き終わった後、俺は宮下に声を掛けた。


「お前も好きなんだな」

「まさか。葵に仕込まれただけよ」

「……なるほど、納得だわ」

 まあそうだよな。今日日野球好きな女子高生なんて中々いないわな。

「もうちょっとだけいい? なんならリクエストしてくれてもいいけど」

「ん? じゃあ――」

 せっかくなので最近流行りの曲を言ってみる。

「了解」


 宮下は楽しげに答えると、再びピアノに向き直った。

 俺がリクエストした曲の演奏が始まる。こうして改めて聴くと、かなり独特な上にアップテンポな曲なのに宮下は涼しい顔で難なくこなしていく。


 そしてそのままここ半年ぐらいで流行った曲を片っ端からメドレーで演奏してくれた。

 その効果はかなり大きく、足を止める人がどんどん増えていっている。終いには曲が終わるとパラパラと拍手が聞こえるようになっていた。

 その拍手に応えてペコリと頭を下げる宮下。一拍置くと、今度はクラシックを演奏し始める。


 思わず息を呑んだ。

 これまでとは一線を画す、この場の空気そのものが変わったのかと思うほどに迫力のある一曲。女性の指から奏でられているとは思えないほどに力強く、それでいて鮮やかなその旋律は、聴く者の心を次々と鷲掴みにしていく。


 浮遊感を覚えるほどに高揚している自分がいた。脳がこれまで感じたことのない痺れ方をして、次第に何も考えられなくなっていく。ただ流れてくる音を受け止めることに全神経が注がれていた。

 いつまでも聴いていたいと思うほどに胸の深くまで染み通る旋律は徐々に穏やかになっていき、最後は雲間から差し込む光のように優しい音で締めくくられる。

演奏が終わっても拍手は起こらなかった。


 誰もが我を忘れ、余韻に浸っていたからだ。

 立ち上がった宮下が静かに頭を下げる。そうして初めて、まるでここがコンサートホールであるかのように一体感のある拍手が巻き起こった。


「どう? 特等席で見た感想は」

「いや……。スゲーなとしか」

「ふふ、ありがとう。でもまあ、もうやめちゃったんだけどね」


 あまりにもサラッと告げられたその言葉に、俺は何も言えなくなってしまった。

 そんな俺を試すかのように、宮下は薄く笑って告げる。


「貴方と同じね」


 俺に何かを言わせる隙を与えず、先を歩き始める。それからパッと振り返って、


「もしこの話の続きをしたいなら場所を変えましょう。最後に行きたい所があるの。それまではそうね、貴方と葵の話をたっぷり聞かせて頂戴」


 そういや葵から何か返事は来てないの? と宮下はまるで何事もなかったかのように明るい口調で話題を切り替えた。


 俺はしどろもどろに答え、尚も続く矢継ぎ早な質問になんとか答えていく。

 頭の中はさっきの言葉と音楽でぐちゃぐちゃになっていた。


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