第6話 スリーアウトチェンジ
試合前に売店で塩焼そばを買って席に戻ると岸野はおっさんと写真を撮っていた。
そしておっさんはまるでチェキ代と言わんばかりに、何やら中身の入った紙袋を岸野に手渡す。
その後おっさんはきょろきょろと周囲を見回してビアガールを手招きし、
「……一杯飲むか?」
「飲む」
「飲むな」
思わず会話に割り込んでしまった。おっさんも〝ちょっとぐらい、バレへんやろ!……w〟みたいな感じで提案するな。もうそんな時代じゃないぞ。
何処ぞのおっさんが去っていくのをしっかり見届けてから席に座る。
岸野はもらった袋の中からフライドチキンを取り出してむしゃむしゃと食べ始めた。
こいつ、いくらなんでも性善説を過信しすぎだろ……。それともチェキ代という俺の発想が汚れてるだけなんだろうか……。
そんなことを考えながら黙々と焼きそばを啜っていると辺りはすっかり日が沈み、タイガースの選手が守備につき始める。
先発が何回かの投球練習を終えてバッターがボックスに入ると、途端に球場がわっと盛り上がりを見せる。
――試合が始まった。
「恥じらいを捨てないとダメ」と俺に忠告した通り、岸野の応援は本気だった。
ストライクコールが起こる度にシャカシャカとメガホンを叩き、バッターを打ち取ると俺にメガホンでハイタッチを求めてくる。
ヒットを打たれればムッとした表情で目力たっぷりランナーを睨みつけ、ゲッツーに打ち取ると「わああ」と歓声を上げて身体を揺らして喜ぶ。
……いや、可愛いな。
素直にそう思った。言うまでもないと思うが、そこに邪な気持ちはない。例えるならそう、幼い頃の妹を見ているような……。
不意に飯を奢りたくなるおっさんの気持ちが分かってしまった。あれ多分、孫娘と球場に来る夢が叶ったかのような嬉しさがあるんだと思う……。
それぐらい岸野は純粋で、瞳に映る光は誰よりも輝いているように見えた。
タイガースの攻撃になると岸野の勢いは増していく。
当然のように頭に入り込んでいる応援歌を俺にもハッキリと聞こえるほどの声量で歌い、バッターがヒットを打てば俺は勿論周囲のお客さんともハイタッチを交わしていく。
そのランナーが走るかどうか一挙手一投足も見逃さまいとばかりに息を呑んで見守り、盗塁が成功すればその緊張を一気に解き放つかのように破顔する。
絵文字のようにコロコロと表情が変わる岸野。
その姿を見て、何故か俺は遠い昔の自分のことを思い出していた。
いつからだろうか。
こんな風に物事を純粋に楽しめなくなってしまったのは。いつだって周りを気にして、一歩引いた目で見るようになってしまったのは。
かつての俺はこんなんじゃなかったはずだ。俺も彼女のように、ただひたすら白球を追いかけ、声を枯らすまで応援する純粋な野球少年だったはずだ。
それをダサいと思うようになってしまったのは、いつからだろうか。
そうやって俺は――。
「岸野」
スリーアウトチェンジになって攻守が入れ替わるタイミングで声を掛ける。
「ありがとな」
岸野はきょとんとしていた。そりゃそうだ。礼を言われる筋合いなんてあるはずないのだから。それでも礼を言いたくなったんだから仕方がないだろ。そういうことにさせてくれ。
タイガースの選手が守備位置につく。
ネクストバッターサークルで素振りをする四番バッターに備えて投手が投球練習を始める。
「さて、と」
俺も恥じらいとやらを捨ててやるとしますか。
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