第5話 写真は大切に保存した


 一時間ほどで甲子園駅に着くと岸野は色んな人に声を掛けられていた。それは岸野がちょっとしたインフルエンサーだからというよりは、若いのに熱心な女性ファンがいるという物珍しさがそうさせている感じだった。


「姉ちゃんええもん着てんなぁ」と似たような格好のおっさんに声を掛けられたり、「めっちゃかわい~一緒に写真撮っていい?」とおばさんに声を掛けられたりする様は、さながらマスコットキャラクターだった。


 ちなみに写真は全部俺が撮った。おばさんが自撮りに慣れてなさそうだったし、せっかくなら甲子園をバックにした方が思い出に残るだろうと思ったから。


「でも彼氏は普通なんやな~」

「彼氏じゃない。彼は…………写真係?」


 おいコラ聞こえてるぞ。せめてスポンサーと呼べスポンサーと。

 そんな冗談交じりなやり取りをしておばさんと別れる。その直後、岸野はまたひょいひょいと俺を手招きして、


「撮ろ」


 言うが早いかサングラスを外してスマホを構えて見せる。


「外していいのか」

「これはプライベート」

「そ、そうか。って言うか自撮りだと甲子園あんま入んなくないか」

「入る。だからもっと寄って」

「お、おう……」


 ここに来るまでにも何度か思ったけど、こいつ距離感バグってないか。いや多分、色んな人と撮ってるから慣れてるだけなんだろうけど。だとしたら尚更無防備すぎる……。


 互いの肩が触れるぐらいまで寄せ合って写真を撮った。

 岸野の言う通り、思ったより綺麗に甲子園も映り込んでいる。如何にもカップルっぽい撮り方なのに、クスリとも笑っていない岸野が妙に印象的だった。


「送る」

「んじゃ後でLINE教えるわ」


 岸野はコクリと頷いた。ナチュラルに女子と連絡先の交換に成功した歴史的瞬間である。本来ならそりゃもう浮かれるはずなんだが、あまりにも自然過ぎて完全に忘れていた。


 手荷物検査を終わらせて一塁側から球場に入る。

 人混みを縫うように歩いて3‐Dゲートを通り抜けると――視界が一気に開けた。

 甲子園に来たのはいつ振りだろうか。何度来ても、人の多さに驚いてしまう。

まだオーダーすら発表されていないこの時間帯でも座席は半分近く埋まっていて、売り子が声を張ってあちこちで飲み物を売り回っている。


 夕日に照らされる甲子園は綺麗だった。

 だからと言っていつまでも見惚れているわけにもいかず、半券と睨めっこして自分の席を探す。


「あったあった。ここだ」


 ライトスタンド中段。

 ここからだと正直バッターボックスなんて米粒程度にしか見えない。

 それでもここまでボールが飛んでくる可能性は十分あることを考えると、プロ野球選手の凄さをまざまざと実感する。


 席について一息つく。

 ふと岸野の方を見ると、何やら忙しなく自前の手提げ鞄をまさぐっていた。


「ずっと思ってたんだけど、なんでそんなパンパンなんだ?」

「夢が詰まってる」


 そう言って岸野は鞄の中から黄色いユニフォームを取り出し、俺に差し出した。


「着た方がいい」

「……いや、俺はいいよ」

「なんで?」

「いやだって……」


 正直ちょっと恥ずいし。とは流石に岸野を前にして言えなかった。しかし岸野は俺の曖昧な態度で察したらしい。


「ここでは恥じらいを捨てないとダメ。そんな服着てる方が恥ずかしい」

「そんな服……」


 あまりにも唐突なディスを受けて自分の服を見る。白のTシャツに紺のチノパン。無難オブ無難だ。別に変じゃないよな? よな……?

 と、とは言えせっかく持ってきてくれたんだ。岸野の気持ちを無碍にするのも野暮ってもんだろう。俺は自分にそう言い聞かせてユニフォームを羽織った。


「似合ってる」

「そりゃどうも」

「あとこれ」


 タオルを渡された。勿論縦縞の。手に持っていても仕方がないのでとりあえず首に巻いてみる。


「これ」

 続いてメガホン。まあこれは普通だろう。素直に受け取る。

「これ」

 今度はタイガースのキャップ。しかし普通の帽子とは趣向が違い、頭頂部にはモップみたいな黄色い糸が逆立っていた。ヘアバイザーというらしい。……派手だな。

「これ」

「待て待て待て」


 こいつ俺が何処までアクセル踏めるか試してるだろ。このままでは――いや既にそうなんだが――全身タイガース野郎になってしまう。こいつのことだし、そのうち訳の分からん面白グッズが飛び出してきておもちゃにされかねん。


「この辺にしとこう。な?」


 なだめるように言うと岸野は若干不満そうながらも納得してくれた。ほんと、何詰まってんだよそん中……。


「じゃあこれで最後」


 そう言って岸野が差し出してきたのはグローブだった。


「私の夢はホームランボールを家宝にすること。協力してほしい」


 言いながら岸野は自分の左手にグローブをはめて、パタパタしながらアピールする。


「そりゃまあいいけど……」


 渡されたグローブは左利き用だった。いや、俺は左利きだから問題ないんだけどさ。でもこういうのって普通どっち利きか聞くか、右利き用を渡してくると思うんだが。


 岸野を見る。

 しかしその意図が伝わらなかったらしく、岸野はハテナと首を傾げる。

 偶然……だよな?

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