責任

三鹿ショート

責任

 私は当時のことを憶えていないが、どうやら事故に遭ったらしい。

 見知らぬ病院で医者から聞いた話では、山道を自動車で走っていたところ、私が運転操作を誤り、崖から落ちたということだった。

 それにしては、私の怪我は随分と軽かった。

 運が良かったのだと思っていたが、彼女はそうではなかった。

 彼女の両足は、事故によって失われていたのである。

 彼女もまた事故当時の記憶が無いためか、私のことを責めるような言葉を発することはなかったが、愛する人間から両足を奪ってしまったというあまりにも大きな罪に、私は気が狂いそうになった。

 自分が最も辛い立場であるにも関わらず、私を慰める彼女を見て、私は今後の人生を彼女に捧げることを決めた。

 それが私の責任であり、義務なのである。


***


 他の人間の手を借りることも大事だと告げられたが、私は己のみで彼女を支えることにした。

 金銭を惜しんでいるわけではなく、自分の手で行わなければ、意味が無いからだ。

 同じ体勢を維持し続けることによって出来てしまう褥瘡を避けるために、頻繁に彼女の体勢を気にかけ、食事も彼女が望むものを用意するようにし、便所の手伝いも彼女が恥ずかしさを覚えないように気を遣った。

 四六時中、彼女に付ききりであるために、自宅で出来るような仕事に変えざるを得なかった。

 給料は減ってしまったが、これまで通勤に使用していた時間を有効に活用することが出来るようになったことを思えば、悪いことばかりではない。

 休むことなく動き続ける私を見て、彼女は心配そうな眼差しを向けてきたが、私が弱音を吐くことはなかった。


***


 ある日、上司から会社に来て欲しいとの連絡が来た。

 その理由は、重要な仕事についての打ち合わせがあるからだということだった。

 仕事も大事なのだろうが、彼女を一人にするわけにはいかなかった。

 だが、事情を知った彼女は口元を緩めると、

「行ってきてください。あなたが不在である場合に、自分には何が出来、何が出来ないのかを知る、良い機会ですから」

 私は、彼女の言葉に甘えることにした。

 食事や飲み物を手の届く場所に用意し、即座に他者に連絡することができるような状態にすると、私は後ろ髪を引かれる思いで会社に向かった。


***


 私が帰宅すると、彼女は特段の問題は無かったと、誇らしげに告げた。

 安堵しながら便所へと向かった私は、其処で違和感を覚えた。

 それは、便所で使用する紙である。

 使用した後、私は常に紙の形を三角に整えていた。

 彼女が一人で用を足すことは不可能であるために、私が外出をしている間は、誰も使用していないはずである。

 しかし、何故紙の形が三角ではないのだろうか。

 奇妙な出来事に、私はあらゆる可能性を考える。

 其処で、自分で想像しながらも嫌悪してしまった可能性に行き着いた。

 それは、彼女が別の人間を自宅に連れ込んだという可能性である。

 家族や友人だったのならば、私の不在の間に力を借りたと報告してくるだろう。

 だが、それを告げなかったことを考えると、明かすことが憚られるような存在なのではないか。

 彼女に限って、そのようなことは有り得るわけがないと即座にその可能性を打ち消そうとしたが、一度生まれてしまった疑念が消えることはなかった。

 だからこそ、私には確認する必要があるのだ。


***


 仕事の関係で外出をすると彼女に告げると、私は集合住宅の近くに駐車している自動車の中で、成り行きを見守ることにした。

 自宅の内部に、密かに映像を記録する機械を設置していたため、それを自動車の中で見つめ続けていると、やがて一人の男性が姿を現した。

 男性は迷うことなく彼女のところへと向かい、接吻を交わすと、身体を重ね始めた。

 そして、私はその会話を、確かに耳にした。

「両足を失ったと知ったときは信じられなかったが、これはこれで、新たな行為を試すことができて良いものだ」

「あなたも物好きですね」

「しかし、きみとの関係を再開することができて良かった。常に恋人が在宅であることには困っていたのだ」

「自分が恋人の両足を奪ってしまったことに対する、彼なりの責任の取り方なのでしょう。私は、愛されているのです」

「彼に対する愛情など、既に失っているだろう」

「失ってはいません。彼との関係を続けていれば、生活に困ることはありませんから」

「両足を失っても、きみがきみのままで安心した」

 怒りのあまりに動くことができなかったが、不意に、私の記憶が蘇ってきた。

 私は、この男性のことを知っている。

 つまり、彼女が私を裏切っていたことを知っていたのだ。

 だが、愛している彼女と別れることが出来なかったために、私は事故を装って、彼女と心中をしたのだった。

 私にとって、この記憶は失われたままの方が良かったのだろう。

 何故なら、私の眼前で彼女と男性が動かなくなっていたからだ。

 現場は血の海だったが、中には私の涙も混ざっていることだろう。

 しかし、私の行為は此処で終わりではない。

 私は鋸を手にすると、男性の両足を切り落としていく。

 そして、それらを彼女に取り付けた。

 彼女に両足が戻ったのならば、私が責任を覚える必要は無くなるのだ。

 だが、この行為には何の意味も無いことは理解している。

 私は、その場で然るべき機関に連絡をした。

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責任 三鹿ショート @mijikashort

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