9.家出

 5ヶ月後。

 厳しい冬が過ぎ、路上に残った最後の雪が溶け消えて行く。ルーナは屋敷の一室の大きなベッドで眠っていた。小鳥がさえずる声と共に、ルーナは窓からの朝日を浴びながら、起き上がった。

 5ヶ月前ルーナとリオ男__ティム・エドワーズに拾われた。エドワーズはそれなりに稼ぎのある商人だったらしく、十分な食事に暖かい寝室、綺麗な服__リオとルーナは今までに経験した事のないような贅沢な暮らしをしていた。エドワーズに妻はいなく、使用人が一人いたが、ルーナ達が来る前にやめてしまったらしい。そこでリオは屋敷に住まわせてもらう代わりに使用人として働くことにした。一方で、ルーナは「怪我を治すのが優先だ」とエドワーズに言われて、ここ5ヶ月食べては寝ての繰り返しをしていた。非常に贅沢だ。だが、普段活動的で常に戦場を忙しなく駆け回っていたルーナにとってこの5ヶ月間は退屈で仕方がなかった。

 ルーナは、長い耳をすっぽりと包む毛糸の耳当てをとってサイドテーブルに置いた。ルーナは耳が冷えやすいからとリオが作ってくれた物だが、最近は暖かくなってきたので、つけると耳が汗まみれになる。

 ルーナはふかふかのベッドから降りた。軽くストレッチをして体を動かす。脇腹と肩の刺し傷や、その他切り傷打撲の跡はすっかり回復し、日常生活にほとんど支障がなくなった。


(よしっ)


 ルーナは今日こそ思い立ち、キッチンへ向かう。キッチンにある適当な食材を使って、料理を始めた。料理はここ5ヶ月はずっとリオが作っていて、まるで城の料理人のようにいつも美味しく作ってくれた。ルーナはずっと、傷を治したらまずは料理をやろうと心に固く誓っていた。ルーナだって、傭兵時代はほぼ自炊だったので料理は結構なれている。


 パンをときりバターをのせ、野菜を(どんがらがっしゃーん(?))切って卵をと割ってサラダやスープを作る。


 次々と完成した料理を食卓に並べる。不思議な匂いが室内を包んだ。

 ルーナはスキップしながらエドワーズの私室に向かった。


(なんて反応されるかな)


 ルーナはドキドキしながら部屋のドアをノックしようとした。しかし、


「え?」


 勝手にドアが開き、中から何故かリオが出てきた。


「......ル......」

「兄貴?なんでここに......」


 リオは最初驚いて目を大きくしたが、次第に怒りを含んだ鋭い目つきに変わっていった。


「ルーナ! こっちの方には来るなって前に言ったろ! 特にエドワーズさんの部屋には近づくなってあれ程......」

「!......ご、ごめんなさい......」


 ルーナはびっくりしてシュンッ......と耳が垂れ下がる。ここ5ヶ月間リオが怒るところをルーナは見た事がなかった。


「朝食を作って......だから皆を呼ぼうとして」


 リオがなお怒気を含んだ表情で睨みつけてきた。ルーナの耳がますます垂れ下がった。


「こらこらそんなにルーナを睨みつけてはいけないよ、リオ」


 エドワーズが部屋の奥からやってきて優しくリオを諫めた。


「朝ごはんを作ってくれたんだね。ルーナはとっても良い子だね」


 エドワーズがルーナの頭をなでる。ルーナはおずおずとリオを見た。


「はあ......わかりましたよ。怒鳴って悪かったよ、ルーナ」


 エドワーズは微笑み、ダイニングルームへ向かっていった。リオもルーナもそれに続く。リオは小さな声でルーナに耳打ちする。


「あのさ、......何か聞こえたか?......部屋から」

「?なにも」

「そっか」


 リオはそれ以上何も言わなかった。ルーナはなんだか胸がむかむかするような感覚がした。

 ダイニングルームに着くと、エドワーズもリオも顔がひきつった。


「こ、これをルーナが作ったのか......」


 ルーナは恥ずかしいような照れるような顔でこくりと頷く。

 二人は仕方なく、席についた。


 席についたエドワーズはまず、部屋の隅に置いてある女神像を見た。女神像はリオやルーナと同じくらいの大きさの像だ。エドワーズは女神像に向けて手を組み祈り始める。ルーナもそれに習い、女神像に祈りを捧げた。だが、リオは祈らない。女神像を見向きもせず二人を黙って待ってる。これは今日に限ったことではなく、5ヶ月間ずっとそうだった。リオがなぜ祈らないのかというと、本人曰く「神様なんて信じてないから」だそうだ。ルーナからしたら信じられない言葉だったが、エドワーズは特に怒る様子はなかったし、リオが祈らなくても特に注意する事もなかった。


 食前の祈りが済むとエドワーズとリオは同時に食べ物を口に運び、同時に顔が赤くなって青くなって、涙目になった。


「どう......?」

「お、おいし......ぉえっ......」

「独特の味がする......かな」


 エドワーズがやっとのことで作り笑いを浮かべると、ルーナはぱああっと顔を輝かせた。一応褒め言葉と受け取ったようだ。そのまま3人は食事を進めた。同じ物を食べているはずなのに、食事を終える頃にはルーナ以外は何故か汗だくになっていた。


「と、ところで、ルーナ。料理をするなんて......もう動いて平気なのかい?」

「おじさん、前も言ったけど傷はもうとっくの昔に治ったわよ! 私も、今日から沢山働きたいわ。兄貴の負担を減らしたいし」

「そうかい。流石ルーナだ。君は本当に良い子だね」


 エドワーズがにっこり笑った。

 この時一瞬、リオの眉がぴくりと動いた事に誰も気づかない。


「それじゃ、今日からルーナも屋敷の使用人だ」

「! やった!」

「......おっと、今日はゆっくりしていられないんだった」


 エドワーズは急いで立ち上がった。


「今日は大事な商談の日でね。リオ、ルーナの仕事の事は任せたよ」

「はい」

「......あ、それと」


 エドワーズはドアに手をかけた状態で振り返った。


「私の部屋、今晩はルーナが掃除するように、ね。」

「......?」

「良いだろ、リオ」

「はい、ルーナもきっと喜ぶと思います」


 リオがにっこり笑った。ルーナは少し不気味に感じた。


(あれ?)


 不意に、エドワーズがぼやけて見えた。その代わりにあの化け物__両目が釣り上がり、口から大きな牙がはえて頭に大量の目がある化け物が一瞬見えたような気がした。ルーナの心臓がドキンと跳ね上がるが、次の瞬間には化け物がいなくなっていた。


「見送りはいらないよ。ルーナをよろしくね、リオ。それじゃあ」


 エドワーズはそれだけ言うと、ドアをガチャリと開けて出ていった。


「......兄貴......?」


 ルーナがおずおずとリオを見る。ルーナはリオの表情を見て、ハッと目を見開いた。さっきまでの笑顔が嘘のように、リオは冷ややかな表情を浮かべていた。


「兄貴......」

「ルーナ、今日ここを出ていこう。すぐに用意するんだ」

「え、兄貴......何を言ってるの......? ここを出ていくって......?」

「屋敷を離れようって言ってるんだよ。お前、もう怪我治ったんだろ? それにもう厳しい冬は過ぎたんだ。だったら、こんな所にいる必要がないよ。金になりそうな物ありったけ袋に詰めていくんだ」

「あ、兄貴、待ってよ......! な、なんで急に......! 急に出ていったらおじさんに申し訳ないし、それに盗むなんて......」

「あんなクズ野郎の事なんか知った事じゃないよ」


 リオの言葉に感情はこもっていなかった。淡々と当たり前のようにエドワーズを侮蔑しているリオがかえってルーナには怖く感じた。


「酷い......兄貴......おじさんの事をそんな風に言うなんて......」

「嫌ならお前一人で残れよ」


 リオの言葉は冷たくルーナを突き放した。

 リオに置いてかれるなんて、ルーナは絶対に嫌だった。訳がわからなすぎてルーナは涙が出た。


「な、......なんでそんな言い方すんのよ......。私が兄貴から離れないの分かってるくせにそんな言い方酷いじゃない......!もう兄貴、意味わかんないよぉ......っ......」


 リオはハッとした表情を見せた。リオは少しだけ戸惑った後、ルーナを抱き寄せた。


「......ごめん、何も説明しなくて。でも、俺はルーナが大事なんだ。......だから、今はとにかく俺に従ってくれないか?」

「......」

「......ごめん、ここでの良い暮らしを突然投げ出すなんて、嫌だよな......ごめん......」

「......私、兄貴と一緒なら......どこでもいい」

「......ああ」


 ルーナはぐしぐしと涙を拭いた。


 ルーナはリオに言われた通りに急いで自分の部屋に向かった。最小限の自分の持ち物を袋に詰め、そして貴重そうな食器や装飾品を入れていく。


 大体の準備が終わる。リオは固くルーナの手を握ると、荷物を持って屋敷を出た。


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