中編



(……ああ、どうしてこんなことになってしまったんでしょうね。すごくめんどくさい)


 まさか聖女と呼ばれている令嬢がそのような事を考えているなんて、誰が信じるだろうか?


 エステリア・シャーロット。

 彼女はこのアストリア王国、『聖女』と言われている貴重な光魔法を扱える存在である。

 幼い頃からその魔法に目覚め、多くの人たちを救ってきた、いわば英雄ともいえる存在の彼女はただいま、婚約者である王太子、オスカー・アストリアに婚約破棄を言い渡されている状態だ。

 元々政略結婚なので目の前のオスカーと言う人物がどういう人なのか、どんな人物なのか、と言う事すら知らなかった。そもそも毎日のように会ってはいなかったのである。

 彼女は婚約者よりも、傷つき、聖女を求める人たちを優先した。

 おかげで彼女は王国の街の人々達に崇められる存在になってしまった。


 エステリアも頑張った。

 この国の為に尽くそうと思っていたはずなのに――どうやら婚約者となった王太子はそれが気に入らなかったらしい。

 自分を優先して欲しかったのかもしれない。

 いつの間にかエステリアではなく、別の女性を愛するようになったらしい。

 それも、実の妹を愛するなんて、どうかしてると思った。


 オスカーの隣に居る胸を強調しているドレスを着ている少女はエステリアの実の、血を分けた妹なのである。

 それに、毎日聖女として国に尽くしてきた彼女に、妹をいじめる時間なんてないし、ここ数年教会に勤めていたので実家に帰っていなかったので、妹の顔すら見ていなかったのだ。

 確かに妹のサシャは同じように貴重な光魔法が使えるが、彼女は魔法よりも男あさりが趣味だと、胃を痛めながら手紙で報告してくる父の顔が浮かぶ。


 エステリアが父の姿を見ると、数年ぶりに見た父の表情は明らかに強張っており、胃を押さえながら何とか立っている状態だと彼女は認識する。


 ――彼女は面倒ごとは嫌いだ。


 そしてオスカーはエステリアよりもサシャの方が聖女にふさわしいと言ってきた。彼女にとってその結果は見えている。

 否定したかったこともあったが、相手は王太子。この国の次期王様になる存在に逆らってしまったら、エステリアだけではなく、大好きな父や母にも危害が及ぶ可能性が高い。


(運良くて追放ね……まぁ、それも別に構わないけど。一人で生きていけばいい話だし)


 これからが大変だろうなと思いながらゆっくりと顔を上げて口を開こうとした時、思いがけない声が、響き渡る。



「――エステリア・シャーロットが聖女にふさわしくないとおっしゃるなら、もうこの国には彼女は必要ないですよね?」



 幼い声が会場に響き渡り、エステリアは目を見開きながらその声の方向に視線を向けると、小さな子供が笑みを浮かべながらエステリアの前に近づき、そして王太子であるオスカーに視線を向けた。

 子供は楽しそうに笑いながらそのままエステリアの近くに立ち、笑顔で挨拶をしてくる。

 突然の行動に驚きを隠せないままでいたエステリアは言葉を出そうとしたのだが、まるで喉に何かが詰まってしまったかのように、動けなくなってしまった。


「え、っと……」

「こんにちわ、初めまして。ぼ……いえ、私はリュシアと言います。あなたの事は弟がファンなので、噂は聞いております」

「は、はぁ……」

「あなたはただいま、王国の王太子に婚約を破棄されました。理由はクソと言う程わからない事ですが……そして、あの王太子はあなたを偽モノとして扱うようですが、どうですか?」

「どう、とは……?」


「――私の父が王として君臨している国にいらっしゃると言うのは?」


 フフ、と笑うように子供は無邪気な笑顔でそのように発言し――そして同時に王太子を簡単に、あっけらかんに侮辱している。背後にいる護衛のような姿をしている一人の男性も全く動かす、何も言わないまま。

 その護衛の背後で落ち着かない様子を見せている青年にも全く目もくれず、子供は手を差し伸べてきたのだ。


「悪い話ではありませんよエステリア・シャーロット様。私は、あなたを歓迎いたします」


 小さな手が大きく手を伸ばし、リュシアと名乗った少女はまっすぐな瞳で彼女を見ている。

 もし、この手を振り払ってしまったら、エステリアを用なし扱いをする国で暮らさなければならない。彼女は面倒ごとと云うものが嫌いだったため、結論は数秒で決まる。

 そもそも王太子との婚約だって、嫌だった。

 妹は、何故か自分を毛嫌いし、そして王太子に嘘の情報を流したり、悲劇のヒロインぶった事を何度かしたことがあって、とてもそれが嫌だった。


 断る理由なんて、なかった。

 あの二人の顔を二度とみられない、と思えるのならばと。


 小さな手を強く握りしめながら、エステリアは答える。


「よろしくお願いいたします、リュシア様」


「フフ、決まりです――いや、決まりだな。良かったなヨシュア!エステリア嬢がボクたちの国に来てくれるって!」

「ね、姉さ……ちょ、や、やめて、恥ずかしい……ッ!」

「え、姉さん?」


 笑いながら答える子供、リュシアは後ろで慌てて顔を真っ赤に染め上げている青年、ヨシュアに向けて笑顔で言うと、彼はリュシアの事を『姉』と呼んだ。

 つまり、エステリアの事を気に入っていた『弟』と言うのは背後に居た彼らしい。しかし、エステリアが一番衝撃だったのが、『姉さん』と呼んでいた弟よりも、子供の姿をして笑っている彼女が『姉』だという事に驚きだった。


「ちょ、ちょっと待ってください……あの、リュシア様、後ろの人はあなたの弟さん、なのですか?」

「うん、そうだよ。子供みたいな姿だけど、ボクの方が十歳年上だから」

「え……」


 全くそうには見えないと言う言葉を、エステリアは言う事なく飲み込んだ。

 そして、理解する。


 目の前の子供の姿をしている少女は、を。


「リュシア……リュシア様、あなた、もしかして――」


 何かを言おうとエステリアが口を開いた瞬間、リュシアは笑みを絶やさず、唇に指を一本置いてそれをエステリアに見せている。

 まだ、口を開くな、と言う事らしい。

 驚いた顔をしながら居るエステリアの事など露知らず、彼女を連れて行くと断言したリュシアに目を向けたのは、この国の次期国王である王太子、オスカーだ。

 今までのやり取りが気に入らないのか、睨みつけるようにリュシアに視線を向けている。


「お、おい、待て!そこの子供!」

「エステリア、とりあえずボクの従者と弟を紹介するね。特に弟は君の事本当に大好きなんだけど、憧れのエステリアが居るからテンパってるけど、まぁ、気にしないで」

「は、はぁ……」

「は、はわわ、ど、どうしようリュー……え、エステリア様がち、近くに来る!ああ、し、死んじゃう!」

「近づいただけで死にませんから大丈夫ですヨシュア様」


 オスカーがリュシアたちに声をかけているのだが、まるで聞いていない素振りを見せながら背を向けてこの会場を後にしようとしている。

 それが余計に気に入らなかったのか、オスカーは近くに居た兵士たちに声をかけ、エステリアとリュシアを先頭にした彼らを足止めさせた。

 目の前に突然騎士たちが現れた事により、リュシアの表情が一瞬で変わる。


「……ァ?」


 低い声で呟いたと同時、後ろに居た従者であるリューが背後に周り、背中を軽く叩く。


「リュシア様、落ち着いてください。あの王太子がお話があるようですよ」

「聞く気はないけど聞いておこうかな……って言うかまさか僕たちの事知らないなんて言わないよね、オスカー王太子殿は」


「き、貴様ら!話を聞け!まず何者か名乗れ無礼者!」


「……知らないみたいですよ、リュシア様」

「……エステリア、王太子はちゃーんと勉強とかしてるのかな?次期王様なんだよね?」

「……なんとも言えませんね。最近は妹のサシャと逢瀬を楽しむのが日課だったみたいで」

「え、あれエステリアの妹なの?全然見えない……けど、確かに魔力はそっくりだね。ただ――」


 リュシアはエステリアと妹であるサシャを何度か見比べてみて、そしてリュシアはそのまま自分の胸に視線を向ける。

 サシャは豊満と言っていいほど、大きい胸をしてきて、形も綺麗だ。ただ、まるで娼婦のようなドレスを着ているため、色気のようなモノが漂っている。

 エステリアは胸は少し大きく、形が良い。この国の聖女と言われている存在だからこそ、しっかりとした綺麗なドレスを着て、美しい。ヨシュアが好きそうな相手だ。

 リュシアは再度、胸に手を当て――つるんとした幼児体型にちょっと、泣いた。


「大丈夫ですリュシア様。俺はあなたのそのぺったんこの胸でもお仕えいたします」

「ねぇ、それ褒めてんの?貶してんのかリュー?」


 絶対に貶しているなと思いながら、リュシアはリューの服を鷲掴みにして低い声を上げながら睨みつけるが、相変わらずリューは平然とした顔をしているまで。

 ヨシュアは慌てた素振りを見せながら、どうしたら良いのかわからず、とりあえず姉のリュシアとリューを宥めようと身体を必死に動かしている。

 相変わらず王太子であるオスカーを見る事はなく。


「き、聞いているのか貴様ら!」

「「聞いてない」」

「なっ……」


 リューとリュシアは声を合わせながら同じ発言をした瞬間、とうとう我慢の限界にきたオスカーはサシャの肩を掴み、強く引き寄せると同時に、手を上げて叫ぶ。


「もう良い!その不埒な奴らを捕まえて牢へ――」



Kneel down跪いて lie down平伏しろ



 静かに、ゆっくりと、何かの呪いのような、呪文のような言葉を投げかけた瞬間、突然身柄を抑えようとした騎士たちはその場で崩れ落ち、跪いた。

 一瞬、何が起きたのか理解できなかったエステリアだったが、隣に立っていたリュシアは平然と、無表情で、リューも、黙ったまま。

 唯一、エステリアの中でヨシュアが常識人に見えたと同時に、先ほどまで後ろに居たはずのヨシュアがエステリアの前に立ち、両手を広げながら彼女を守るように立っていた。


「だ、だだ、大丈夫ですか、え、エステリア、様……」

「え、ええ……私は大丈夫です。あ、あなたは……?」

「ぼ、僕は、大丈夫です……まぁ、襲いかかる前に、姉さんの『竜眼』が発動したから、別に平気だったみたいですけど……ハハッ」

「りゅ、竜眼……ってことはやはり、彼女……いえ、あのお方は――」


 エステリアは驚いた顔をしながら、今隣に立っている彼女と、そして自分にあこがれていると言ってくれたヨシュアの正体がすぐに分かった。

 一方、何が起きたのか理解が出来ていない王太子のオスカーに向かって、リュシアはフッと笑いながら笑顔で答えた。


「そう言えばご紹介しておりませんでしたね、殿下――私の名はリュシア。リュシア・ヨーギランス・アシュカルテ。こちらは弟のヨシュア・ヨーギランス・アシュカルテ」



「――竜魔王国、竜魔王の娘でございます」



 リュシアが静かにお辞儀すると同時に、会場が一瞬にして静まり返ったのだった。



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