1曲目

はぁ、と、一際大きな溜息が佐世保に谺する。自らの艦に向けられたクレーンと積み込まれてゆく航空魚雷を見上げて、彼はもう一度気怠そうに息を吐いた。動もすると少女と見紛う端麗な顔立ちだが、其の眉間には深い皺が寄っていた。其の原因は、勿論。


「なぁ、加賀。此れ、どう使うんだ? 矢張り飛行機に積んでゆくのか? 其の後はどうするんだ?」


興味津々に横から話しかけてくる青年である。加賀、と呼ばれた彼は再び長嘆息を洩らすと、不機嫌そうな顔でもうひとりの青年に顔を向けた。

「……そうだよ。戦闘機から落とすの。照準さえ合わせれば後は勝手に敵艦に向かってく、って仕組み」

「ふぅむ……戦艦としては怖いものが有るな」

腕を組みつつ動くクレーンを眺めつつ頷く青年の様子に、加賀は「そもそも、」と押し殺した声を上げた。

「何で居るの? 態々佐伯から佐世保迄来たの? 天下の聯合艦隊旗艦様が?」

「何でって其れは勿論、可愛い弟が大きな作戦に出るって言うから――っと」

其処迄言った所で、青年・長門は言葉を切った。理由としては、多分、“弟”の単語を口に出した途端加賀が本気で長門を睨んだからだろう。加賀の余りの剣幕に圧されたのだろうか。

長門型じゃないって何回言ったら分かるの? 私は加賀型。加賀型航空母艦一番艦。今は戦艦ですら無いんだから。私の兄弟は土佐だけ」

「……そうか?」

「別に何でも良いけどさ。取り敢えず、早く戻りなよ。赤城の面倒見といて。多分気ぃ立ってるだろうから」

「全く同じ事を赤城にも言われた」

「…………」

加賀の眉間の皺が一層深くなったが、其れに気付いているのかいないのか、長門は特に何という事もなく立っている。そんな様子の彼に向けて、加賀は黙って手を払った。此れ以上加賀の機嫌を悪くしても、と思ったのか、長門は一言「そうか」と言うだけで呆気なく踵を返した。


少し離れ、長門がコンテナの角を曲がった其の時、ごとごとと騒がしかった音が少し和らいだ。如何やら積み込み作業がひと段落したらしい。其れに伴って周りの音が聞こえる様になる。誰かの呟く声が聞こえた気がして、長門はふと行き足を止めた。

「……土佐は良い子じゃ、か」

「? 今の、加賀、か……?」

先程睨まれたのもあって少し躊躇したが、所詮は好奇心が勝り、長門はもう一度加賀の方へと戻った。其の足音に彼はぴくりと肩を動かしたが、聴かれていた事を悟ったのか、振り返ろうとはしなかった。

「なぁ加賀、今のは?」

「……感傷に浸る隙もくれないか。ったく……ちょっと思い出しただけだよ」

「? 歌、か」

「かもね。私には歌えないけど」

加賀は一度肩を竦めると、数拍だけ黙った。その後、再び口を開く。

「……土佐は良い子じゃ、この子を連れて、薩摩、大隈、富士が曳く……鶴の港に朝日は射せど、わたしゃ涙に、呉港……ま、あのこが愛されてた証拠だよね」

謡い上げるのでは無い、詩の様に淡々と呟かれる言葉に、長門は軽く首を傾げた。(歌詞的には歌なのだろうが……何処かの宴席で聞いた気がするな。だが此奴は音階を知らない。呉とは縁の無い奴とは言え。否、『歌えない』、か)

「土佐は……良い子だったか」

「そりゃね。良い子でしょうよ。自分が尽くすと決めた御國に殺されるとなっても、恨み言一つも吐かなかったんだから。……でも、流石に私の事は許してくれないだろうね」

其の言葉の意味が分からない為、一度言葉を切った加賀に続ける様促す。真逆続きを要求されるとは思っていなかったのか彼は少し瞬きしたが、また言葉を紡ぐ。

「当たり前だよね。だって、あのこが命を懸けて齎してくれた平和を、兄である私が踏み躙るんだから」

「……踏み、」

「慰めとか否定とか要らないから。唯の事実でしょ」

そう淡々と告げる合間も、加賀の表情は能面が張り付いたかの様にぴくりとも動かない。しかし其の顔の中に隠し切れない激情が渦巻いている気がして、長門は唯黙っていた。

「ちょっと、黙んないでよ。私がまともじゃないみたいじゃん。いや、あのね。嫌な訳じゃないしさ。寧ろ嬉しいよ、私は。……此れで漸く、報われるんだから……

航空母艦として二十年、耐えてきた。だけど、やっと証明出来る。もう戦艦なんかの時代じゃないって。私を、赤城を、空母として生かした事がお前達を殺すんだって。あのこを、土佐を殺した事が間違っていた、って……!」

加賀はそう俯いて吐き捨てる。だが直ぐ隣に戦艦である長門が居る事を思い出したのか、はっと気不味そうに口を噤んだ。

「……ごめん」

「いや、気にするな。言いたい事も気持ちも解る。しかし、何だ……お前は後悔しているのか。航空母艦として生きる事を」

解る、と言いつつ加賀の頭を撫でると、直ぐに彼は長門の手を払ってきた。其のまま長門の顔を見ずに、「……いや」と続ける。

「後悔は、してないよ。後輩共は可愛いし、先輩方は優しいし……ならないと多分、赤城にも会えなかったからさ。ま……土佐をひとりで往かせてしまったのは情けないとは思うけどね」

最後の消え入る様な言葉は、クレーンが立てた一際大きな音に掻き消された。其の音が合図だったのか、積み込み作業は終わった様子である。(船積、一段落したんだな。逆に言えば、此れでもう泣いても喚いても出撃は止められない)

「終わっちゃった、か。あのさ、指示の命令出すのって長門なんだよね?」

「そうだ。俺だ」

「そっか……ねぇ、長門。私達きっと、碌な死に方出来ないだろうね」

「……ああ。だろうな」

霜月の凩で髪が揺れる。横須賀よりは暖かいと長門は思ったが、普段も佐世保に居る加賀には少し冷たかったのか、首を竦めつつ「ま、ふね軍艦にとっての碌な死に方って何か分かんないけどさ」と言い訳じみた声で呟いた。

其れもそうだ、と長門が言葉を発そうと口を開きかけた瞬間、「おーい、加賀!」と加賀が呼ばれる声を聞いた。

「あ、はぁいー! ……じゃ、ちょっと呼ばれたから行くね。作業員だと思うから……長門も適当な所で佐伯に戻んなよ」

其れだけ言うと、加賀は長門の返事を待たずに、ふいと踵を返す。長門は少し腕を伸ばしたまま固まっていたが、軈て黙って其の手を降ろした。



「…………」

先程からずっと、口を開いてはまた閉じるを繰り返している。どうにも踏ん切りが付かず、一つ息を吐いて長門は座り直した。彼奴の溜息癖が移ったかな、とぼんやり思う。彼の手の下には、皺の寄った地図。太平洋のほぼ真ん中に、赤いバツ印が付いていた。其の線を、白い手袋に包まれた指でそっとなぞる。

(機動部隊は単冠湾、か。目標は……)

目を閉じて、遠くの景色を思い浮かべる。晴れた空、南国らしく凪いだ海。温い風。そして、彼方の島に艦首を向ける航空母艦。何処となく現実味の無い風景の様な気がして、長門はゆっくりと目を開いた。其れはそうだろう、だって、自分達が今から其の風景を壊すのだから。平和な島を、地獄へと変えるのだから――

(……加賀は、此れで良いと言っていた。後悔は、しないと。赤城はどう言うだろうか。熱そうに見えて冷淡な奴だから、何も思っていないかも知れないが)

ふっと彼の頭を過ったのは、今現在場所を確認した機動部隊の片割れ達だった。自分でも何故そんな事を考えたのか分からないままだが、思考は止めない。

(碌な死に方……俺達にとっての。軍艦にとっての。戦って沈む事か、其れとも誰かを守って沈む事か。ただ……矢張り彼奴の言った事は正しいのだろうな。下手人の行き着く先など、疾うの昔から決まっている)

(……だが。其れでも。一介のふねに、時代に逆らう力なぞ無い。彼奴がそうだった様に……)「――土佐よ」

気付かぬ内に、声が洩れていた様だ。周りには誰も居ないからか、想像よりも反響した。だがそんな事に構わず、長門は淡々と呟き続ける。

「怨んでいるか。此の日を待ち望んでいたか。だが……否。土佐よ。お前の兄の事、護ってやれよ」

其処で一度言葉を切ったが、長門は再び口を開いた。もう逡巡と共に閉じる事はしない。此れからだと云うのに、何故か酷く凪いでいる胸中を抱えたまま、自らの懐中時計に目を落とす。針は、十七時三十分を指していた。

「――新高山、登レ」

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