4章:喜多島穣⑧

「…………」

 落ち着かない。まだ体の芯が、揺さぶられているようだった。

――――――

 ふとした拍子に脳裏に甦るのは、声。顔。

 声は弾んでいた。楽しそうに。顔は笑っていた。マスク越しにも分かるほどに。

 そこに悪意は感じられない。大凡大半はきっと、好意で声を掛けてくれている。

 分かっている。分かっている。

 オカシイのはいつだって自分の方だ。

 それでも思ってしまう。

 悪意と打算に満ちたものであれば、きっと少しは楽でいられたんだろうなと。

 死にたい。

 恵まれている。そう思えるのに。有り難いと、心の半分は、心の底から感謝できるのに。楽しいとだって思えるのに。

 心のもう半分が、ずっと軋んでいる。

「――あら今帰り?大変やねぇ」

「あ、はい。当番で」

 すれ違いざまに声を掛けてくれたのは、近所に住むおばさんだった。

「頑張りねぇ~」

「はい」

 遠ざかっていく背中に小さく頭を下げる。今もまた、温かいのに、気持ち悪い。

 どんな顔をして、今ここに居るんだろう。あそこに居たんだろう。家で過ごすんだろう。

 なったものが、怪物なら、どれほど良かっただろう。

 怪物よりもずっと、自分は醜いのに。

 皆には何が見えているのか。

 自分には、自分が周囲と同じものであるようには思えない。

「あ……」

 玄関扉を開けたところで、明かりが点いていない理由を思い出した。

 里安君は、遅くなるかもと言っていた。

「――?」

 冷蔵庫に何が入っていたかと考えながら、後ろをふと振り返る。

 マスクとサングラス、帽子で顔を隠した男が立っていた。すぐ目の前に。

「んむ――――っ⁉」

 口を塞がれ、玄関へ押し込まれた。

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