4章:喜多島穣⑤

「――体調に大きな変化はなさそうですね」

 定期検診を一通り終えて、田所医師からは前回と同じ言葉を掛けられた。

「ありがとうございました」

 立ち上がり頭を下げる。踵を返そうとしたところで呼び止められた。その原因には勿論、心当たりがある。

「三日前に整理が来たでしょう?どう?何か困ったことはなかった?」

 やっぱり

「あ、その、薬なんですけど、予想より早く来ちゃって、タイミング逃しちゃったんですけど、どうすれば良かったでしょうか?」

 家内に設置されたカメラもあれば、里安君からの報告もある。隠しようもないことだ。それでも、恥ずかしさから背中が変な熱を持つ。

「うん。月一回っていっても、毎月この日って決まってるわけじゃないから、だから予想の日から前後三日、合計一週間くらい飲むんだ。――ほら、確か八錠処方してたでしょ?」

「あ……」

 何でこんなに入ってるんだろうと思っていたが、なるほど得心がいく。

「勿体無いなんて思わないで、使っていいからね」

「はい」

「ああでも、飲み方は守ること。残ってる分も一気に何錠も飲んだり、必要ないのに飲んだりしないこと」

「はい……!」

 もしかして、もしかしなくとも、自分は一度この説明を受けているんだろうか。あるような無いような

 記憶が曖昧だ。

「薬が効かなくなることもあるし、生理周期が乱れて、色々大変なことが起きやすくなるから」

「はい……!」

 今度は忘れないように、ちゃんと覚えておかなければ。

 田所医師は柔和に笑い返してくれた。

「――お母さんとはどう?連絡は取り合ってるんだよね」

「はい。ときどき、夕飯の写真を送ってるくらいですけど」

 田所医師は母ともやりとりをしているらしかった。内容までは知らないが。

「みたいだね。どんどん上達してるって喜んでいらしたよ」

「……はい」

「私も見せてもらったけど、すごいね!」

「いえ、ぜんぜん、です……」

 見せるために少し頑張ったものだから。里安君にも手伝ってもらっているし。

「簡単に出来ることじゃないよ。二人ともすごいよ」

「――はい!里安君はすごいです」

 本当にすごいのは。頑張っているのは里安君だ。今日だって一年度の実習の補修を受けている。自分よりもクラスに溶け込んでいる。

 自分なんかとは比べるべくもない。

「――穣さんは勇魚君のこと好き?」

「――――」


「はい。里安君がバディで良かったです」

 心からそう思う。

「そっか」

 どういう答えを望まれていたんだろう。なんでもないような問いに、なんでもない反応は、それ故に妙に記憶に残って

「じゃああと、お薬だけ受け取ってね」

「はい。ありがとうございました」

 続く言葉もどこか、無理矢理な軌道修正に感じられた。立ち上がって一礼、踵を返す。背中にまた、田所医師の声が掛かる。

「里安豊海さん――勇魚くんのお父さんとは、最近何か話した?」

「――?いいえ」

「……そっか。――うん、ごめんね。引き留めちゃって」

 また、幽かな違和感。

「いえ、ありがとうございました」

 そして薬を受け取り家路に着く。幽かな違和感が際立たせる、里安君のお父さんの名前が、夕飯の準備を考える頭の中にぽつんと浮かんでいて

「――――」

 家の前に停められた一台の車。その持ち主の候補に否応なく結び付いてしまう。

 里安君はまだ帰って来てないかな。

 鉢合わせたらと思うと、そこに少しだけ安堵した。

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