4章:喜多島穣③

「――はいこれ」

「あ、ありがとうございます」

 ある昼休み。先輩から「陰翳礼讃」を受け取る。

「確かに印象がすごく違ったね。なんか、お坊さん?っぽかった」

 お坊さん?それはそれとして、うけは中々に良いようだった。

「あはは……」

「あ、さっきの話なんだけど」

 まだ終わってなかったんですね。

「なんかこう、重いものを背負ってて、それを降ろした、みたいに見えたんだ」

「――――」

 すっきりした、ということだろうか。先輩の言葉に一つ、心当たりが浮かぶ。

 しかしそんなに、顔に出ているのか。

 先輩がにんまりと唇を歪めている。嬉しそうだった。

「…………」

 そして話してほしそうにじっと、先輩はこちらを見ている。敢えて話すようなことではないのだが。

「――バディの人と直接、ではないんですが……」

 促されるままに話してしまう。

 弱いな。と思った。

「――へー許嫁」

 とりたてて興味を持っていないことは声からも、表情からもよく分かった。

「想像つかないな。結婚もその相手も決められてるなんて」

 辟易したように先輩は机に突っ伏す。

「そうですね」

 幸い?二人は幼馴染みで気心が知れた間柄だが、これがよく知りもしない、波長も合わない人間だったら

 思わず呟いてしまうというものだ。

「…………」

「…………?」

 先輩がこちらを見上げている。感情は読めない。ゆっくりと目を逸らした。

「『バディ』も結構近いよね」

 言われてみれば確かにそうだ。

「……自分は本当に恵まれてます」

 先輩がへらりと笑った。

「きっとサトヤスクンも同じこと思ってるよ」

「――?」

 そこでふと、視界が陰る。先輩の視線からも後ろに人が居ることが分かった。

「――穣」

「――⁉」

 だから驚いたのは、里安君が学校で、下の名前で呼んできたことに対して。

 弾かれるように振り返って、里安君が少し険しい顔をしていた。ほんのすこしだけ

「あ、里安、くん……」

 日差しや影でそう見えるだけだと思いたい。

「おー、君が噂のサトヤスクン」

「…………どうも」

 気のせいだと思いたい。先輩に視線を向けたほんの一瞬、険しさが増したように見えたなんて。

「次、実習だぞ」

「あー……、でしたね」

 いつもより少し声が荒いように感じた。

「じゃあ、お先に失礼します。先輩」

「またねー。サトヤスクンも」

「失礼します」

 ひらひらと手を振る先輩に小さく手を振り返す。里安君は会釈を済ませさっさと踵を返す。

「…………」

 去っていく里安君の歩調がいつもと違って早い。もうそんな時間だろうか。――しかし時計が示す時刻は、午後の授業までにはまだ余裕がある。

「――っ!」

 もう一度先輩に頭を下げて、里安君の背中を追う。

 走って背中を追うなんて、正式にバディが決まってからは殆ど記憶に無い。

「    」

「?」

 先輩に何か言葉を掛けられたように思えて、振り返ると廊下の角に消えていく先輩の背中だけが見えた。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る