三章:秘匿 独占 ひとりじめ③

「――あの人と仲良いの?」

 その日の夕飯の支度中、里安君から唐突に問いをぶつけられた。

「……あの人、とは……?」

 やましいことなど何もない。筈なのだが、自然と目が泳いだ。

 なんというか、こう、気配?が、こう……

「三年の金髪の人。最近昼休みに一緒に見掛けるって」

「あ、黒崎先輩のこと、ですか?」

「……だと思う」

 多分先輩のことなんだろう。他に長時間一緒に居る人なんて、先生くらいだし。

「…………」

 答えに困った。

 仲は良いのだろうか。良くしてもらってはいる。けれど、自分はどうなんだろう。

「……穣?」

「ああ、えと……、どう、なんでしょう……?」

「――?何て?」

「先輩は、良い人ですよ?」

 聞き返され、そう答えた。

 それは里安君の望む答えではないようだった。

「本当にそう思ってるのか?」

 包丁の音が止まる。里安君はこっちを見ている。

 どういう感情でかは、分からない。

 ただなんとなく、地雷を踏んだんだと思った。

「どんな話してるんだ?」

 再び包丁がピーマンを切り始める。

「えと、本とか、あと少し、アニメ、とか……?」

 目を合わせられない。最近はマシになってきたと思ったのに。

「前見てたやつ?」

「とか、他にも……」

 里安君はあまり漫画やアニメに、というか娯楽全般への興味が薄いように思う。そこにあれば読む。やっていれば見る。わざわざ録画まではしない。配信を見たり、現物を買ったりしているところは、あまり見たことがない。

 自室でのことまでは分からないけれど。

「――やっぱり俺ってズレてんのかな」

「へ?」

 なんとなく感じていたものが、感じられなくなっていた。引き寄せられるように里安君へ顔を向ける。彼の視線は今は、自分ではなく夕方の情報番組へ向けられていた。

「小さいときから、あんまそういうの見てこなくてさ、……よく、分からないんだ」

 里安君は目で、テレビに映るテーマパークのCMを示す。

「ああいうのやってても、面白そうとか思えなくて」

「……」

 それは人気アニメとのコラボイベントだった。自分にもアレのありがたみはよく分からない。

 里安君の言う「分からない」は、自分が思っている「分からない」とはきっと違う。

「だから、その、だな……」

 包丁の音がまた止まった。里安君の歯切れが悪いときは、誰かの為に言葉を必死に選んでいるときだ。その視線はずっとテレビを向いている。

 包丁の音は止まっているのに、体の内側が、ずっと小さく揺れたまま。

「さそって、くれねぇか。なんでもいい。見るときに」

 そんな里安君の横顔を、気付けばずっと見ていた。そして彼と目が合った。

……どういう顔ですか。それ

「もっと、しゃべりたい。……穣と」

 仄かに赤く染まった頬と耳。心なしか目は潤んでいるように思えた。

 それは漫画やアニメに見る、「告白をした顔」に似ていた。

 それはその気のない人でさえ、どきりとさせる程の「素敵な顔」だった。

「――っ!」

 胸の奥がぎゅっと締め付けられたようになる。まるで心臓そのものが竦み上がったように。

 鼓動が早い。それが時間感覚を歪ませる。

 何か返さないと。でも何て

 とても簡単な筈だった。何時ものように当たり障りのない、ありきたりな返事をすればいい。

 それが出来ないのは、里安君が、まるで意を決したような顔で、声音でそんなことを言うから。

 自分は未だに、あの日以来満足に里安君を「くろ」と呼べてさえいないのに。

 乖離して、噛み合えない。好意に、信頼度に、隔たりがきっとある。

 自分はこんなに――

「――じゃあ、今日にでも、どうですか?」

 淀みなく、思いの外滑かに、それは口から零れ落ちた。

 どんな顔で自分はこれを口にしたんだろう。

「――っ!あ、ああ!あー、何時から、だ?」

「十二時からです」

 面食らったように目を丸くして、里安君はそれを隠すように首の後ろを揉んだ。

 そうだ。ある筈がない。あっていい筈がない。

 自分はこんなにも他人を、家族でさえ、――自分でさえ或いは。関心を向けないようにしているのだから。

 そんな自分に、誰かが興味を持つことなど、まして好意を抱くことなど

 ありえない。

「――――」

 幾らかいつもの調子を取り戻した頭に、胸の小さな震えの原因に一つ、心当たりが浮かんだ。

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