第二章:不揃いの歯車 或いは棘を持たない獣③

「……どう、でしょうか?」

「――美味しい……!」

 薄く茶色に染まった白菜を口に入れて暫く、里安君はぽつりとそう零した。

「初めて食べたのに、なんか、懐かしい」

 テレビみたいなことを言った。

「あ、ぇへへ。良かったです。お口に合って」

…………

「さ里安君が、手伝ってくれた、お陰、です」

 白菜とごはんを一緒に口に入れた里安君は、こちらを向いたまま一瞬、動きを止め

「切っただけだが」

 不思議そうに首を傾げた。

「だけなんて、じ、充分です!お風呂のこともですし、これに割ける余裕が出来ました」

 しどろもどろになる。

 ふと、里安君の口元が緩んだ。

「じゃあ、そういうことにしとく」

 多分笑ってくれたんだと思う。声はふわりと柔らかかった。

「あー、ところで、だ」

 その声が歯切れ悪く、重くなる。怒りとは違う、まるで先程の柔らかさが水を吸って濡れたような

「こういう場合って、ふつう、向かい合わせなんじゃないか?分かんねぇけど」

 里安君は自分との間で指を行き来させる。

「お嫌、でしたか?」

 座り位置のことを言っているらしい。

「前テレビで見たんです。対面よりも隣や斜めの方が、緊張が和らぐって、……う、うちとけやすい、って」

 こう説明している自分が緊張しっぱなしでは、説得力などないのだが。

「……そうか」

 ふと、里安君の声に先程の柔らかさが戻った。ように感じられた。

「ならいいが」

「あ、ありがとう、ございます…………?」

「あー、じゃあそのついでに」

 指が耳の下を掻く。自分は続く言葉を待つ。

「何て、呼ぶのがいい?」

 今更だけど。歯切れ悪く里安君はそう尋ねてきた。

「一緒に暮らすわけで、名字はなんか、他人行儀っていうか、名前で呼ぶなら、一応、聞いとくべきかな、って……」

 歯切れの悪さは、後になるにつれ増していく。耳が赤くなっていた。

「えと、とくに、は。呼びやすいので、ぜんぜん……」

 それが一番困ると分かってはいるが、実際どちらでもいいし、拘りもない。

「…………」

「…………」

 沈黙。テレビを点けておくべきだったと、少し後悔した。

「 み、みのり…………」

「――ひゅ⁉」

 ぽつりと、小さな音。それが、自分の名前を里安君が呼んだ声なのだと、そう理解した途端に、喉から変な音が出た。

 その音に弾かれるように顔が上がり、心配になるくらいに赤くなった里安君の顔が見えた。

 息がつかえた。そんな顔をする人なのか。

「~~~~次!そっちな!」

 照れ隠しか、初めて彼から指を差された。

「え、と、あの、何か、希望は、あり、ます、か……?」

 口元を隠したまま、里安君は何でもいいと言った。

「ああでも、名字、じゃない方が嬉しい、な」

 ちょっと待って聞いてない。

「ええ、あ、と……」

 勇魚。おとにしてたった三文字が喉に詰まって出て来ない。あんな顔が目の前にあれば、きっと誰だってこうなるだろう。

「――――、く、ろ……?」

「…………ん?なんて?」

「里に、勇魚の魚の下の、てんてんを合わせて、黒……」

 指で描いて説明をしていく中で

「ごめんなさい。今のなしに――」

 流石に駄目だと思った。

「ああ、縦に。……黒。くろ……」

 考え込むように口に手を当て呟く里安君。

「それでいこう」

「ぇ……ええ……?」

「初めてだ。ニックネーム」

 声が小さく弾んでいる。よく分からないが気に入ってくれたらしい。

「――――ん」

 こちらに向き直り、小さく腕を広げる里安君。まるで何かを待ち構えているように。

「……?」

「今度はそっちが恥ずかしい思いをする番」

「…………」

 今呼ばなきゃだめですか。

「――く、ろ……さん」

 今はこれで勘弁して頂きたい。背中が、首筋が、後頭部が熱い。

「お、おう……」

 それが伝染したように、里安君の顔もみるみる赤くなっていく。

「じゃあ、そういうことで……」

「は、い……」

「もう一杯、もらう、ぞ」

「はい……」

 ゆっくり、ぎこちなく、里安君は台所へ消えていった。

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