第二章:不揃いの歯車 或いは棘を持たない獣 ➁
つつがなく買い出しを終え、母と祖母を見送ってしまえば、新居には風船のような沈黙が満ちる。
時刻は夕方。窓から差し込んでくる光は少し前と比べて、幾らも朱色に近付いている。
「――夕飯どうする?」
「あ、わた、し、やります!…………お嫌で、なければ」
その為の材料も買っておいた。これまでに何度か作ったこともある。
「いや、嫌とかはないけど、そうか……」
考えるように里安君は斜め下へ視線を落とし
「手伝わせてくれ。このままだと全部任せそうだ」
腕まくりをしながら台所へやってきた。
「あ、でも、簡単なもので、やること、あんまり、ないから……」
嬉しい申し出、の筈なのに、口は咄嗟にそれを断ってしまう。こういうときは、何て――
「そうか、なら丁度良い。俺ほとんどやったことないんだ。料理」
教えてくれ。そういう里安君の声はなんだか、弾んでいるように思えた。
ここまでこられてはもう、断りようがない。もともとその必要もないのだから。
「えと、じゃあ、白菜を、洗いましょう」
「ん」
二分の一カットの白菜をさらに半分に切る。幸いというべきか、台所は広く、流しも大きい。二人並んでも問題ない程度に。
「えと次は、切っていき、ましょう。芯の方は小さめで、葉の方は大きめで」
「ん。――確かこう、だよな。持ち方」
「こう、この方が、切り易い、かと」
ほとんどしたことがないというのは、どうやら本当のようだった。包丁の握り方、というか切ろうとしている体勢が、すこし大変なことになっている。
「こう?」
「はい。それで切り方は、こう、刃を、押し出す感じで……」
「ん。なる、ほど……?」
やって見せるも、里安君の動きはまだぎこちない。
「――こういう、ふうに……」
包丁を握る手、指の位置を正しい場所へ移動させる。そしてそのまま、弧を描くように手の動きを誘導して
「……あ、す、いませ、ん……」
そこまでいって、ようやく、当然のように手を握っていたことに気付く。そっと、速やかに手を離す。
「――ああ、なるほど」
里安君にそれを気にする素振りは見られない。大丈夫だろうか。
「すごいな。やっぱり普段から手伝いしてるのか?」
「あ、ああ、はい。まぁ……」
違和感は一際強く、そして長い。胸だけに留まらず、指先まで、ぞわぞわと落ち着かない。
こつを掴んだ里安君は、見違える程の手際の良さでざくざくと白菜を刻んでいく。
「切れたら次は、どうするんだ?」
「芯から先に、お鍋に入れていきます」
白菜が鍋の三分の一程まで埋めたところで
「ここでお肉をはさみます」
「おう」
豚バラスライスを適当に敷き詰めて
「出汁の素をふりかけて」
「ん」
「残りの白菜をまた入れていきます」
白菜は鍋の淵よりも高い山になった。
「……大丈夫か、これ?」
「煮ればこのくらいまでかさが減ります」
鍋の三分の二ほどを示すと、里安君は目を少しだけ丸くした。
「マジでか」
出汁の素をふりかけ、料理酒とめんつゆを適量かける。最後に残った肉と蓋を乗せる。蓋は浮いているがそこは気にしない。
「弱火で煮ます」
「強火じゃなくてか?」
「焦げます」
「なるほど」
ほどなくして、ふつふつと小さく水の沸きだす音がし始めた。
「…………これで?」
暫くそんな鍋を眺めていた里安君が尋ねてきた。
「しばらくはこのまま待ちです。この間に、お米をセットしましょう」
おひつからお米を取っていると、ぽつりと里安君がこぼした。
「大変だな。食事作るのって」
時計を見ていたらしい。
「まあ、そうですね……」
そういうものなのかと思った。
「分担、出来るように頑張るから、今日みたいにまた、色々教えて欲しい」
こういうところだ。こういうところに、好感を抱かずにはいられない。
「おれの方こそ、きっと色々教えていただかないといけないと思います。ので――」
里安君へ向き直って、頭を下げる。
「改めて、よろしくお願いします」
「――、お、おう。よろしく」
「……?」
面食らったような顔に、妙な間。何か変なことを言っただろうか。
「ああいや、その方が、しっくりくるなと思って、さ」
「――?」
「『おれ』ていうの」
「……、――っ!」
ようやく合点がいった。
「あ、や、ちが、、わた、し、わ・た・し……!」
はずい。めちゃはずい。
「じゃあ俺風呂の準備してくるから。そっちは任せる」
風呂場へ消えていく里安君。
茶化すように鍋の蓋がことりと小さな音を立てた。
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