現実に重なった理想は、喜びなど生む筈もなく ――4

 別に行きたくないわけではなく。嫌いというわけでもなく。故に逃げたというわけでもなく。

 ただ。

 別に俺が居る必要なくない?

 と思っているだけ。

 どうせこの後合宿があるのだから、そこにさえ参加すれば問題はないだろう。

 というのはあくまで、自分の意見。


「すいません。時間通りに行けるつもりで居たんですけど」

「まったくだわ!お友達も来てくれてるっていうのに!」

「……あはは」

  看護師の上島さんが「ぷろぷり」怒っている。そんな彼女もまた『くまのみ』だった。そして聞き捨てならない言葉が、上島さんの口から出た。

 友達か。よく耳にする言葉ではあるけれど、いまいちよく分からない。実感を持ってその言葉を使ったのは、どのくらい前だろう。

 来る筈がない。来られても困る。

 会場に着いて、知った顔が見当たらなかったことに、安堵の息が自然と漏れた。

 次いで一つの疑問も生じる。

 上島さんの言う友達とは、誰のことだろう。

「――ああ、みのりさん!」

 不意に声が上がり、それが自分を呼ぶものだと分かるまでに一瞬時間が掛かった。

 たった一文字、自分で望んで変えたのに、未だ耳にも、口にも馴染み切っていない名前。明るい声でそちらで呼んでくれたのは、他でもない田所医師だった。

「先生――すいません。遅れてしまって」

「それより体調はどう?辛いところとかある?」

「はい。調子良いです」

「そう、良かった」

 いつものやりとり。上島さんもそうだったが、ここでは先ず心配される。一番不安定な時期だから、と言われてしまえば納得だが、未だ馴れない。

「――ん?」

「あ……」

 田所医師の後ろに、人が立っていることに気付く。

 見上げる程に大きな背丈に、見覚えのある顔が乗っていて、思わず声が出た。

 相手も同じだったようで、切れ長の目が少し丸くなる。

「上島さんから聞いたかな?あなたを訪ねてこられたの」

 そう紹介されたのはついさっき、病院の入り口でぶつかりそうになった、コワモテのお兄さんだった。

 さとやすいさな

 当然のことながら、覚えのない名前だった。

「有り難うございました」

 さとやすさんが礼儀正しく田所医師に頭を下げる。彼女は手を振って踵を返していった。

「じゃ、お互い気楽にね」

 ごく自然にウィンクをして。

「あ、さっきは、すいませんでした」

 改めて頭を下げる。さとやすさんはさっきと同じように、なんでもない調子で返してくれた。

「いやいいよ。当たってないし」

 しかしふと、声が曇る。

「しかし、そうか、くまのみだったんだな」

 首が傾く。ぽつりと呟かれたその言葉の意味を測りかねた。

 良くない感情は感じ取れない。寧ろ何かを納得したような、しかし安心などした様子ではなかった。

「――ああ、そうだな。喜多島、さん」

 小さく咳払いをして、さとやすさんはこちらを真っ直ぐに見てくる。自然と背筋が伸びた。怒りや嫌悪は感じられないけれど、少し緊張はする。

「単刀直入に言う。俺の自由のために、俺とバディになって欲しい」

 そういえばお互いまともに自己紹介もしていない。

 握手を求めてのことか、出された手を自分は取っていた。

 ただなんとなく、悪い気がしなかったというだけで。

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