第一章:現実に重なった理想は、喜びなど生む筈もなく ――3

 誰も俺を見てくれない。

 言葉にしてしまえば、こんなにもありきたりで安っぽい。

「――勇魚いさな。勇魚!聞いているのか?」

 聞きたくもない声に、適当に答えておく。

 いきなり一人暮らしを認めたかと思えば、そんな男ではないことなど、とっくの昔に別っていたつもりでいたのに。

 喜んでしまった自分が、考えの浅い自分がムカつく。

「今日お前がやるべきことは?」

 一丁前に親の真似事。顔を見なくなって嬉しいのはお互いだろうに。

「……バディを一人、見繕うこと」

「そうだ。それが条件だ」

 そもそも暮らしでもねぇじゃねぇか。

「――見えてきました」

 都心と違って高層ビルなど殆どない地方都市。それは言われるまでもなく目立っていた。

 県内に二つある『くまのみ』の研究機関を内包する大学病院。

 懇親会と称された『くまのみ』がバディを決める為の集まりが、今日ここで開かれる。

「――なぁ、バディってぼくじゃ駄目なのか?」

 運転席へ視線を向けても、特に何かが見えたわけでもなく

「墨では意味がない。別に任せたい仕事もあるしな」

「…………」

 母さんなら何と言ってくれただろう。


 事前に聞かされていたことだし、実際子どもを預ける親の立場からすれば、その方が幾らか安心出来るだろう。全面的に同意出来る。ことではあるのだが。

 男性というだけでこうも疎外感を感じられる場所なんて、今日下着売り場くらいだろう。

 性別に規定はないにも拘らず、驚くほどに男がいない。

「…………」

 それでも、向けられる非難するような視線、表情、雰囲気については感じ馴れたもので、今更それで落ち込むということもなかった。

 この国では人をプロフィール《肩書》でしか見ない。

 生年月日、年齢、血液型、性別――職業、出身地、出身校、資格、家族構成

 加えて、その家族のプロフィール、そして病歴と犯罪歴

 実際にそこに居る人間に求められるのは、見た目くらい。

 如何に上っ面をキレイに取り繕えるか。

 本当の自分を知ってほしい、見て欲しい。そんなふうに個性自分を必死にアピールしていたのも今は昔。

 この国の、正しく善良な普通の国民相手に、そんなことはどれだけやっても無駄だと、十数年この国で生きていれば嫌でも分かる。

 化粧をして、TPOの範囲で着飾って、なるべく丁寧な言葉遣いをして

 みんな誰の何を理解出来るつもりで居るんだろう。理解しようともしていないのに。

 現に俺は『国会議員 里安豊海さとやすゆたかの息子』としか見られていないのに。

「勇魚、何してる?早く相手を見付けに行かないか!」

 いつの間にかいなくなっていた、父が戻ってきた。耳元に口を寄せ、俺にしか聞こえない声で俺をせっついてくる。同時にある患者の名前も伝えてきた。お偉方からのおススメらしい。

「……分かってる」

 会場の隅から離れてみれば、良くない雰囲気が一段と増したように感じられる。

 何となく視線を巡らせ、一人になったところで背中に声を掛けた。

「あの、すみません」

 盛り上げるためなのか、白衣にはシールがちりばめらている。

「はいはい、なんでしょう?」

 好感の持てる柔和さと快活さとが共生した笑顔を向けてくれたのは、田所という若い医師だった。人相が悪いと自覚もある俺の顔を見ても笑顔を崩さずにいてくれた。

「この懇親会にキタジマ――喜多島穣って来てませんか?」

「ああ穣さん。うん、居る筈だよ」

 会場を見回し田所医師はやがて首を傾げた。

「あれ?」

 居ないらしい。

「どんな感じになってますか?俺見た目どんな感じになってるのか、見聞きさせてもらってなくて」

 歩き出した背中を追う。返答までのほんの僅かな間に、鼓動が早まった。

「小柄で白髪なんだ。すぐ見付けられると思うんだけど……」

「それは、確かにそう……」

 同調しようとして、頭の中に浮かんだ「喜多島穣」像が、言葉を詰まらせた。

「あの、しょ、中学生くらいで、目が赤かったりしますか。そいつ」

「?うん。あれ、でも知らないんじゃ……」

 振り返った田所医師は、先程までの笑顔ではなく怪訝な、変な生き物を見付けたような顔をしていた。

「ここに来るまでに、会いました。おれ」

 走ってました。そう伝えると田所医師は額に手を当てた。分かり易い。

「ちょっと待って。探してもらうから」

 そう言い残して田所医師は踵を返していった。


 遡ること三十分ほど前。

 父と一緒に歩きたくなかった俺は、駐車が終わってから降車し、そこから院内へ向かっていた。

「――!」「ぅぁぁ……っと」

 角から飛び出して来た影は小さく悲鳴を上げながらも、俺を躱してみせた。

 しょう、中学生くらいだろうか、影は女の子だった。

「やるな」

 身のこなしに対する素直な感想だった。

「すみませんすみません。あの、だじょうぶ…………」

 目を惹かれたのは白い髪と肌。それらによって増幅された、並外れた美貌だった。

 同級生の言う女の魅力についていまいちピンとこない俺でも、目を見開くほどの。

 長い前髪から覗く紅い目には、吸い込まれるような錯覚さえ覚えた。

「あ、おお。お陰でな」

 気不味さに目を逸らす。見られて気持ちのいい顔でもないだろう。

「この辺で走るのは止めた方がいいと思うぞ」

「は、はい。そうですよね。そうします」

 男物だろうか、明らかにサイズの合っていないスポーツウェアが、女の子をより小柄に見せている。何故入院しているのか、少し興味が湧いたが、詮索するのは失礼だろう。

「ああ。じゃあな」

「はい、すみませんでした……!」

 低めの声を心地良いと思った。一礼して、女の子は来た道を走っていく。

「…………」

 その後ろ姿を追っていた。当然のように。気持ち悪がられないよう気を付けながら。

 そしてふと我に返る。

「…………」

 そして手が、不意に首の後ろを掻いた。

 俺キモくね?

 女子をこんなにつぶさに視たことが、今まであっただろうか。

 相手の持つ要素の一つひとつを、こんなにも好ましいと思ったことがあっただろうか。

 嫌われないようにと、ここまで気を遣ったことがあっただろうか。

「…………」

 まさか

「まさか」

 浮かんだ一つの言葉を即座に否定する。

 俺はマトモじゃない。

 そんなものは人間のやることだ。

 俺には関係ない。

 一しきり掻き毟って、気持ちはようやく落ち着いた。

 もう女の子の姿は見えない。

 俺はさっさと病院に入った。

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