第55話 悪夢の終わりと始まりと――③

 マシュー・クロムハートは、激しく動揺していた。それこそ、正気を失いかけるほどに……


 『独立幻魔団』。

 それは、前世で、鈴木与一だった頃に読んだ漫画「辺境追放の最強魔道士」、彼の言うところの「原作」に登場する組織の名前。

 彼が読んだところまででは詳しく描かれていないので、組織の全貌はわからないのだが、マシューを、ツノやら、コウモリの羽根やら、鋭い爪やらがついた魔人に変えたのは、こいつらの仕業であるのは確かだ。

 女性を含む多くの無辜の民を、苦しめ、傷つけ、更には殺害するという、鬼畜の所業をさんざん行った挙句、主人公トーヤ・ベンソンの炎魔法により灰にされる――

 彼にしてみればバッドにもほどがあるエンディングを、「原作」で勇者マシューが迎える羽目に陥るのは、もちろん自業自得の面も多々あるが、この『独立幻魔団』のせいであるとも言えるのだ。


 今夜戦った敵は、その、『独立幻魔団』だった!

 現時点では、まだ、そんな悲惨な運命を変えられる保証はない!

 もしかしたら、今後、自分はこの組織の手で魔人に変えられてしまうかもしれない!

 敵は、そんな、絶対に看過できない危険な存在だったのだ!

 ……


 そのことにマシューが気づいても、もう、そこに、『葬夜ソウヤ』の姿はない。

 だが、あたりを見回して――まだ、そこに一人、『独立幻魔団』の関係者がいるのに気づいた。

 マシューは、ズカズカと、縄につながれて連行されている『スプリング』のもとに向かう。

「どけっ!」

 『スプリング』を連行していたのは、みな、屈強な男の騎士たちだった。

 だが、最上級格闘士グラップラーのスキル持ちのマシューは、その騎士たちをまるで子供のようにはね除け、片手で『スプリング』の首根っこを捕まえた。

「な、なんや?」

 マシュー、空いた手で『スプリング』のマスクを剥ぎ取る。彼のヘアスタイルが鶏冠状のモヒカン頭だったことが明らかになった。

「言え! お前たちのボスは誰だ、どこにいるっ!!」

 マシューの問いに、『スプリング』、反抗的に応じ、

「はん! 知ってたって、だぁれがなんかに教えて……」

 バキイッ!!

 言い終わる前に『スプリング』の顔面にマシューの鉄拳がめり込み、歯が数本折れて飛んだ。

「ぶばっ!」

 小男の『スプリング』、悲鳴とともに宙を舞い、地面の上に倒れる。

 連行していた騎士たちが「勇者どの!」と叫んで止めようとしたが、マシューは「邪魔をするなあっ!」と一喝。

 そのあまりの剣幕に、手も足も口も出せなくなってしまう。

 マシュー、再びその首根っこを掴んで彼を起こすと、怒りのこもった声で言う。

「死にたくなければ答えろ! お前たちのボスは! 仲間は!? お前の組織について、知ってることを、全部吐けっ!!」

 再び顔面を激しく殴りつけ、『スプリング』を地面に叩きつける。

「し……知らへん……ワ、ワイらは下っ端や、団長は『滅日ホロビ』って呼ばれとるけど、うたことない! 仕事を持ってくんのはいっつも『葬夜ソウヤ』や! ヤツと『シーズンズ』、四人以外は知らん! 弟以外の連中の正体も知らへん!!」

「フカシこいてんじゃねえぞっ!!」

 マシューは、倒れたまま後ずさりしようとした『スプリング』の上に馬乗りになる。

 そして、次から次へと顔面に拳を叩き込む。

 辺り一面に、鮮血が飛び散る……そう、これは、酒に酔ったマシューがトーヤに激しい暴行を加えた「追放」の場面にそっくりだ。

 いや、殴られる度に『スプリング』が「ひぎゃっ!」と、恐怖の混じった悲鳴を上げるのと、実際は泥魔法の使い手という強者であるが、見た目は子供のような体格の弱者であることが相まって、その時よりもはるかに凄惨な印象を受ける光景になっていた。

 繰り返される、言えっ! というマシューの声と、殴り殴られる音と、『スプリング』の悲鳴と、飛び散る血の音が奏でるBGMの中で、周囲の人間は、一様に、戦慄を覚えていた――シャーリーと、アスーロも含めて、である。

 シャーリー、握った拳が震えている。

 ふと、マシューが、一旦止まった。

 はーっ、はーっ、と苦しげに息を吐きながら、無残に顔が膨れ上がった『スプリング』が泣きながら言う。

「ほ、ほんはにホンマにひらんのや知らんのや……ひやっ、ひゃめへくらひゃいやめてください……はふへへたすけて……」

「うああああっ!」

 マシュー、叫びながら、血まみれになった拳で、更にスプリングに一撃を入れようとして――


「もうやめてええっ!!」


 血を吐くような、シャーリーの絶叫がその場に響いた。

 マシュー、はっとして、拳を止める。

「もうやめて、マシュー……だめだよ、こんなの……いくら敵でも、いくら悪人でも、無抵抗の相手にこれはやりすぎだよ! 見て? みんな引いてる……アスーロも、怖がってるよ?」

 シャーリーに言われて、マシューは、はあっ、はあっと荒い息をしながらアスーロを見る。確かに、その顔は恐怖に凍りついている。

「あ、あたしだって、こんなマシュー、見たく……ないっ……」

 そう言ってシャーリーは俯いた。その表情は、実のところ、今にも泣き出しそうになっていた。

「……」

 マシュー、立ち上がり、完全にグロッキー状態の『スプリング』から離れた。

 魂が抜けたようになっていた騎士団長が、ハッと我に返ったかのように叫んだ。

「お、お前たち何をしてる! とそいつを連行しろ!」

「は、はいっ!」

 騎士の何人かが答えた。

 騎士の内、二人が、つながれている両手の輪に腕を通す形で、倒れている『スプリング』の両脇を抱えた。そして、ぐったりとしているその身体をずるずる引っ張って運んでいく。

 騎士団長はマシューのもとに来て、ハンカチのような白い布を渡しながら、言った。

「勘弁して下さいよ。今のは見なかったことにしておきますがね……嫌ですよ? あいつらならともかく、勇者どのを捕縛するなんて」

(いや、連中を野放しにしておくと、俺は、本当に捕縛されるような真似、やらされるかもしれないんだぞ?)

 マシューは一瞬そう思った。

 だが、思い直して、手を拭った布を返しつつ、「済まなかったな」とだけ騎士団長に答えた。

 マシュー、シャーリーとアスーロのところに行く。

「シャーリー……ごめん……」

 言っても、シャーリーは何も答えず、俯いたままだった。

「アスーロもな」

「……い、いえ……正義をなすためには、時には修羅にならなければならないこと、理解しているつもりです」

 マシュー、アスーロの肩をポンと叩くと、およそ勇者には似つかわしくないとした足取りで、二人のところから立ち去っていく――


  ◇◇◇


 再び、ダッダリアの街の、教会の中。

 まだパイプオルガンの前に座っている『滅日ホロビ』以外に、三人の人影があった。

 信者たちの席の中、三人それぞれ距離をとって、ポツンポツンと座っている。

 ガタン! と音がして、教会の大きな扉が開いた。

 鬼の面の男、『葬夜ソウヤ』が、入ってきた。

 それが『独立幻魔団』の制服なのか、服装は、ケープ付きのコートと黒の軍服風のものに戻っていて、サーベルも先程までと同じような物を腰に携えている。

 ポツン、ポツンと何者かが座っている席を左右に見て、中央の通路を歩いて行き、奥のパイプオルガンのあるあたり――『滅日ホロビ』がいるところまで行き、片膝をつく。


 『葬夜ソウヤ』に背を向けている、長い髪が目立つ『滅日ホロビ』、ゆっくりと、パイプオルガンの譜面台のあたりに置いてある仮面を取る。

 TVドラマや映画に登場するエルサレム王・ボードゥアン四世がつけていたような、銀の、人の顔を模したマスク。

 但し、仮面の左側――額から、目を抜けて、唇のあたりまで、まるで斧で一撃を入れたかのような、縦に長い傷がついている。いや、より正確に言えば、穴が空いている。

 その、一部が壊れている仮面をつけた顔で、『滅日ホロビ』は『葬夜ソウヤ』のところに行き、ややくぐもった、そして、優しい声色で言った。

「おかえり、『葬夜ソウヤ』くん」

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