第46話 これがワイらの仕返しや

 『スプリング』の態度に、変化が生じた。

 マスクの下から覗く、顎ひげの上の唇に、何とも酷薄な笑みが浮かんだ。

「せやな……ま、女の子やし、ワイらがちょっとめぇ放したとしても、恥ずかしくて逃げられへんように真っ裸にしときました、くらいの説明で通るやろ。ええで、やりや」

「んんっ!!」

 アニキの許可を得た『サマー』は、下卑た笑みを浮かべながら、泣き叫ぶタミーを床に放り投げる。

 両腕が使えないが、それでも立ち上がったタミー。だが、猿ぐつわで呪文詠唱を封じられ、魔法使いの杖もない今では、ただの無力な少女――せいぜい『サマー』の立ち位置から後ずさりすることしかできない。

「ん……ん……んんっ!!」

 あっという間に部屋の隅に追い込まれ、逃げ場がなくなる。ガタガタと震えだしたタミーの表情には、恐怖以外の何物も浮かんでいなかった。


「やめろー! やめろぉぉーっ!!」

 アスーロが叫び、 何とか拘束を解こうと、全身を必死に揺する。

「じゃかあしいわい!!」

 『スプリング』、一声吠えると、動けないアスーロの耳元で、囁くように言う。

 手振りを交えて話し始める『スプリング』、異常に長い右手の薬指を不気味にくねらせる。

「だいたい、何でこんなことになったか、分かっとるか? ぜーんぶ、自分のせいなんやで」

「俺の……?」

「せや。誰がワイらに一番に捕まったか、思い出してみ? 魔道士にとって杖は命の次に大事やけど、何で妹ちゃん、それを手放したん? 自分がな、どーしようもないほど弱っちいクソ坊主やさかい、かわいいカワイイ妹が痛い目見るんや」

「うっ……」

 アスーロ、痛いところを突かれて二の句が継げなくなる。


「あ~、たまらんわ~! このからむっちゃ怖がっとる匂いがしとる~!」

 タミーのすぐ前で、『サマー』は鼻をクンクンさせている。

 タミー、泣きながら、捕らえられているアスーロを見て、力の限りに叫んだ。

「んんんんー!! んんんんーっ!!」

 アスーロには、猿ぐつわで遮られていても、今、妹が『アスぃー!! たすけてーっ!!』と叫んだのは痛いほど分かった。

「タミー! タミィーっ!!」

 アスーロの目にも、涙が滲み始めた。

 その耳元で、『スプリング』が再び囁く。

「あーあ、助けを求められても、親ガチャに大当たりしただけのボンクラにゃあ、何もでけへんわなあ……かわいそうに。これから妹ちゃん、思い出すたび死にたくなるほど恥ずかしい目に遭うんやなあ……もしかしたらこれがトラウマになって、一生、男とつき合うことができへんようになるかもなぁ……それもこれも、みーんな、弱ーい自分が悪いんやでぇ」

 アスーロは泣き叫ぶ。「やめろぉー!! やめてくれーっ!!」


「んん! んん!」

 タミーはすぐ目前まで迫ってきた『サマー』を何とかしようと、縛られたままの両腕で叩いたり、足で蹴ったりをしていた。だが、

「あ~、気持ちええわ~」

 この大男には、そんな抵抗などそよ風くらいにしか感じられなかった。

 さらにタミーに迫ってくる『サマー』。彼女の体は、大男の影の中にすっぽり包まれてしまった。もはや、やたらと興奮している男の鼻息や吐息を、タミーが肌で感じられるところまで来ていた。


「んんんんー!! んんー!!」


 ……限界が、来た。

 タミーの両膝がガクンと曲がり、その場にペタンと崩れ落ちた。

 そしてそのまま、彼女の体は、力なくどさっと横倒しになった。

 閉じられた両の瞳から、涙がこぼれ落ちた――

「あー、この、怖くて失神してもうたわ……ほんまカワエエのぉ」

 『サマー』は、部屋の片隅で気を失ったタミーの、縛られたままの腕を持って、彼女の体を中央に引きずり出した。

「あ~もう、この匂い、辛抱できへんわ……さあて、まずは……っと。どんなパンツ穿いとるんかな~」

 汚らしい、としか言いようがない『サマー』の手が、仰向けに倒れているタミーの服の裾にのびていく。


「もう、やめてくれええーっ!!」


 アスーロが、声の限りに、喉も潰れよとばかりに絶叫した。

 あまりの大声に、『サマー』も、思わず手を止めてしまったほどだった。

「も……もう……やめてくれよ……なんで……なんでこんなこと、するんだよ……」

 アスーロ、完全に泣き声になっている。

「なんでって……そりゃあ、お前らが嫌いだからに決まっとるやんけ」

 『スプリング』、言う。

「ワイらはなあ、ずっとずうっと、貧民街スラムで、他人ひとが出したクソの尻拭いばっかりやって生きてきたんや! お前らみたいな、たまたまエエとこに生まれたっちゅうだけで……何の苦労も努力もしてへんくせに、一度たりとも、食い物にも、着る物にも、あったかい寝床にも、困ったことがないガキが大嫌いなんやっ!」

「だ、だったら……そんなに俺たちが憎いなら……俺をいたぶったらいいだろ……煮るなり、焼くなり、殺すなり、好きにしろよ! その代わり……妹は勘弁してくれよ……ま、まだたったの十二歳なんだよ! 頼む……ッ……」

「どアホっ!!」

 『スプリング』、アスーロの顔を思い切り殴りつけた。

 思わず「あうっ!」と声が出るアスーロ。メガネが壊れて、宙に舞った。そして、切れた唇から血が飛んだ。

「アニキ、命令……」

「じゃかあしい!」

 弟を一喝する『スプリング』、頭に血が上っているようだ。

「このクソガキ、まーだ分かってへんのかい! いつまで自分の方が立場が上やと思っとんねん!! 人にもの頼むならな、それ相応の口の利き方せんかい!!」

 言うなり、『スプリング』はアスーロの体を拘束していた泥を外した。

 アスーロは「うっ……」と声を上げて、ふらつく。

 泥の方は、あっという間に流動体に戻り、『スプリング』が床に広げた《収納魔法インベントリー》の魔法陣の中に消えていった。

「それから、それ相応の頼み方っちゅうもんもあるやろが。ほら、出来るようにしたったからな、やってみ」

 アスーロ、ふらふらしていたが――

 やがて、ゆっくりと『スプリング』の前で膝を屈し、頭を床にこすりつけた。

「お……お願いします! お願いします! おねがいしまぁす!!」

 泣きながら、懇願するアスーロ。その様子を見た『スプリング』――

「ぷっ……ぷぷぷ……ははっ、あーっはっはっはっ!!」

 大声で笑い出した。

「よう見とけ、これまで人に土下座は何べんもしたけど、土下座されたんは、生まれて初めてやで!!」

 上機嫌で笑いながら、アスーロの頭をげしげしと踏みつける『スプリング』。

「ああ、それも、あのラインフォード商会の跡取り確定のボンにな……さすがはアニキやぁ」

 『スプリング』、ひとしきり笑い終えると、『サマー』に言った。

「ひっ……ひぃ、ひぃ……あー、満足した。よっしゃ、お前も、そのに満足させてもらいや」

「きっ……貴様っ!!」

 頭を踏みつけられたまま、アスーロは、上になっている『スプリング』を睨みつけた。

「ん、なんや……自分がお願いしたらワイらが言うこと聞くとでも思っとったんかいな? 甘い、甘いなぁ、坊主……うたやろ、ワイは何度も何度も、人に土下座して頼んだことがあるってな……でもな、一日でええから支払い待ってくれって頼んでも、一切れでええからパン分けてくれって頼んでも、一番安いの少しでええからに薬を分けてくれって頼んでも、お前らは、一度も聞いてくれんかった! 今度はこっちの番や! やれっ!!」

「げへへ……ほな、ごちそうになりますわ。まずはやっぱり、パンツからやなぁ……」

 ジュルリ、と、『サマー』は舌なめずりをした。

 マスク越しでも、もはやこの男は、醜悪、の二文字を極めたような表情をしていると分かる。

 その手が、再び、気を失っているタミーの服の裾にのびていく。

「ちくしょう! タミー! タミーっ!!」

 頭を『スプリング』に踏みつけられたまま、アスーロはもがく――


 ホゥ! ホゥ! ホゥ!

 次の瞬間――この建物の中に……前にマシューが開けた窓から、前にこの二人が蹴り倒した入り口の扉から、梟が部屋に入ってきた。

 それも一羽や二羽ではない。数え切れないほどの大群である。

「わ……わっ、なんやこいつら!?」

 梟たちは、タミーを襲おうとしていた大男と、アスーロを踏みつけにしている小男に、一斉に襲いかかった。 

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