第37話 俺の女を見せてやる――②
「泣かないで、坊や」
「だれ? だれかいるの?」
幼いカシーム、まだ真っ赤なままの目で、辺りを見回す。
納屋の端の方の一角が、ポウッと柔らかな光を発していた。
壁に立てかけられた、何か平べったい大きな物体があって、その上から白無地の布がかけられていた。
光は、その生地を通して、外にこぼれている。
そしてさっきの声も、この布の中の物体から発せられたものだと、カシームは本能的に理解した。
カシーム、ぺたぺたと布の上からそれに触れて、言う。
「ボク知ってる。これ、
「ええ、そうよ。ここにいらっしゃい? お話していたら、怖くないでしょう?」
「うん」
カシーム、ちょっとだけ笑顔になって、その大盾の前に腰を下ろした。
◇◇◇
「……面白い物があるからってここに連れて来られて、入ったらいきなり突き飛ばされて……で、カギかけられちゃったの」
「まあ、ひどいお兄ちゃんね」
カシームは、また、ぐすっと涙ぐんだ。
「大丈夫よ! 今ごろお父さんもお母さんも心配して、坊やを探してるから! すぐにここに来てくれるわよ」
「ホントに?」
「ホントよ。だからもう少しだけ、いい子にして待ってようね?」
「うん……」
「坊や、名前は何というのかな」
「カシーム……お姉さんは」
「メドゥーサ……い、いや、アイギスって言った方がいいのかなぁ?」
カシーム、立ち上がると、白い布の下端をつまんで上にめくり上げ始めた。
「坊や?」
「ボク、お姉さんの姿が見たい」
布がずれるにつれて光が溢れはじめ、古びた納屋の壁や柱、周囲にある壺やら瓶やら、農具やら馬具やらなどを、明るく照らしていく。
布を全部外してしまうと――現れたのは、分厚くいかにも頑丈な、鈍い銀色の五角形の盾。
当時のカシームと、同じくらいの全高だ。
幾つものエングレービングが表面を飾っていて、中央に両手を軽く広げた、長い髪の乙女の全身像、裸体のレリーフがある。
そして今は、その全身像がまばゆい光を放っている。
「うわあ、きれい……まるで天使さまみたい」
「ちょ、ちょっと、ヘンなこと言わないでよ……恥ずかしいわ」
「カシーム!」
がたっ! と乱暴に納屋の扉が開けられ、父親のレイトンが血相変えて駆け込んできた。
傍らに、頭にタンコブをこしらえて、涙目になっているザックスを連れていた。
そしてレイトンは――驚きのあまり言葉を失った。
不思議な光を放っている盾と、それと
「お父さんだ! ねえ、お姉さんが言った通り、お父さんが来てくれたよ!」
◇◇◇
その後アイギスは、ユーバリー邸の、いわゆるリビングルームに運ばれた。
壁に立てかけられたその大盾――不思議な光は、ぼんやりと放たれ続けている――と、ユーバリー伯爵ことレイトンが言葉を交わす。
この頃のレイトンは、まだ三十代半ばの青年貴族。
細身の身体、両サイドにカールを作った髪型、沢山の金糸で彩られた藍色のコートとウエストコート……これぞ貴族という佇まいである。
「神に美貌を妬まれ、
「人と話をしたのは百年以上前……前のご主人様と共にあったとき以来です。坊ちゃまの姿を見た途端、また言葉が出てくるようになったんです」
「それは……ひょっとしてカシームが君の新しい主人とでも言いたいのかね」
「はい、私はそう思います……先々代の伯爵様がダンジョンで私を見つけ、この家に運んできた時から、こうなる運命だったと思います」
「……」
レイトンは黙りこんでしまった。
「……やっぱり、
「? 言い伝えだと破壊は不可能なはずだが……」
「まず、一つ訂正させて下さい。もう気が遠くなるほど昔の話ですが……私を今の姿にしたのは、スカーニアの力を借りた、とある魔女の仕業です。私には、どうして自分がこんな目に遭ったのか、今でも理由が分かりません……」
――プランタ王国では、信教の自由が認められており、数多くの宗派が存在する。
だが、その中でも多くの人々の信仰を集めているのは、生と創造を司る神、ステラティスだ。
スカーニアとは、ステラティスの神話に登場する、死と破壊を司る神、ステラティスとは対になる存在だ。
ちなみに、そのどちらの神の真の姿も、人は見ることは出来ず、動物、人間、あるいはモンスターに化身した、仮の姿しか見ることができないとされている。
「私にかけられているのは魔法ではありません、呪いです。醜い
「ダメーっ!! お姉さんを壊すなんて、ぜったいダメーっ!!」
叫びながら、いきなりカシームが部屋に駆け込んできた。止めようとした執事らしい男を振り切って。目に涙を浮かべて。
「お父さんお願い、お姉さんを壊さないであげて! 納屋にしまうのもダメだよ! あんな暗くて寂しいところにひとりぼっちなんて、お姉さんが、かわいそうだよー!!」
カシームは、アイギスを守るかのように両手を広げてその前に立ち、眼前の父親に泣きながら懇願する。
「坊ちゃま……」
「カシーム……」
――この時点で「勝負あり」だった。重ねて言うが、レイトンは、末っ子カシームを溺愛していたのである。
◇◇◇
かくして、アイギスはカシームの私室に運ばれた。
その後、彼が十二歳になり、ダッダリアの冒険者養成学校に通うためこの家を出るまで、この盾はずっとそこに置かれることになる。
壁に立てかけられたアイギスに向かって、カシームは語る。
「ボク、これからお姉さんのこと、メドーって呼ぶね」
「えっ?」
「だって、『メドゥーサさん』って言いにくいんだもん。だからメドー。メドーさん」
「あははは! 面白いですわね……分かりました、それで結構です。じゃあ私は、今日からカシーム様のことを、坊やでも、坊ちゃまでもなく、『ご主人様』と呼ぶことにします」
「えー! やだあ、何か恥ずかしいよお!」
「どうしてですか!? 先ほどお父様も認めてくれたではありませんか。私は、もう、貴方のものなのですよ」
それを聞くと、カシームは、耳まで真っ赤になった。
「アナタのもの、って……」
「……い、いやですわご主人様! そーいう意味じゃないですよっ!? もー、おませさんなんだから!!」
「……」
片一方が盾であるのにこのような表現をするのは我ながらおかしいと思うが、他に書きようがないので、お許しいただきたい。
「メドーさん、ボク、立派な騎士になるよ。立派な騎士になって、メドーさんと一緒に、悪いヤツや悪いモンスターをやっつけるんだ」
「はい、ご主人様。早く大きくなって、私を使いこなして下さいまし。私……いや、メドーは、その日が来るのを楽しみにしております」
◇◇◇
カシームはその日から、たくさん食事を取り、たくさん運動するようになった。
八歳になった頃には、三男のザックスよりも大きな体になっていた。
十歳の時、カシームは初めてアイギスを持ち上げることができた。メドーは、嬉しさのあまり泣き出してしまった。
そして十二歳、冒険者養成学校に通い始めた頃……一人称がボクから俺に変わり、彼女の呼び方も「メドー」と呼び捨てになった頃には、カシームは、十四、五歳の先輩と比べても見劣りしない体格を持つ、立派な重騎士の候補生となっていた。
もう一つ、付け加えるならば――
カシームはこの後、決して口でプレイボーイを気取っているだけではない、そこそこのモテ男となるのだが、女性の扱いに慣れたのは、小さな頃からメドーと語り合っていたことが、少なからず寄与していた。
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