第31話 彼女はもっと許さない――①

 おぼろ月と星明かりの下、ラインフォード邸の広い敷地内を、シャーリーは、母屋を目指して飛ぶように駆けている。

 ダンジョンの探索でも、このように何らかの敵と戦う時でも、身軽な彼女が先行したり、斥候役を務めることは、今までに何度もあった。

 でも、あんな言葉をかけられたことは、今までに一度もない。

 (「気を……つけろよ……」)

 シャーリーは、つい今し方いましがたの光景を思い出す。

 マシューの言葉からも、顔色からも、心から自分の身を案じている様子が、ひしひしと感じられる――


(あー、やっぱり人が変わってる……ホント、調子狂っちゃうよ……)

「あーもう! マシューの……ばかあっ!」

 離れの広間から急いで飛び出したのは、一刻も早く現場に駆けつけるため――だけ、では、なかった。

 シャーリーは今、誰にも、自分の顔を見られたくなかった。

 頬が赤く染まっているのを、彼女も分かっていたからだ。

 

  ◇◇◇


 再び、ラインフォード邸の母屋の中。

「はあ、はあ、はあっ……」

 誰かが、息を切らしながら必死に走っている――この屋敷に勤める若いメイド、薄紫の髪のミラだ。

 その表情は、ほとんど泣きださんばかりになっている。


 彼女は、以前マシューたちがラインフォード親子と会食した、ダイニング・ルームに駆け込む。

 今は(当然だが)誰も使っていないので、窓から差し込む月の光以外の照明はない。

「あうっ!」

 後ろを気にしながら、一心不乱に走ってきたミラ、何かにドスンとぶつかり、仰向けに倒れる。

 彼女が見上げると、そこに立っていたのは――『シーズンズ』の一員、『オータム』。

 左手の金属製の義手が、月の光に照らされ、青く、鈍く、不気味に光っている。

「へへっ、馬鹿な女だなあ……『敏捷』アジリティのスキル持ちから、逃げられるわけねーだろ?」

 『オータム』は、常人の目には捉えられない程のスピードで、天井か壁伝いに移動し、先回りしたということか。

「い……いや……来ないで……来ないでえっ!!」

 倒れた姿勢のまま、彼女は後ずさりした。恐怖で、歯がカチカチと音を立てている。

「――おいおい、優しくしてやるって言ったのに……そこまで嫌われると、流石の俺も傷つくんだけどなあっ!」

 男は、右手でメイド服の胸の、白いブラウス部分をつかむと、乱暴に引き裂いた。ビリリという、無慈悲な音が響き渡る。

「きゃあああーっ!!」

 下着が露わになり、ミラは咄嗟に腕でそれを隠す。

 その上に、下卑た笑いとともに、男がのしかかってくる。

「やだ! やだ!! やだああああ!!」

 白いニーハイソックスを穿いた足をバタバタさせて、ミラは必死に抵抗する。

「ひひひ、イイぜイイぜぇおまえ! 嫌がる女に力ずくでぶち込むのも、俺は大好物なんでなぁ!!」

 『オータム』は、身をよじりながら懸命に胸を隠そうとするミラの手を掴んで、床に無理やり押しつけようとしている――そんな時だった。


「おまえっ!! そこでっ!! 何をしているー!!」


 怒気にあふれた声とともに、がとてつもない勢いで飛んできて、『オータム』をかすめると壁にぶち当たり、がああんと大きな音を立てて、粉々に砕け散った。

 が投げたのは、テーブルの上にあった大きな金属製の燭台だった。装備している戦乙女の手甲バルキリー・ガントレットを全開で起動させて投げつけたので、ミサイルもかくやという勢いになったのだ。

 もとより、相手に当てる気は無かった。下手をするとミラに当たってしまうからだ。

 すなわち威嚇射撃というヤツだが、その効果は十分で、あまりの燭台の砕け散りっぷりと、生じた大音響に『オータム』は呆気にとられた(ミラもだが)。

 『オータム』、半身を起こして、攻撃が飛んできた方向を見る。


 全力で物を投げたばかりで、右手をだらんと垂らし、ふうっと荒い息で立っている人物が、青い月の光の中で、ゆっくりと顔を上げる。

 勇者パーティ『星々の咆哮』の暗殺者アサシン、シャーリー・セラッティ。

 その表情は、この物語でこれまで彼女が見せてきたものの、どれとも違っていた。

 タミーを見ている時の穏やかなものとは、ほど遠い。

 さっきのように、照れた時に時折見られる顔とも、ほど遠い。

 モンスターを相手にしている時の、勇敢な表情とも、また違う。

 まさに、阿修羅――そうとしか呼べないほどの、怒りで満ちあふれていたものだった。


 呆然としていた二人のうち、先に我に返ったのはミラの方だった。

 まだ魂を抜かれたようになっている『オータム』から離れると、胸を押さえて、脱兎の如く駆け出した。

 『オータム』がハッと、気づいた時にはもう遅い。

 ミラはシャーリーの背後まで至り、シャーリーは、ミラを守るように『オータム』の前に立ちはだかる。

「逃げて」

 シャーリーが小声で言うと、ミラはコクンと頷いて、ダイニング・ルームから駆け出していき、その姿は見えなくなった。

 ダイニング・ルームは、シャーリーと『オータム』の、戦場になろうとしていた――


「くそっ……この家にはまだ用心棒がいたのか……てめえは何もんだあ?」

けだもの相手に名乗る名前などないね」

「ちっ、むかつく女だ! 中途半端なところで止めやがってよぉ、このたぎってるもんはどーしてくれる!?」

 シャーリー、はぁ、と呆れたような顔になる。

「……あんた、何か目的があってここに来たんじゃないの? それとも、が目的?」

「ひひっ……ターゲット以外の、この屋敷の人間は全員殺すように言われてる……俺は、女を殺す時はその前に喜ばせてやってんだ、それのどこが悪い!」

「……筋金入りのクズね」

 火に油を注ぐとは、まさにこういうことを言うのだろう。

「でも、よく見ると、カワイイ顔してるじゃねーか……体つきもそそるぜぇ……」

 相手は、マスクの奥から、まさに舐め回すようにシャーリーの体を見ている――彼女の怒りと嫌悪感は、もはや臨界点に達していた。

「いいだろう、あの女の分は、おまえに責任を取ってもらうぜ!」

「おまえの方こそ覚悟しろ。今までおまえが重ねた罪……今夜、ここで、あたしが全部まとめて清算してやるっ!!」

 シャーリーは、いつものように、腰から二本の湾刀を一度に引き抜き、構えた。

「しゃあっ!!」

 『オータム』は、奇声を発すると同時に「敏捷」アジリティのスキルを発動し、シャーリーに襲いかかったが……その姿が一瞬で消えた。

「!!」

 『オータム』は振り向く。今まで彼女がいたのとは反対側の、大きなテーブルの角のところに、シャーリーは腰を下ろしている。垂らした長い足を、ぷらんと揺らしながら言う。

『敏捷』アジリティのスキルがあるのは、自分だけだと思ってた?」

「……おもしれぇ。捕まえて、その手足へし折って、動けねえようにしてやる! その後で俺のをぶち込んで、ヒィヒィ言わせてやるっ!!」

「――あんたには無理ね!!」

 再び『オータム』が、スキルを使ってシャーリーに襲いかかる。

 シャーリーはそれを躱す。

 空を切ったパンチがテーブルの一部に当たり、砕けた木片が宙に舞う――


 戦いはまだ、始まったばかりだ。

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