第30話 勇者はそれを許さない
ラインフォード邸、母屋内。
先ほどから、何かを破壊しているような音が止まない。
同時に、「ガアア!」というような、人の声には違いないだろうが、人の声とは思えない叫びが止まない。
フラーノ・ラインフォードの私室――数日前に、マシューとフラーノが初対面を果たした場所である。
入り口のドアに、椅子やら机やらを積み上げたバリケードが築かれている。
そして、男女合わせて八人の使用人たちが、ここに立てこもっている。一同、輪になって、腰を下ろしている。
構成は、メイド長のジーノ、メイドのキャロル、執事ルークス、レックスとビート、そして寝間着姿の男が三人。彼らはこの屋敷に勤める調理人である。
この部屋には、多数の貴重な芸術品の他、幾ばくかの金貨も置かれている。
賊が物取りなら当然ここを狙ってくるはずと、使用人たちは身を守るかたがた、僅かでも抵抗しようとしているのであるが、その表情には不安の色が在り在りと現れていた。
また、ガシャーン! と、ガラスが割れる音がして、「があああっ!!」という不気味な唸りが聞こえた。
「もうイヤああああ!!」
キャロルが、両手で耳を塞いで泣き叫ぶ。
「くそっ、何でこんなことに……」
キャロルの側にいた、寝間着姿の調理人が言う。
「しっかりおし、もうすぐ、勇者さまに知らせが届くから」
そう言ったのはジーノ。
「魔法なんて使ったのは何年……いや、何十年ぶりだったかしらね……とにかく、上手くいけばいいのだけど」
「……ここにいない者たちも、上手く隠れたり、逃げおおせたりできていたら、いいのだが」
ルークス、祈るように言う。
「ま、まさかあいつら、屋敷に火を放ったりしないですよね!?」
ビートが不安げに言う。
一同、ざわつく、動揺する。
「うろたえるでない! 冒険者ギルドや、騎士団の屯所にも知らせは送っておる!」
ルークスは、何とか一同を落ち着かせようとした。
「信じましょう、助けは必ず来ます」
言って、ジーノは瞑目した。
◇◇◇
その時、マシューたちは離れの一階の広間に集まっていた。
そこには、全員で食事も余裕で取れる、大きなテーブルがある。
シャーリーとタミーの女性陣は椅子に座っており、マシューとカシームは、テーブルの近くに立っている。
皆の手元に白いマグカップがあり、マシューはコーヒーを啜っている。
ちなみにこのマグカップ、この離れを
アスーロが画集サイズくらいある大きな、そして重たい本を持ってきて、よいしょっと、テーブルの中央に広げて置いた。そこには、木版画と思しき、モンスターの絵があった。
「はぁ、ようやく見つけましたよ、これがスキュラです」
アスーロが言う。
そのモンスターであるが、上半身は毛むくじゃらの狼男のようだ。
で、下半身は大ダコかダイオウイカのような、長い触手……二種類の動物、いや怪物か、が合体したような姿である。
「この頭、狼……なのかな?」
「正確には犬だそうですよ」
シャーリーの問いにアスーロが答える。
「ドッグトパス、か……」
「? 最近たまーに意味不明なこと言うな、お前……」
マシュー、ついつい
「まあ、この絵も本当に正確かどうか分かりません。何せ目撃例が極端に少ない上に、ほとんど触手以外を海面上に現すことが無いそうです」
絵の下には、この世界の文字――所々アルファベット風、所々ギリシャ文字風、所々キリル文字風――でキャプションが入っている。
マシューは、それを読んだ。
「なになに、漁船くらいなら、触手を巻きつけて容易に破壊できるって書いてあるな」
「こりゃあ、軍艦を手配してもらう必要があるな……」
「後、美しい女性の幻を見せて、相手を翻弄する能力があるとも書いてあります」
「ふーん、そりゃマズイんじゃねーかぁ、カシーム」
「お前だって人のこと言えないだろ」
「俺はっ……お前とは違うだろ、硬派だからな」
「えー」
男性陣の会話に、シャーリーが割り込んできた。
マシューがそっちの方を見ると、シャーリーと、横のタミーが「ジト目」で彼を見ている。
「な、何だよ!」
「どーだか」
「「ねー」」
最後の「ねー」は、シャーリーとタミーの二人で、顔を見合わせて、息ぴったりで言った。
「! てめえらっ……」
マシュー、怒ろうにも、ぴったりシンクロしたのがツボに入ったのか、コロコロと笑い出した二人を見ると、その気が失せてしまう。
(ちくしょう、こいつら、いつか
マシューがそう思っていると、窓ガラスに、何かがガン、とぶつかる音がした。
彼は、音がした窓の方に向かった。
「ふく……ろう?」
外にいたのは、一羽の白い梟。
何度も何度も、窓ガラスにぶつかってきている。中に入りたいのは明らかと思えた。
マシュー、何かただならない予感を感じて、窓を開ける。
夜風と一緒に、梟が居間の中に飛び込んで来る。
「えっ?」「なに?」と、一同が驚く中、梟は広間の天井をくるりと一周すると、広げている大きな本の上に静かに着地した。
その次の瞬間、止まった梟の足元に丸い魔法陣が現れたかと思うと、その体が煙のように壊れていき、やがて、一枚の白い紙になった。
「
その内容が驚愕すべきものだったのは、五人全員がすぐに分かった。
――この屋敷に、賊が侵入し暴れている。
――賊の数は不明だが、十名前後いると思われる。
――自分たちはフラーノの部屋に立てこもって、助けを待っている。
その内容が、切迫つまった、乱れた文字で記されてあった。
マシューの脳裏に、ラインフォード邸のたくさんの人たちの姿がよぎった。
いつも落ち着いた佇まいのジーノ。
名前をセバスチャンと間違えられて怒るルークス。
気さくな話し相手だったレックスとビート。
ケガをした彼の世話を、一生懸命にしてくれたミラとキャロル。
調理人たちだって、フラーノとディナーをとった日以外も、サンドイッチ的なものやパスタ的なもの、色々美味しいものを作ってくれた――
「賊だとぉ!? んな馬鹿な、警備の連中がいたのに!? しかも今日は
カシームが、苛立ちの混じった大声で言う。
昼、勅使の送り迎えをしたカシームは、当然彼らと会っていた。
「余程の手練れか、余程の用意周到な奴らか、あるいはその両方だな……」
マシューは言って、シャーリーとカシームと、互いに顔を見合わせた。
そして、三人、無言で、コクリと頷いた。
「用意してくるぜ!」
「あ、あたし、鎧つけるの手伝います!」
カシームは自室に戻り、タミーが後を追った。
シャーリーはその場で《
そして、マシュー――
「アスーロ!」
「はいっ!」
「『星々の咆哮』のリーダーとして、お前に最初の命令を下す」
「はいっ!!」
一気に緊張した面持ちになったアスーロに、マシューは言う。
「妹を、守れ」
アスーロが、一瞬、怪訝な表情になったが、マシューは構わずに言い続ける。
「俺たちが出て行ったら、この建物の灯を全部消して、地下室に行くんだ。そして、俺たちが帰ってくるまで、そこで待機だ」
アスーロが「分かりました」と答えるまで、少し時間がかかった。
おそらくは、不満に感じたのであろうが、自分たちが出て行っても足を引っ張るだけと判断できたのだろう。こういうところが、賢いんだな……と、マシューは思った。
「じゃあ、これを持って行って下さい」
アスーロが、ポケットから、四つ、黒い碁石のような物を取り出した。
「これは何だ?」
「こいつを耳につけている者同士、魔力で会話できます。まだ四つしか作ってないので……俺とタミーは共用します」
(なるほど、現代日本で言うインカムイヤホンみたいな物か。やっぱすげえな、アスーロ……)
感心しながら、マシューは言った。
「ありがとう、使わせてもらうよ」
「あたし、先に行くね!」
装備の少ない彼女は、一足先に臨戦態勢を整え終えていた。
その時、マシューの頭を、ある考えが稲妻のようによぎった。
ラインフォード邸が襲われ、マシューたちが賊と戦うなどという展開は、「原作」にはない。
ということは、これから先、何が起こるのかは予測がつかない――
「シャーリー!」
マシューは、駆け出そうとしていたシャーリーを呼び止めた。
振り向いたシャーリーに、マシューは「インカム」の一つを投げ渡すと、言った。
「気を……つけろよ……」
シャーリーは、一瞬フリーズしたように見えた。その後、彼女は俯き加減になって、
「……うん」
一言言うと、一陣の風のように広間から飛び出していった。
「――さて、俺もこうしちゃおれんな」
マシュー、無言で《
アスーロが彼の背中に回り、胸の防具を着けるのを手伝いながら言った。
「勇者さまも、気をつけてください」
マシューは、先ほどの理由で、不安を感じていなかったわけではなかった。
湧き上がろうとするそれを押さえ込むように、彼は言った。
「なあに、泥棒みたいな連中なんかに負けるようで勇者がつとまるかよ。すぐ終わらせて帰ってくるからな」
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