第29話 迫る死の影、鬼の影――②

 からん、と音を立てて、陶器の杯が地に落ちた。飲み残していた中の液体がこぼれ、地面に飲まれていく。

「か……がはっ……」

 ラインフォード邸の入り口、詰所の前。

 『はがね紅蜘蛛べにくも』のリーダーの女は、背を曲げ、震えながら、荒い息で苦しんでいる。

 相変わらず、たき火がパチパチと音を立てている。

 炎が、倒れている三人の姿を照らしている。パーティのメンバーである、剣士の男、白魔道士の女、巨漢の男。

 仰向けで倒れている者の口からは、血が流れているのが見える。三人とも、既に事切れている。微動だにしない。

 ラティス――いや、姿、が口を開いた。

「この毒は、まず喉と舌に効く……回復魔法があっても、無詠唱のスキルがないなら、助からない」

 その口調も、声色も、先ほどまでのラティスとは別物だ。

(お前は一体誰だ?)

(なぜ、こんなことをする?)

 目の前に立っている男を見上げながら、女は思った。だが、その問いが言葉になることはなかった。

 ブッと、大量の血を吐いて――女はどっと地に倒れた。その大柄な体は、少しピクピクと痙攣した後、全く動かなくなった。


 四つの死体に一瞥もくれず、その男は、無人になった詰所に入っていった。

 《収納魔法インベントリー》を展開して、自分の衣装や装備を取り出し、着替えている。

 奇怪なのは、詰所の窓に映っていたシルエットが――小柄な男性の姿から、グググッと伸びて、マシューと同じくらいの上背のある姿に変わったことだ。

 いかなる変装の名人でも、体型を変えるのには限度があるため、誰にでも化けられるというわけではないが……そんな常識が通じないとなれば、実に恐ろしい相手と言わざるを得ない。


 身支度を調え、男が、俯きながら詰所の外に出てきた。

 黒の軍服――ちょうど戊辰戦争の頃の、洋式装備兵士が着ていたそれに似ている――を身に纏い、腰には両刃のサーベルを携えている。

 左手首には、銀のブレスレットをはめている。

 上からは、男が連れてきた五人と同じような、ケープ付きのコートを羽織っている。

 ちなみにその五人だが、目の前で四人もの人間が毒殺されるという惨劇をのあたりにしても、何のリアクションもせず、入り口付近に立ちっぱなしである。

 まだ燃えさかっている炎を背にして、男は顔をあげる――その顔には、つや消しのダークレッドの鬼の面があった。

 この世界の鬼と言えば、普通、以前マシューたちをダンジョンで襲撃したオーガのことを指すが、この面はオーガの顔とは違い、能面の般若――そのものではないものの、般若の面をモチーフとしたようなデザインであった。

 但し、左の額部分が割れて、というか、欠けていて、角が右側に一本しかない状態になっている。

 そして鬼の面の欠けた部分とフードの間から、ウェーブがかかった白銀の髪の毛が――もし面を被っていなかったら、片目が隠れるくらいの長さの毛が――垂れ下がっている。

 この男は、反政府組織『独立幻魔団』の副団長。

 その名を『葬夜ソウヤ』と言う。言うまでもないが本名ではなく、コードネーム、である。


「『シーズンズ』、いるんだろ!? 出てこい!」

 『葬夜ソウヤ』が一声、面のせいでくぐもった声で叫ぶと、急に複数の人影がどこからともなく飛び出して来て、彼の前に並び、片膝をついた姿勢になった。

 人数は三…いや、四だ。

 その中に、死体となってそこに転がっている『はがね紅蜘蛛べにくも』の巨漢より、さらに一回り大きな男がいて、その肩に、子供のように小さな男が乗っていたのだ。

 彼らの四人の衣装は統一されていて、下は毛皮そのもの……何らかの動物の毛で覆われたズボンを穿き、足元はミリタリーブーツ(風)であるが、上半身は、この寒さにも拘わらず裸で、そこに直接、肩や胸の防具を装備している。むき出しの肌には、トライバル模様等の、多数のタトゥーが入っている。

 そして頭は、この世界の死刑執行人が被るマスク――茶色いズタ袋を用意して、目のあたりと口のあたりを切り取って作ったような――で覆われている。

 もはや、見るからに、ただ者ではない。

 彼らが、独立幻魔団の特殊部隊『シーズンズ』である。

 大男の肩に乗っている小男が『スプリング』、大男が『サマー』。

 なお、『サマー』だけ、マスクの形が他の三人と少し違うが、その理由は後ほど触れる。

 三人目の男は、筋肉質ではあるが身長や横幅は平均的だった。特徴は、左腕の肘から先が無く、金属製と思しき義手をはめている点だ。この男のコードネームが『オータム』。

 残る『ウィンター』は、痩せ型で長身の男だった。その長身より、更に長い槍斧ハルバードを持っていて、今はそれを左肩にかけている。


「……作戦開始だ。俺と『オータム』、『ウィンター』は、分かれて屋敷内をしらみつぶしに捜索する。『スプリング』と『サマー』は、いつも通り、ターゲットの匂いを追え」

 『葬夜ソウヤ』が命令しても、全員、「おう」とも「了解」とも言わず、一言も発さないのが不気味さを増している。

「ターゲット以外の人物に遭遇した場合は、速やかに抹殺しろ……散れっ!」

 言うと、『シーズンズ』の四人は、即座にどこへともなく飛び去り、詰所の前には、『葬夜ソウヤ』と、フードの男五人と、転がる四つの死体と、たき火が残されているだけになった。

「お前らは、俺について来い」

 『葬夜ソウヤ』が邸宅に向かって歩を進め出すと、五人もそれに付き従う。

 進路の途中にたき火があったが、彼ら五人は避けもせず、火の粉を散らせながらその上を踏み越えて行く。

 熱くはないのか――炎を超える際に、照らされて、フードの下の顔が見えた。

 男だったが……その顔色には全く生気がない。見開かれた眼は、白目になっている。口の端からは、鮮血が滴っている。

 そう、『独立幻魔団』はラインフォード邸を襲撃するにあたり、『六杯の火酒』のメンバーのリビングデッドを使役していたのだ。

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