第9話 掟破りの牛退治――①

 二体のオーガを斃した後、俺たち『星々の咆哮』は、特に敵と出会でくわすこともなく、二階進んだ十五階のセーフティエリアで、食事――と言っても干し肉を囓っただけだったが――と仮眠を取ることにした。

 そして――


 収納魔法インベントリーで取り出した毛布にくるまり、壁にもたれる形で眠っていた俺は目を覚ました。

 俺にとっては異世界での最初の一日、いろんなことがありすぎた。

 もしかしたら、今までのことは全て夢で、起きたらいつもの自分の部屋に戻っているのではないかと思ったが、そんなことはなかった。

 周りは四方八方、最初に目を覚ました時と同じような石の壁。紛れもなくダンジョン内のセーフティエリアだ。

 ふと視線をやると、およそ一メートルくらい離れたところで、シャーリーが同じような姿勢で小さな寝息を立てていた。

 カシームの方は床に敷物を広げて、大の字になって大いびきをかいている。

 カシームは言うに及ばず、全員、武器や外した防具の類いは収納魔法インベントリーにしまっている。

 だが俺は、自分でも理由がよく分からないのだが、聖剣だけはしまわず、自分のすぐそばの壁に立て掛けていた。


 ふと、前いた世界のことを思い出した。

 そう、あれは忘れもしない、二〇二二年五月下旬のある日のことだった。

 俺はいつもと同じ大混雑の電車に揺られ、いつもと同じ定時の十五分前に出社したが――オフィスの状況は、いつもとはまるで違っていた。

 絶え間なく至るところの電話が鳴り、マスク姿の社員たちは対応にてんてこ舞いだ。

「はい、申し訳ございません……」

 誰もが、ひたすら、謝っている。近くに電話を切ったばかりの上司の姿があった。

「主任、何があったんです!?」

「……やられたよ。コンピューターウイルスのせいで『けいりっくん』の専用サーバーがダウンした」


 そう、あれがケチのつき始めだったんだ。

 それから、俺の人生は一変した。次に思い出したのは、それから一月半の後。ベンチやドリンクの自販機が置いてあって、ちょっとした休憩所になっている、会社の屋上でのことだ。

 定時後ではあったが、初夏の頃だったので外はまだ明るい。

 ベンチで、缶コーヒーを飲みながら、主任が俺に言う。

「なあ鈴木、お前も考えた方がいいぞ。仮に『ざいむっくん』ができたって、おかしな連中の標的にされた以上、この状況は変わらないかもしれない。それに、外回りなんて、俺たちのやる仕事じゃない」

 主任は、激務に耐えかねたのか、程なく転職することを決めていた。

「システムエンジニアなんて、どこの会社だって人手足りないんだ。何なら、俺が次に行く会社だって……」

「ありがとうございます、主任」言葉の途中で、俺は答えた。

「でも、もう少しだけ頑張ってみますよ。俺が辞めたら、俺の分、みんなにのしかかっちまいますからね……特に入社したての連中が、謝ってばっかりの毎日になったら、かわいそうじゃないすか」

「そうか……」

 主任はもう何も言わなかった。

 ああ、結局こうなっちまうんだったら、俺も突っ張らなかった方がよかったのかなぁ……


 とにかくこれは、何もできなかった前の人生を、生きなおすチャンスがもらえたということらしい。

 確かに俺は「勇者」になった。顔もガタイも良くなったし、普通の人とは比べものにならないくらいの「力」も与えられたに違いない。しかし……

 漫画で読んだ、魔人と化して悪逆非道の限りを尽くし、最後には紅蓮の炎に包まれ崩れていくマシュー・クロムハートの姿がフラッシュバックする。

(このままじゃ一年も経たないくらいで、ああなっちまうんだよなあ……)

 一体どこにあると言うのだろう、この運命を変えられる鍵は――


「起き……てたの?」

 不意に、傍らから声が飛んだ。

「シャーリー……」

 見ると、彼女は目を覚ましていた。

「もしかして、傷が痛くて、眠れない?」

「い、いや、そんなことないぞ。手当てしてもらったのが効いてるんだろう」

「そう……じゃあ、もう出発する?」

「いや、もう少し休んでからにしよう……コイツ起こしちゃ悪いだろ」

 ぐがあと大いびきをかいているカシームを見ながら、俺はそう言った。

「分かった……でも、また寝れるかなあ?」

 確かに、カシーム、うるさい。

「だな。魔法で何とかならねぇか?」

「うーん……そうだ、転移魔法で部屋の外に放り出しちゃおうか?」

「おい」

「冗談よっ」

 シャーリーがくすっと笑った。


  ◇◇◇

 

 再び歩き出したのは、それから三時間くらい経ってからだ。

 俺たちはようやく、地下迷宮ダンジョンの九階まで帰ってきた。

 このあたりからは、ダンジョン内で一夜を過ごさなくても街まで戻れるレベルなので、他の冒険者(パーティ)の姿も見かけることが多くなる。

 が――俺たちが、このフロアのセーフティエリアに足を踏み入れると、中の様子は異様なものだった。

「うっ、これは……」

 カシームが声を上げた。

 中は、戦士やら剣士やら騎士やら魔法使いやら狩人やら、人種で言えば獣人や亜人も含めた冒険者たちが二十名以上、ひしめき合い、その多くがガヤガヤと何か話している。

「おかしいよ! あんなの勝てっこねえ!」

 誰かの叫び声が聞こえた。

 傷を負い、仲間に手当てしてもらっている最中の者もいた。


 俺は冒険者たちが集まっている中心に、ずんずんと歩いて行く。シャーリーとカシームが後に続く。

 仲間なのであろう狩人姿――弓使いの男を相手に、何事かをしきりにまくし立てている戦士風の男を捕まえ、声をかける。

「おい」

 肩をつかまれた戦士男、振り向いて俺を見て、ギョッとする。狩人男も同様だ。

「ゆ、勇者様……っ!」

 戦士男、何もしていないのに、いきなり土下座して謝り出した。

「す、すみません! お、お願いです殴らないでください! ぶたないでください!!」


 あーもう、ガチで頭痛いわ……ホントに、この男マシュー、いや、自分の日頃の行いって、どんだけなんだよ……


「あーあー、ぶたない、ぶたない。ぶたないから立ってくれ。で、何があったか教えてくれ」

「ミノタウロスっす」

 狩人男の方が答えた。

「う、上の階でミノタウロスが出たんですよ」

 今度は戦士男が立ち上がって言った。

「ミノタウロス?」

「そいつなら、あたしたちが行きがけに討伐したよね?」

 シャーリーとカシーム、首をひねる。

 ……なるほど、どうやら分かってきたぞ。


 このダンジョン、フロアボスを斃さないと次の階層に行けないようになっているが、その理由は下の階への通路の入り口がボス部屋にあるから、という単純な話である。

 もし、誰かがフロアボスを斃した後なら――

 しばらくすると、同じ場所で魔石が形成され、同じフロアボスが再生するが、その間は下の階への通路を邪魔する者はいない。

 なので、俺たちのような強いパーティがダンジョン探索を始めると、どっから噂を聞きつけたのか知らないが、多くの冒険者たちが後を追ってくる「コバンザメ現象」が発生する。

 俺たちみたいな連中はどんどん先に行くので、通り過ぎた後のフロアを隅々まで調べて、古代遺物レガシィや財宝――こちらはいにしえの盗賊が持ち込んだものであろうが――やらを手に入れようという寸法だ。

 もちろん、各階にはさっきのオーガやコカトリスのように、ボス以外のモンスターも徘徊しているので、自信と実力が無ければ深く潜るのはおすすめできないけどな。

 ともあれ、俺たちの後を追ってたくさんの冒険者が潜っていたが、八階でフロアボスのミノタウロスが再生したわけだ。

 通常、どんなに早くても、ミノタウロス級のフロアボスモンスターの再生には、一週間はかかるはずだ。現に二十八階からここまで、フロアボスに関してはフリーパスだった。俺たちが一度斃してから二日と経たずに再生したってのは、確かに異常事態だな……


「で、俺たちは慌てて下の階まで逃げてきたってわけッスよ」

「でもあまりにも急に出てきやがったんで、八階のボス部屋で逃げ遅れてる連中もかなりいるんじゃないですかねえ」

「そっか、ありがとよ」

 俺は、戦士男と狩人男に背を向けて歩み出した。

「おい、どうする?」

 尋ねるカシームに、俺は答えた。

「どうするも何も、誰かがミノタウロスをやらなきゃ俺たち帰れないだろ。こいつらも帰れないぞ」


 階段を上り、八階――のボス部屋に入る。

「うっ……」

 俺は思わず声を上げた。もしかしたら、シャーリーとカシームも同じだったかもしれない。

 死体だ。人間の死体が三つ、転がっている。

 当然だが、人間も含めてモンスターではない生物の死骸は魔石にはならない。

 もっとも、誰かが回収しない限り、モンスターの餌となるので、やがて影も形もなくなる点だけは同じだが。

 甲冑姿の男、魔道士と思しき衣装の女、盗賊? なのか何なのかよく分からないがとにかく露出の多いコスチュームの女。

 いずれも頭蓋を割られており、それが致命傷になったのは容易に想像できた。漂う、濃厚な血の匂い――

「あーあ、生きてる頃はそれなりにイイ女だったんだろうなあ……もったいねえ」

 今のは、女の死体を見たカシームの言葉だ。

 それにしても、惨殺されたと言ってもいい人間の死体を見るのも当然初めてだったが、不思議と落ち着いている。やはりマシューの記憶のおかげだな。

「ブウオオォォォォ!!」

 聞く者全てが思わずゾッとするような叫び声、と、同時に、きゃああ! という少女らしき悲鳴が聞こえた。

「あっちだ、行くぞ!」

 俺たちは二つの声がした方に駆け出した。

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