第2話

「ハァハァ」


朝起きてから10分もたっていないのに、僕は息が切れるほど全力で走っていた。


なぜ、こんなにも急いでいるかというと、後五分もしないうちに学校が始まってしまうから。普段は寝坊なんてしないのに、今日に限って寝坊をしてしまった。


「寝坊するにしても、せめて明日だったらよかったのに」


そんな自分への恨み言をつい呟いてしまう。


いつもだったら遅刻くらいあまり気にしないのだが、よりにもよって今日は高校の入学式の日だった。


高校生にもなるというのに、いきなり遅刻して目立つのは嫌だった。


とにかく急いで走る、すると奥の横断歩道の青信号が点滅し出した。


やばい!


赤になる前に渡りきろうと思い、さらに走るスピードを上げる。


信号機は点滅していたが、僕は気にせず横断歩道に侵入した。


渡ったら危ない事はもちろん知っていた。しかし、どうせ交通事故なんてものは起こる時はおこるし、起こらないときはおこらないのだ。それに、例え交通ルールを守っていたとしても、巻き込まれたらどうやったって防ぎようがないのだ。


一瞬、頭の中に暗い思い出がよぎるが、無理やり頭を切り替える。


横断歩道をなんとか赤に変わる前に渡りきり、一息つこうとした。


――その時。


足のすぐ下に大きな水溜りが現れた。


僕は踏みとどまろうとするが、勢いよく踏み出した足はどうすることもできなかった。


ああ、本当に最悪だ。


諦めを感じながら、水溜りに足がついた、


その瞬間――、

急に水溜りが白く輝きだす。


「なんだ、これはっ⁉」


僕はその光に包み込まれ、急に目の前が真っ白になる。それと同時に、突然地面がなくなったかのような浮遊感に襲われた。


「うわっ‼」


急な事に慌てたが、思いのほかすぐに足は地面についた。

反動で少しバランスを崩したが、なんとか転ばずに踏みとどまる。


僕はホッと一息ついてまず状況を確認しようと周りを見たが、視界はいつの間にか真っ白から真っ暗に変わっており、何も見えなかった。


ゆっくりと呼吸をすることだけに集中する。


「すーはー、すーはー」


脳に酸素をゆっくりと送り込む。


しかし、依然として視界は回復しない。どうやら、急な運動による貧血の症状ではないみたいだ。僕は代わりに耳を澄ませる。


とても静かだった。


冷たい風が肌を通り過ぎ、ブルッと身震いする。


……おかしい。


こんな急に気温が下がるだろうか? それに、さっきまでいた周りにいた人や車はどこに行ったのだろう?


これからどうしたものかと思案していると、唐突に足元の視界が開ける。


見ると、水溜りが優しく光かり、足がそこに浸かっていることが確認できた。


目の前が真っ暗だったのは、単にこの場所が暗かっただけのようだ。


それにしても、なんなのだろう――この水溜りは?

足が濡れている感覚はないし、そして何故か光っている。


その光は徐々に強くなり、周りの景色も徐々にあらわになる。


「⁉」


僕は驚愕した。


なぜなら、周りの状況を確認するより先に、まず先に目を奪うものが現れたからだ。


それは女の子だった。


僕の目の前にはいつからいたのか、女の子がいたのだ。

正確には少し斜め上に。


なぜ上にいるかというと、彼女は岩壁にはりつけにされていた。


後ろの岩壁のせいで、女の子は少し前のめりの状態で磔になっており、頭一個分くらい高い所から僕を見下ろしていた。両手両腕は左右に広げられ、肘と手首が鉄かせのようなもので後ろの壁に固定されて、両足は鎖でグルグル巻きにされ、その鎖に鉄杭を打つ形で壁に固定されていた。


そんな異常な状態に、さらに輪をかけて異質さをかもし出させているのは、赤い文字や図形だった。女の子は隙間なく文字の書かれた包帯で、体中をぐるぐると巻かれていた。そして、磔にされている後ろの岩壁には円形の魔法陣のようなものがあり、それらは多分血で書かれており、かなり不気味な感じだ。

 

この光景に言葉を失っていると、ふと何か動くものが目に入る。


女の子の腰のあたりに何か……


「えっ⁉」


尻尾だ! 


ゆらゆらと揺れ動く尻尾が、そこにはあった。


もしやと思い、女の子の頭も確認する。


「っ‼」


案の定、彼女の頭には獣の耳が生えていた。

その二つの物体は銀と灰色の虎柄で、なぜ今まで気づかなかったのかと思うくらい、耳はヒクヒクとシッポはふんわりと優雅に揺れている。


僕は動転しつつも、そこでようやく彼女の顔に目を向ける。


彼女の顔は透き通るような白い肌で、鼻は小さく、左目は髪に隠れて見えないが、右目は碧く澄んだ目でとても奇麗だった。その顔にかかる銀髪もどこか神秘的に光っていて、彼女の容姿は息を呑むくらい美しかった。


観察している間もずっと彼女は、ただ僕のことを見つめている。その顔からはなんの感情も知ることはできない。


その無機質な視線から目が離せずにいると、彼女の左頬から滴がこぼれた。それは、僕の足元にある水溜まりに音もなく吸い込まれる。


すると、それが引き金になったかのように、涙が落ちた所から水溜まりは急に光を失って、どす黒く色を変えていく。

 

なんだ?


黒く変色する様子を目で追い、ついには僕の足元にまでその現象が起こる。

それによって、なんの感触も感じなかった両足に、生暖かい感覚が生じる。


「なんだこれっ、気持ちがわるい。えっ、これ上ってきてない?」


生暖かい感覚は足を伝い、お腹を伝い、ついには全身に流れ込んできた。


その感覚はなんとも形容しがたく、自分がいままで経験した事のないものだった。


慌てて水溜りをよく確認すると、驚くべきことにその黒く変化した水溜りは、僕の足に次々吸収されていくではないか。そして、その気持ち悪い感覚もぞくぞくと全身に流れ込んでくる。


恐怖を感じ、水溜りから急いて離れようとする。


しかし、感じたことのないような激痛と燃えるような熱さが、突然僕の全身を襲う。


「あっつ⁉ いや、痛いっ痛い‼」


激痛で立っていられなくなり、磔になっている女の子に前からもたれかかりながら地面に倒れていく。


彼女に謝ろうとしたが足に力が入らず、仰向けになるので精一杯だった。


痛みと熱は次第に激しくなり、僕は声にならない声で助けを求め、もがき苦しむ。


「ぅっ……ぅぅぅ……ぇぅ」


だんだんと意識が朦朧としてきた。


その意識を失うはざまで、見下ろす女の子の青い右目と目が合う。


髪の下から覗く左目は、なぜかまぶたを閉じていた。


そして、その左目から涙が流れ、それは彼女の顔を伝って僕の顔へと落ちた。


ついに僕は気を失った。

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異世界魔法と二つのシッポ @cocochibi

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