第3話 残星
その日から数日後だった。僕は癌が発病して、手術をすることになり、貯めていたお金、結構な額を使うことと、引き換えに僕の余命が延びた。
確かに、体に違和感はあったものの、病院に行かなかったのが悪い。そこまで、体を痛めつけていた自分が悪いのだ。
久しぶりに会社に出勤すると、何度か鶴子さんが自分を訪ねに来てくれていたということを知った。
「愛人か? 仕事熱心の玉城がなぁ」
俺は苦笑いをする。鶴子さんとは、付き合ってもいない。一度だけ会っただけの関係なのだ。先輩にそれを伝えると「でも」と、少し考える素振りで先輩は口を開いた。
「好きじゃなきゃ、会社まで来ないだろ。ハンカチ取りに来いって言ってたぞ」
と、笑いながら言われ、肩を叩かれた。
鶴子さんの家を訪ねると、また墨汁を頬につけて出てきた。僕が話す前に、体調は大丈夫なのかと心配する言葉を忙しなく言ってきたが、「大丈夫です」と言って、家の中に上がらせてもらった。
「祖母は町内会の集まりでいないけど、心配していましたよ」
と、言われてしまった。
「あの、ハンカチありがとうございました」
「いえいえ、お役に立てて何よりです」
彼女と話してるうちに、彼女の書道の作品の話になり、作品を見せてもらうことになった。
二階に上がると、ダイナミックな作品から、型にハマった作品まで制作されていたものを見せてくれた。
「すごいでしょ」
と自慢げに話す彼女と、作品をもう一度見て疑問に思ったことを訊いた。
「材料費とかどうしてるのですか? ご両親とかのお金で?」
「ああ、両親は既に亡くなってて、祖母と二人暮らしなんです。私、これでも夜は働いてるので、ご心配なく」
と、彼女は言って、また自慢げに笑って見せた。
その後、彼女の祖母が帰ってきて、すぐに鶴子さんの家を後にしたが、帰り際に「これ」と渡されるものがあり「なんですか?」と訊くと
「もし良かったら」
と言い、僕に紙と筆を鶴子さんから渡してきたのが、文通の始まりだった。
それからも、何度か彼女からの手紙で連絡が届き、鶴子さんの家を訪れることが多くなった。その度に仕事の合間を使って作品を見せてもらう。
そういう毎日。それとは裏腹に、僕の癌がまた暴れだす日が増えてきた。
「玉城さん、また入院になるかもしれません」
医師がそう、僕に言ってきたのは入院して何ヵ月だっただろうか。
癌が再発したのは分かっていた。
だが、手術をする体力は今の医学じゃ難しいと説明を受けていたから、仕方がないと思っていたし、諦めていたのだ。
そんなある日、鶴子さんが暗い顔でお見舞いに来たものだから、何があったのかと尋ねると、僕が入院している一人部屋で、子供のように泣きじゃくった
「たった一人の家族が死んじゃった……。祖母が死んじゃった! たった一人なのよ! 辛くて」
泣きながら、何度も謝られた。「玉城さんには関係ないのに」と言って。自分の感情を素直に伝える彼女に驚きを隠せないでいた。
鶴子さんも、こんな表情や声を持っていたのか、と彼女の新しい顔を知れて、何故か嬉しくなった。
それと同時に、僕は鶴子さんの気持ちに応えることができるのかと不安にもなった。でも
「大丈夫ですよ。僕がいますから」
そう、彼女の気持ちに対しての答えではなく、今できる最大の言葉を送った。
しかし鶴子さんはそれでも、僕に泣きつくのをやめないでいた。僕は、続けて言う
「家族になりませんか? 僕も一人ですから、少しは共感できるかなって」
彼女は、腫れた目で僕を見て
「え……でも、私、あなたと付き合ってもいないし、それに出来損ないです」
「出来損ないじゃないですよ!」
「ううん、そうなの。デスクの仕事でさえ上手くできなくて……」
「鶴子さんにだって、いい所たくさんあります! 一生懸命で、笑顔が素敵で、魅力的です」
そう言うと、彼女は照れ笑いを浮かべて「ありがとう」と言ったあと、また涙を溜めていた。
「結婚、しましょう」
彼女は嬉しそうにそう言った。
欅の木から葉っぱが落ちてきた。
「二回目の手術ができるようになって、手術が終わった後に鶴子さんと入籍し、男の子供を授かった」
「タマキさんの息子さん……」
タマキの作り笑いの底には何が隠れているのだろうかと、海大はタマキを見つめた。
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