序章(2)・手記(1)

私が初めて見たものは、母親の顔でも、父親の顔でもありません。目の前に広がる、血を流して倒れる人間でした。恐らく死んでいるでしょう。

私はどこから来た?

所謂、記憶喪失というものでしょうか……私は私の名前すら、思い出せないのでした。やっとの思いで立ち上がります。何故こんな所にいたのか、何故この人たちは血を流しているのか。私には検討もつきません。ふと感じたのは、手を強く握っている感覚でした。そっと手を開きます。クシャクシャになった紙に書いてありました。

私を襲う人間は全員血を流して死んでしまう。

私はその紙を破きました。記憶がなくなる前の私が書いたのでしょうか?否……私は人を殺すなど、できるわけがありません。そんなことができていたら、今だってこんな気持ちになっていないでしょう?自分が犯人に仕立て上げられているような気分にさえなってしまうのでした。

そうしていますと、遠くから集団が近づいてくるのがわかりました。…集団と言うには少し人数が少なすぎました。たった5人で何をしているのですか。私は近づいてきた5人にそう言おうとしているところでした。

「アンタがやったの?」

そのうちの1人が、目にも止まらぬ速さで私の目の前に来ていたのでした。綺麗な金髪が似合う、素敵な女性でした。しかし怖いのも事実です。私は黙ってしまいました。私だってわからないんですよ、私今記憶喪失なんです、そう言って彼女が信じてくれる保証なんて誰もしてくれないでしょう?そうして黙り込んでいるうちに、他の2人が近づいてきまして、残りの2人は未だにゆっくり歩いていたのか遠くでした。

御門みかどさん……詰問になっちゃってます……」

小柄な男性…いえ、男子と形容するのが適切でしょうか。彼がその女性に話しかけました。

「仕方ないでしょ、アタシたちは集団なんだから」

彼女はそう言って私から一歩引きました。

「で?お前は誰だ?名前くらい言えよ」

背の高く、威圧感のある男性が言いました。私はまた黙り込むしかありませんでした。私の名前は何なのでしょう。わからないのです。

「……………」

「…おい?喋れるか?」

「……私は、……私の名前は………」

「なんだあ?名前も言えねえのか?」

ゆずりはさんっ!」

また例の男子が苦笑しながら言いました。

「まずは僕たちから名乗るのがマナーですよ。僕は望月伊吹もちづきいぶきです」

そして彼__望月さんはそう続けたのでした。それに続く皆さんの声。

「アタシは御門凪みかどなぎ

「俺は楪夕ゆずりはゆう

2人の声に私は頭を下げました。なんとなく、そうしなければ怒られるのではないかと思ったからです。残りの2人は後からゆっくりと歩いてきていました。

「ありゃ、とんだ悲惨な事件だ」

上着を羽織った男性が言いました。ああ、私を犯人だと思っているのですか。いえ、私にもわからないのですよ。それだけは言いたかったのですが、なぜかその言葉さえも出ませんでした。しかし彼は珍しい人だと思いました。あんな上着など暑苦しくはないのでしょうか。それに、漂う雰囲気も他の人とは違っていました。

「ゆのがをあててみせよう!」

その男性の後ろからひょっこりと顔を出した、まだ歳が2桁も行かなそうな、小さな女の子が言いました。私は彼女にひたと触られました。困惑していますと、彼女はすっと手を離しまして、言いました。

「このひと、きおくがない!だからゆの、わかんない……」

彼女は酷く落ち込んでしまいました。私はそっと彼女に触れました。そしてお詫びの言葉を述べます。こんな年端も行かぬ女の子に、ガッカリさせるようなことをしてしまったお詫びです。

「謝ることじゃねえだろ……お前らも名前言っとけ」

楪さんがそう言って2人を指しました。

「失礼。私は水無瀬朔夜みなせさくやだ。この小さく可愛らしい女の子は天海結乃あまみゆのだよ。仲良くしてあげたまえ」

「ゆの!よろしくね!」

私は先程と同じように頭を下げました。

「…誤解を与えぬよう先に言っておくけれど、私はロリコンではないからね。結乃は私の親戚の子なだけだからね」

水無瀬さんは真顔でそう言いました。元からそう思ってはいませんでしたので、大きめに頷きました。

「…それで、君は…自分の名前が思い出せないんですかね?」

望月さんがにこりと笑って言いました。私はこくりと頷きます。困ったなぁ、どうしようなぁと話している5人を見ていると、ふと、あの紙のことを思い出しまして、肩に提げていた小さな鞄から紙切れと金色のインクのペンを取り出しました。こうすればきっと、大丈夫なんじゃないかと思ったのです。

そう書ききった瞬間、私の頭にはぽつりぽつりと、私のことが浮かんできました。

「私の名前は……泉宮杏いずみやあん。16歳。文学が好き。海が好き。…自然全般が好き。でも虫は嫌い。お酒で酔った人に絡まれるのも好きじゃない。ご飯を食べるのも得意じゃない。私の才は、能力」

その言葉に、全員が目を開きました。

「ソレ……言わば『神様』みたいなものじゃない…あまりに強すぎるわ、その才は……」

御門さんが眉をひそめました。私はまた、もう1つ思い出したことを言いました。

「その才の強さにより、警察による監視を受けていましたが、逃げてきました」

「そういうことか。やっぱコイツらを殺したのはお前なんだな?」

「で、でも楪さん…彼女は凶器を持っていません。こんな血の出方は、拳やらなんやらではどうこうできるあれじゃないですよ?」

「阿呆か、伊吹くん。彼女の才で殺したのだよ」

「…でも僕、よく聞くのは……そういう場合、不審死ではなく事故死や誰かによる殺人で死ぬんです。恐らく、整合性が必要だから……世の中には簡単に人を殺せる才を持つ才能者がいますが、彼らは皆整合性を持ったものでなければ無効になります。泉宮さんのは整合性を持っていません。凶器もなく不審死を遂げているのですから」

「伊吹くうん…君は相変わらずクソ真面目なその性格を治した方が良い。いいかい?この世の中は広い。君がいくら才に詳しくなったとしても、全てを知ることは不可能だし、例外というものが存在するのだよ。私のようにね。だから『必ずそうなる』ものなんて存在しないのだよ」

「…整合性に関係なく、自分の欲望のままに世界を操れる才ってことか……よく警察だけに監視を任せたもんだ。お前ら、コイツどうするんだ?ここに放っても警察に連れて行っても構わねえが」

「このひとたち、やっぱり、あなたにやられたきおくが、ある……だから、はんにんは、あなた」

天海さんが死体に触れますと、震えた声でそう言いました。私を指しています。その手でさえ震えていました。

「困ったなあ。君を警察に連れていかないとだ」

望月さんがそう言いまして、私の手を握ります。

「君にいささかの同情もないわけではありません。ただ、この世はそういうものだから」

そうしてごめんなさいと言われたのでした。私はしばらく考えます。

「……警察に行ったら、私は死にますか?」

「この人数殺したら、まず死刑ね。残念だけど」

御門さんが死体1つずつに手を合わせながら言いました。私は落ち込みます。なぜ私が死刑になるのかもわからない私なのですから。

「…面白いゲームをしよう。私の質問に答えられたら、君のその罪をなかったことにする。そしてもし、行くところにあてがなければ、私たちが君の世話をしよう」

水無瀬さんは笑っていました。私がもし、この先も生きていくのならば、この知らない罪を背負って生きたくはありません。私は頷きました。天海さんを除く3人が随分とウンザリしたような顔をしていたのが印象的でした。

「では、私の話をよく聞きたまえ。……私は猫より犬派だ。私はまだ20歳をすぎて2年ほどしか経っていないが、お酒が好きだ。私は眠るのが好きで仕方がない。私がこの集団に所属しているのは、私が伊吹くんと組んだから、それと楪と組んでいたからだ。私の才は2種類ある。私は人を殺してしまったことがある。私は元悪人である。………さて、ここで問題。私は今いくつ嘘をついたでしょう?」

「朔夜さん!!あなたはどうしてそんなにタチの悪い質問をするんですか!?」

望月さんが怒っていました。水無瀬さんはヘラヘラしながら言います。

「これは簡単なゲームだ。そしてさらに面白い。なかなかないよ、こんなゲーム」

「初対面の人にわかるわけないでしょうよ…アンタもその舐め腐った脳みそ入れ替えてもらった方が将来のためじゃないかしら?」

「御門さん、その言葉聞き捨てならないね」

「いや正論よ?」

そうして2人が喧嘩して騒いでいる間、私はずっと考えていました。

犬派かどうか。これはわからない。

お酒が好きか。これもわからない。

眠るのが好きか。これもわからない。

望月さんと組んで集団に所属したか。……恐らく、お互いが下の名前で呼びあっているから、仲が良いのは間違いない……。じゃあ、楪さんは…?

才が2種類あるか。……先程、『私のように例外がある』と言っていた。才は普通1つしか持てない。……そこから来ているのでしょうか。

人殺しの経験があるか。…偏見になるけれど、彼が人を殺すのに躊躇するかと問われればしないと思う。…実際に人を殺すかどうかに関係なく。

元悪人かどうか。これはわからないけれど、人殺しの経験に関係しそうな気はする。

……そして、なぜ私にこんなゲームをしかけたのか。私は思考を巡らせます。1つの答えにたどり着きました。

「…水無瀬さん」

「このロリコン!」

「ロリコンじゃないとさっき話したばかりだろう!?」

「……水無瀬さーん…」

「君だってそんな金髪だから素敵な男性に会えないのだよ!ちゃんとした女性を好むのが男性というものだよ!」

「はあ!?金髪を敵に回す発言をするのねアンタ!ていうか金髪なだけで私をちゃんとした女性って言いたくないの!?」

「君はあまりに男勝りすぎるよ!」

「…ごめん泉宮さん。この2人そんなに喧嘩しないんだけど、いざするとすぐ止まらなくて……」

望月さんが苦笑しました。私もつられて苦笑します。その隣でお絵描きをして遊んでいる天海さんと、怒りを我慢している楪さん。ついに我慢できなくなったのか、彼は急に叫び出しました。

「お前らうるせえーーっ!水無瀬、テメェ呼ばれてんぞ!」

それで2人は喧嘩をピタリとやめ、水無瀬さんはこちらをくるりと振り返って見ました。

「答えがわかったかい?」

「はい。答えは、0です」

「…ほう、なぜ?」

「望月さんが水無瀬さんはお互いのことを下の名前で呼んでいるのと、才の話をしていた時に水無瀬さんが例外である話をしていたところから、その2つは本当だと確定しました。残りなのですが、なぜこのゲームをやったのかと考えたとき、私が勝とうが負けようがあなたたちにデメリットがないのです。私が勝っても、私に行くあてがないのを知っているから、自然とあなたたちの仲間になって、この才を利用できると考えたのでしょう。負けても、警察に危ない人間、ましてや人を殺した才能者を引き渡すことで、あなたたちの評価が上がるのです。しかしあなたたちは、私の才は持っていた方が何かと都合が良いと考えたのでしょう。答えを細かな数にしてしまうと私がわからない…初対面ではわからないことの方が多い。だから、全て嘘か、全て本当か、に絞った方がいいんじゃないかと……。…どうです、私は以上のことから0だと…全て本当のことだと考えましたが」

「……伊吹くん」

「?」

「言っただろう、これは簡単かつ面白いゲームだと」

「いや僕は面白くないですけど。朔夜さんが猫派か犬派かとか死ぬほどどうでもいいし」

「……………いや、面白いよね。そう、面白いのだよ!私たちの話をよく聞いていたのと、推理力が正解を導く…初対面の相手でも嘘かどうかを見抜けてしまう……!彼女はキレる頭を持っているよ!……しかし残念だが、君の推理に間違いがある」

「…?」

「それは『君がこのゲームに勝っても負けてもデメリットがない』という点だ。むしろ君には

「…すみません、よくわからないんですけれど」

「わからなくて結構さ。ただきっと、この先君の才がなければ世界消滅を避けられないかもしれない、と思っただけだから」

「今、魔王の力が少しずつこちらにも影響を及ぼしているんです。もういつ衝突したっておかしくないのが現状……」

望月さんがため息混じりに呟きました。

「ゆの、かえりたい」

その時、天海さんが私の袖を引っ張っていました。先程まで、私が犯人であると怯えていたのに、それだけ帰りたいのでしょうか。

「結乃のお願いじゃあ帰るしかないね。皆さん帰りましょう」

望月さんがそう言いますと、彼に続くように4人が歩き出しました。望月さんが私においでと手招きをします。私はフラフラとついていきました。

今思い返してみますと、これが、これから起きる不思議な出来事の前兆だったのではないかと思うのでした。

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