堕ちていく時

 見知らぬ街のビジネスホテル。その一室に俺たちは滑り込む。小さな部屋に粗末なベッド、気持ちばかりの机に小さなテレビがある小ぢんまりとした部屋だった。


 ドアがしまると同時に、俺たちは激しくお互いを求めあった。まるで生きていることを確かめる様に。



 10年前、俺は檸檬れもんを抱いた。あの時も檸檬れもんは「私じゃダメなの?」と言い、俺を寂しげに見つめていた。

 そしてゆっくりと服を脱ぎ捨てていった。俺はその行為から目が離せず、駄目だと分かっていてもその場を離れることが出来なかった。

 来夢らいむにプロポーズをするその日に、俺は…。



 あの頃、俺は来夢らいむに心を奪われ夢中になっていた。誰からも愛され、知性と優しさを持った女神の様な彼女を俺は愛した。一目惚れだった。運命の出会いとさえ思ったんだ。


 それなのに…あの日の俺は目の前の誘惑に負け、妹の檸檬れもんと関係をもった。俺は心よりも快楽を選んだ最低な男だった。

 相手の気持ちも考えず、ただ己れの押さえられない欲望のままに、檸檬れもんを抱いた。


 そして今夜も…。


「あっ…」


 檸檬れもんのせつなげな声が聞こえる。来夢らいむと同じ顔、同じ声で俺を誘う。俺はその誘惑に勝てない。10年前も今も。


 俺は来夢らいむを幸せにすると誓った日に……"あれ?”

 俺は呑気にレストランで来夢らいむが来るのを待ってた……“んだよな?“


 記憶が交錯する。なんだ? この違和感…。


「……っ…」


 俺の目の前で檸檬れもんの熱い吐息が聞こえる。その声は俺を狂わすには十分だった。


 檸檬れもんの服を強引に脱がせ、首筋にキスをする。逃げる檸檬れもんの髪を握りしめ、首筋を露にする。そしてもう片方の手でしっかりと檸檬れもんを支えた。

 ゆっくりと耳元へ唇を這わすと、檸檬れもんが耐えきれず声をあげた。


「ま…雅樹…」

来夢らいむ…」


 一瞬檸檬れもんと目が合う。しまった、俺は…。


 檸檬れもんが何か言う前に唇をふさぎ、ベッドに倒れ込む。

 檸檬れもんの瞳は潤んで揺れていた。


来夢らいむだと…思ってくれて、かまわない…から」


 俺をぎゅっと抱き締めた檸檬れもんは、俺の耳元でそうささやく。

 来夢らいむを愛してると言いながら、彼女に触れられない想いを埋めるように、激しく強く俺は檸檬れもんを求めていく。まるで獣のように、己れの欲望をぶつけ合う。


「…うっ…」


 頭の中が真っ白になる。白い光が目の前で弾けるような感覚。

 俺たちの間で「愛してる」の言葉は不要だった。ただ快楽を求める自分勝手な行為。

 俺は檸檬れもんの奥に自分の感情の全てを投げ出すように、来夢らいむへの想いと檸檬れもんへの罪悪感、そして全てのものへの憎しみ、何もかもを吐き出した。



 海の中を漂うような脱力感と共に、俺は檸檬れもんのあたたかい胸に顔を埋め肩で息をしていた。

 檸檬れもんの指先が俺の髪をゆっくりと撫でる。


「雅樹…」

「……っ」


 知らないうちに俺は泣いていた。苦しくて、苦しくて…。人を殺める行為そのものへの罪悪感ではなく、空っぽな自分に、そして誰一人幸せに出来ない自分が許せなくて泣いた。

 あの日と同じ後悔が俺を襲う。時間を戻し、やり直せるのならどんなにいいか。


 檸檬れもんが眠ったことを確認し、俺はシャワールームへ向かった。


 今夜のことは想定外だ。


 俺は今、来夢らいむのために生かされている。それを忘れてはならない。

 俺は自分に言い聞かせた。全ては俺が来夢らいむを裏切ったことから始まった。一番許せないのは俺自身だ。


 冷たいシャワーが、あの日の記憶を甦らせる。


 あの日俺は来夢らいむと店にいた。来夢らいむが来るのを待っていたんじゃない。俺は来夢らいむが出ていくのを呆然と見送ってしまったんだ。

 追いかけてさえいたら、来夢らいむは今も笑っていられたのかもしれない。


 あの時来夢らいむはスマホを見て驚いた顔をし、俺の顔を見ようともせず席を立った。

 そして、事故に遭った。店先を赤い車がもうスピードで走り去る。店内もざわつく程のスピードだった。


 倒れた来夢らいむの手から放り投げ出されたスマホには、俺と檸檬れもんの恥ずかしい動画が流されていた。誰が送ったのか考えなくてもわかった。

 だから俺はそのメッセージを削除した。


「すまない…。来夢らいむ

 

 一番許せないのは、俺だ。俺自身だ。来夢らいむに許しを請わなければならないのは、俺だ。

 檸檬れもんがあんなメールを送り付けたのも、俺が二人の関係をはっきりとさせることが出来なかったからだ。


 俺は犯罪者だ。誰にも許されるはずはない犯罪を犯してる。もう、止められない。無かったことには出来ないのだから。


「あと一人…」


 俺は冷たいシャワーを頭から浴びる。俺の腐った想いを流すように、水は流れていく。


 時間がない…。警察が全てを明るみにする前に、全てを終わらせる。


 鏡に映った自分の顔は、見知らぬ男の顔に見えた。

 俺はMONSTERだ。そう自分に言い聞かせる。



 俺は眠っている檸檬れもんにそっとシーツをかけ、部屋を出た。


「すまなかった…。檸檬れもん

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る