MONSTER ~哀しい怪物~

桔梗 浬

終わりの予感

「今日ね。私のところに警察が来たの」


 静かな機械音しかしない病室で、檸檬れもんが俺に放った言葉だった。

 俺の愛した来夢らいむと同じ顔、同じ声。そして戸惑った不安そうな顔が俺を見つめている。


「そっか。意外と早かったな」


 俺はいたたまれなくなり、眠っている来夢らいむの手を握りうつむく。


 俺たちは、目を覚ますことのない来夢らいむの前でそんな言葉を交わしていた。


来夢らいむのことは真剣に調べもしなかったくせに、日本の警察も優秀だな」

「雅樹…」

「お前は何も知らない。何も聞いていない。それでいい」

「でも…」


 俺たちは1年に一度来夢らいむの病室で会う。来夢らいむが目覚めるのではないか? と期待して。


「もう10年か」

「うん…」


 俺たちは来夢らいむを挟んで静かにそう呟いた。


 そう…、10年。

 あの日俺は檸檬れもんから連絡を受けた。来夢らいむが事故に遭い緊急搬送されたと。


 車に弾き飛ばされた来夢らいむはそれ以来、目覚めることはない。楽しいことも悲しいことも何もかも一瞬にして理不尽にも奪われたのだ。


「赤い車…」

「えっ?」

「いや、何でもない」


 赤い車。そこには男女4人が乗っていた。警察は来夢らいむを轢き逃げした犯人を捕まえることはなかった。なぜだ? 来夢らいむの事故は世の中にとって、ちっぽけなことだというのだろうか。


 加害者のやつらは人生を謳歌し、来夢らいむが経験することが出来なかった時間を無駄に使ってのうのうと暮らしている。そんなこと許されるはずがないっ!


 だから…。



「また来る。来夢らいむ


 俺は来夢らいむの手にそっとキスをして病室を出た。


 俺の来夢らいむ

 あの日から、俺の時間は止まっている。


 あの日、俺は来夢らいむを呼び出した。だから来夢らいむは事故に遭ったのだ。俺はただ何も知らず呑気にレストランで彼女が来るのを待っていた。来夢らいむに渡す指輪を握りしめて。

 あの時、俺が迎えにいってさえいれば…。悔やんでも悔やみきれない。


 そうやって、俺はそんな俺を許せないでいる。今もずっと…。

 

 だから俺は俺のために復讐を誓った。自己満足、それでいい。そうしないと俺は生きる価値もないんだ。


 加害者の4人を見つけるまで8年もかかってしまったけど。


 それももうすぐ終わる。



 俺たちは雨の中、滑り込むようにして入った定食屋で食事をとった。はたから見たら、恋人同士に見えただろう。


『藤沢市で発見された男性の身元が判明しました。地元の建設会社に勤める高畠勇次さん35歳は、胸などを…』


 店内のテレビから抑揚のないアナウンサーが事件を読み上げている。


『現場付近にいた男が…』


 檸檬れもんも俺もテレビから目が離せなくなった。あの時確かに俺は殺意を持ってこの男を刺した。あの感触はまだはっきりとこの手に残っている。

 もう殺害された被害者たちの関係も警察はみぬいているだろう。


「行こう」


 ご馳走さまと店の人に告げ、俺はスマホを片手に席を立った。

 檸檬れもんもうなずき、俺たちは無言のまま雨の中を再び歩きだす。


「もう帰れよ。俺に構わないでくれ」

「何処に行くの? 部屋には警察がいるかもしれないよ」


 前を歩く俺の腕をぎゅっと掴み、檸檬れもんはそう叫んだ。雨が激しさを増し、人通りもいない夜の道。檸檬れもんの目が濡れているように見えるのは彼女が泣いているからなんだろうか。


「好きにしろ」


 俺は檸檬れもんの手を振りほどき、ポケットに手を突っ込んだ。温もりが怖かった。あと一人片付けるまでは、孤独が相棒でなければならない。そのためだけに、今の俺は生かされているのだから。

 

 あと一人。


 迷いはない。来夢らいむのあの笑顔を奪った奴らをどうしても許すことが出来ない。



「もうやめていいよ。雅樹…」


 俺を呼ぶ来夢らいむの声が聞こえた気がして、慌てて振り向くとそこに来夢らいむが微笑んでいた。あの日と同じ花柄のワンピースを着て…。


来夢らいむ…」


 そんなはずはない。来夢らいむはずっと眠っているのだから。

 俺は目に入った雨をぬぐい、もう一度声の主を探す。そこには雨に濡れ小さく震えながら俺を見つめる檸檬れもんの姿があった。


檸檬れもん…」

「もういいよ。もう終わりにしようよ」

「…」


 あまりにも目の前にいる檸檬れもんが、消えてしまいそうで、俺はその存在を確かめるようにゆっくりと近付く。


檸檬れもん…」

「私……私じゃダメなの?……」


 檸檬れもんは苦しそうに唇を噛み締め、絞り出すように俺に訴えかける。


 10年前と同じ言葉が、また繰り返される。


 来夢らいむを失ったあの日と同じ様に、俺の頭は真っ白になった。

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