【超番外編】もう一つの愛の話
王都全体がすっかりと寝静まった
扉を薄く開いた時点で部屋の中から温かなろうそくの光がわずかに漏れ出た。男は目を不快げに細めると影のように部屋に入り後ろ手に扉を閉める。
「寝てろっていつも言ってんだろ」
「その言葉に従うかどうかは私次第ですので」
かろうじて聞き取れるくらいまでひそめられた声に、その男の妻としてあてがわれた女は無感情に言った。
昼間は素朴ながらも温かい笑顔でまさに良妻賢母の見本のようにふるまっている彼女が、今はその様相を異にしていた。
「アイツらは」
「いつも通り、良い子で寝ましたよ」
女は男の夜の仕事着である黒一色の外套を脱がし、丁寧にたたみながら答える。
「そちらは。今日の仕事はどうでした」
「こっちもいつも通り」
「それは重畳。ところで」
ん?と男はグラスにエールを注ぎながら女の話に耳だけを傾ける。
「上層に、あなたの解任を申し出ようかと思うのですが」
「…へえ、なんで」
「もともと、任期はとうの昔に過ぎているはずです。…騎兵隊としての任務の傍らで、こんな仕事をいつまでも続けていては体を壊します」
長年一緒に生活しているが労わるような言葉は初めて聞いた。その言葉に男は目を丸くして女を見つめた。その沈黙の間、無表情だった女の口元がだんだんとこわばっていくのがわかる。
「…なあに、サシェちゃん。柄にもなく俺に本気で惚れちゃった?良くないよ、お互いこういう仕事してんだから。形だけの家族でしょ。いつでも切り捨てられるようにしなきゃダメじゃん」
男はいつものくだけた口調で剣呑な事を言う。
「…そう、ですね。忘れてください。お疲れ様でした」
サシェは短く言うと男と同じように音もなく彼女の自室に帰って行く。形だけの妻である彼女と男は寝室を別にしている。
男はしばらくそのまま不愉快そうな顔で静かにエールを傾けていたが、やがてその黒い長髪をかき上げ大きく嘆息すると彼女の部屋に向かった。
ノックもなしに扉を開くと、ベッドに腰かけていたサシェがびくりと身を震わせた。「なに…」言葉を遮るようにバタンと扉を閉め、無言で彼女に腕を伸ばす。
そのただならぬ気配に危険を感じたのか、咄嗟に逃げようとするサシェの体を男は捕まえて、そして、その頭を掻き抱いた。
サシェは、体を固くしたまま動かない。静寂が二人を包む。
「…解任は、申し出なくていい」
男が静かに告げる。
「どうせ俺は北方遠征に行く。そしたらこっちの仕事の任は解かれる」
「…」
「だから…、お前たちも一緒に来るか。北に」
「…っ」
「なんもないとこだけど。苦労させると思うけど。でもまあ、毎日雪だるま百体くらいは作れるかもな?」
「…」
「サシェちゃんは、なんで俺が当局に睨まれてまで子供作ったかわかってねーの?」
男は『子は危険だ』とお偉方に釘を刺されたときのことを思い出していた。その記憶は今でも男をいらだたせる。危険だったら俺が守ればいい。俺も、サシェも、勝手にお前らの子飼いにしておいて、そっちの都合だけで夫婦にさせられて、俺たちから未来さえも奪おうなんて絶対に許すことはできなかった。
その俺の怒気に気圧されたのか、お偉方は苦々し気に好きにしろ、と吐き捨てた。だから、好きなように彼女と、子供たちのことを愛している。
サシェの顔を覗き込むと、彼女は顔をぐちゃぐちゃにして泣いていた。ひでー顔。言いながら男は不器用にその涙をぬぐってやる。
「…義務感、だと」
「俺に一番似合わない言葉じゃない?それ。俺が義務感でなんかしてるとこ、見たことある?」
サシェは泣きながら笑った。
「サシェ。これからは、形だけじゃなくて、ちゃんと夫婦に…、家族に、なってくれるか」
サシェは力強く頷いて、「愛してるわ、ジャン」とつぶやいた。
【完結】書庫係の賢人は、悪あがきをやめない @amane_ichihashi
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