その気持ちの名前は

ガルディウスは号泣してしまった私をなだめた後、赤く腫れた私の目を見てかわいいけどかわいくない、と変なことを言って私を笑わせた。

そして、私がすっかり落ち着いたのを確認したあとに言いにくそうにしながら言う。

「一つお願いがあるんだ」

「なあに?」

「本当に俺を愛してるのか、考えてみてほしい」

「…どういうこと?」

話の雲行きが怪しくなり私はルディをねめつけた。怒んなって、と言って、彼は私の腕を取るとその手のひらを私自身の胸に触れさせる。とくん、と頼りない自分の鼓動が手のひらに伝わる。


「レティには本当に幸せになってほしいんだ。だから、俺と結婚して後悔しないのか、誰といるときに心が動くのか、考えてみてほしい。俺を選んでくれるならばそれでいい。でももし誰かを見つけても…俺のことは気にしなくていい」

お前にはちゃんと幸せになってもらいたいから。いい?といつになく大人っぽいガルディウスに言われて、私は意味が分からないながらも頷いた。



なぞかけのような言葉を残してガルディウスは帰って行った。そのあと言われたとおりに考えてみたけれど、ベッドでゴロゴロしていたらいつの間にか眠ってしまっていた。

翌朝も引き続き、アンリが着替えさせてくれている間にじっと考える。どういうことだろう。ガルディウスは、私が彼を愛していないといいたいのだろうか?だとしたらかなり失礼な話だ。

書庫係の仕事の合間も考える。誰といるときに心が動くか?まるで人のことを感情が無いかのように言ってくれる。俺と結婚して後悔しないか、なんて、後悔しないにきまっている。だって愛しているのだし、ずっとガルディウスと結婚すると思って生きてきた。

むう。と考え込んで手を止めている私を見て、ラウラが「どした?そんな難しい相談?」と覗き込みに来た。「…こんなの、書籍引用したらすぐじゃん。具合悪いのか?」ラウラの冷たい掌が額に触れる。

「ちょっと熱あるんじゃない?医局行って来たら?」

熱っぽさはあまり感じなかったけれど、このままだと仕事もはかどらないので気分転換にジル先生の顔でも見てこようと思い、頷いた。



ノックに返される、どうぞー開いてますよー。といういつも通りの間延びした声。

「こんにちは、ジル先生」

「はい、レティシアさんこんにちは。今日はどうされました?」

「熱っぽいってラウラに言われたので来ました」

「おや、風邪ですか?とりあえずこれを」

「はい」

このやりとりも慣れたものだ。体温計を脇に挟むと、ジル先生が砂時計をひっくり返す。サラサラと流れる砂。

「…元気ないですか?」

「…なんで、何も言ってないのにわかるんですか?」

「何年、君の主治医でいると思ってるの」

「ちょっと難しい相談が来て、悩み中です」なんとなく、ガルディウスに言われたことは言いづらくてお茶を濁した。事情を知らない先生は仕事熱心ですねえ、と苦笑した。

「…あ、そういえば。ガルディウスが北方遠征に行くって」

私の言葉にジル先生はびっくりしたようにこちらを見る。知ってたでしょう?いえ、知っていましたけど。

「レティシアさんはもっと落ち込むかと思ってたので。意外と平気そうで驚いたんです」

「…寂しいは寂しいですけど…。でも、二度と会えないわけじゃないし。ルディはずっと北に行きたくて努力してきたんだから、せっかくチャンスが掴めるなら応援してあげなきゃ。あ。そうだ。この前の鉄剤の件、北方遠征のためだったんですね」

「気づいちゃいましたか」

いたずらがバレた子供のように先生は笑った。やっと納得が行った。ジル先生は、北方遠征に私がついていける可能性を最後まで探ってくれたんだ。

「ありがとうございました」

「いえ。でも、少し安心しました。もしレティシアさんが彼の北方遠征の件を知ってすごく落ち込んでたら、僕も君を治療できなかった立場としてすごく落ち込むところでした」

砂が落ち切ったのを確認して体温計を先生に返す。メモリを読み何かを書類に書き込んでいた先生を見るとはなしに見ていると、三人で過ごしてきた長い時間が思い起こされてやはり少し寂しくなる。


「先生は、いなくならない?」

私の言葉に先生はどきりとしたように動きを止めた。

「えっ?!いなくなるんですか?!」

すっかり、いなくならない、とか、そんな答えを期待していた私は予想外の反応に思わず席を立って先生に詰め寄る。不安で心臓の鼓動が跳ね上がった。

なんで、と続けようとした私の目の前に、ずいっと先生の手のひらが押し出される。

「当面はそういう予定は無いので安心してください」

手のひらが邪魔で先生の顔が見えないが、そう言ってくれた。安心したけれど、鼓動はまだ早いままだ。

「ああよかった、びっくりさせないでください」

「というか、僕がいなくなるとしても信頼できる医師を紹介していきますから」

「そういう問題じゃないです。ずっと一緒にいるんですから、先生じゃなきゃ困ります」

「…………熱は無さそうなので、どうぞお仕事にお戻りください。書庫係は今や総統院イチの人気部署なんですから」

「…?…はい、わかりました。お忙しいところお手数をおかけしました」

「午後も頑張ってくださいね」

ようやく私を見て柔らかく微笑んでくれた先生は、いつものように私の手を取りチョコレートを握らせてくれる。それが嬉しくて、私は満面の笑みを浮かべた。



頑張ってくださいと言われたが仕事が手につかず、その日は早々に帰宅した。ラウラはやっぱ風邪じゃないのー?と言っている。実は私もそんな気がしていた。あのときの体温計のメモリは結構高かったはずなのだが。

食事を終えた私はまたベッドでゴロゴロとガルディウスに言われたことを考える。誰といるときに、心が動くのか?


全然ピンとこなくて、朝からの出来事を思い浮かべてみる。

朝ごはんはクロワッサンとプルーンとハムだった。食欲は無かったけれど、食べないと怒られるので頑張って食べたんだった。今日着ていったワンピースはお気に入りで、袖を通したら気分が上がった。仕事は相変わらず忙しいけれど、書庫の整理もだいぶ進んできたし、相談対応も上手くいっている。今日のお昼ご飯はラウラと庭で食べた。春は深まり、夏の気配はまだ遠く、外でのランチにはとてもいい季節だ。ラウラとのランチはとても楽しい。

その後医局に行って、ジル先生がいなくなるんじゃないかって…

「え…」

誰といるときに、どんなときに、心が動くのか。

「…え…」

突然高鳴った胸はそのあともずきずきと痛むような鼓動を繰り返している。

「うそ…。え、でも…」

胸が痛い。指先が震える。貧血の症状に似ているけれど、あんな風に冷たくない。胸の奥から温かい何かが溢れてくるような、あまやかな気持ち。この気持ちは。

「あ、アンリ…アンリ!」

「どうしましたお嬢様!」

続き部屋になっている自室から飛び出してきた彼女は、ベッドの上で胸を抑えている私を見て血相を変える。

「発作ですか?!」

「違う、違うの…、私、私、…」

何て言ったら良いか分からずその先が続かない。アンリは心配するように私を見ていたが、いつもと違う私の様子を見てはっと何かを思いついたようになる。

「この前のガルディウス様のお話ですか?」

カッと顔が赤くなったのが自分でもわかる。胸の中の感情を見透かされるんじゃないかと思い私は視線を逸らし頷いた。その様子を見てアンリは安堵の表情になる。

「お気づきになったんですね。本当に良かった」

「良かった、の、かしら...?だって婚約は…」

「…ごゆっくりお考え下さいませ。ご協力できることがあれば、いつでもお申し付けくださいね。…当面、訪問診療の予定が無くて残念です。可愛らしいお嬢様の姿が見れるところでしたのに」

「え」

うふふと笑うアンリの言葉に私は固まった。有能なメイドであり友人である彼女には、ずっと私の気持ちはお見通しだったようだ。その事実に気づき、私はまた顔が赤くなるのを感じた。

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